祝言と割れた湯呑み
万延元年3月29日
近藤勇と松井つねの祝言の当日
春独特の光が降り注ぎ、ノブ姉に着せられた桜の着物は、いつもより窮屈に感じられ、髪も化粧もした千夜は、鏡に映る自分から目を背けていく。
唇に乗せられる紅にも慣れる事もなく、綺麗だと褒めてくれるノブ姉にすら視線を合わせ辛い。
「ほら。歳三が驚くわ。」
少なからず、ノブには、自分の想い人は気づかれている様子で、更に居心地は良く無くなっていく。
急かされる様に襖へと押し出され、待ち受ける男の前に姿を現す。
「……。」
何も言わぬ男は、見惚れてくれているのか、そうじゃ無いのか分からぬまま、耐えがたい時が刻まれていき、
「お、似合ってんじゃねぇか。ってか、なんで、膨れっ面なんだよ…」
「……だって。」
その先の言葉は、何も言わなかった。
「千夜は、着物を着慣れてないから動きにくいって言ってね。こんな、べぴんさんになったのに…。ほら、千夜!
何時まで膨れっ面でいる気だい?」
そう叱られた。
ノブ姉に背中をバシッと叩かれて顔を顰めた彼女。ありゃ、痛いな……。
「――――っ!ノブ姉痛いよー。本当にこれで行くの?袴のがいいのに。」
まだ言うのか?ちぃ……。
「はいはい。サッサと行かないと遅れるでしょ。」
結局、ノブに家から追い出される形で、土方と千夜は、家を出たのだった。
女モノの着物が似合ってるのか、そうじゃ無いのか、よく分からない。
横を歩く土方にそっと視線を動かすも、前を向いて歩いているだけで、表情は読み取れなかった。
振り返る町人に戸惑うばかりであった。
「穴があったら入りたい。」
そんな言葉を思い出し、一人呟く千夜。
スタスタ歩いていく切長の美男子に、追いつくのがやっとで、歩く事さえ面倒になる。
ぞわぞわと胸を襲う気持ち悪さに、とうとう足を止めてしまった。
————何だろう。嫌な予感がする。
「どうした?ちぃ。」
行かない選択肢は無い。
今日は、近藤勇の祝言の日。大事な日なのは分かっている。
「よっちゃん、歩くの早い。」
これくらいの文句は許される筈だ。
そう言えば彼は近くまでやって来て手を差し伸べてくれた。
それに重ねた手に、土方は頭を掻く。
「ほら行くぞ。」
視界にも入れてくれずに言い放たれた言葉に、何故だか心だけが痛むのを感じながら足を動かした。
試衛館につけば、いつもと違う空気。
かろうじて空には雨がないものの、どんよりとした雲が浮かんでいた。
「……ほ、本当に、ちぃなの?」
近藤宅に来て早々に、藤堂に質問される千夜は、すでにうんざりした表情である。
「千夜だし。よっちゃん、もう、着替えていい?」
「ダメに決まってるだろ?まだ、祝言始まってもねぇ!」
口を尖らせる千夜であるも、着慣れぬ着物に戸惑うばかりで、怒鳴る男は、自分を視界にすら入れてくれない。
「ちぃちゃん、本当綺麗。」
宗次郎までもが息を吐き出す様に褒めてくれる。なんだか、その場に居るのが嫌だった。
「……私、フデさんの手伝いしてくる。」
そう言って部屋を出た。
「またかよ…」
と、土方は頭をガシガシと掻いた。
「……僕、悪い事いったかな?」
「違げぇよ。いつもと違うから違和感があるんだろ。」
「本当に綺麗なのに。」
沖田の声に、皆が頷いたのだった。
今日は、烝は仕事で居ないって言われてるし、烝が居れば、話し相手になってもらうのだが、フデの手伝いをするしかやる事はない。フデの元に行けば、案の定、お茶の支度やら、お孝と慌ただしく動いていた。
「フデさん、私も手伝うよ。」
「千夜、やっぱり、あんた、綺麗だね。
そうやって、着物着てれば娘にしか見えないのに…。勿体無いねぇ。」
もう、笑うしかない千夜。その時だった。
ガシャンッ。っと、フデの後ろから物音が聞こえ、フデと千夜の視線は、自然とそちらに向けられた。
割れた湯呑みと立ち尽くすお孝。
「何やってんだい!お孝っ!本当にあんたは、何をやらせても鈍臭いんだからっ!」
いつもの光景に千夜も息を吐き出していく。フデは、お孝に強く当たってしまう癖がある。
「……すいません。」
謝るお孝の為に、千夜は身体を動かしていく。
「ほら、フデさん。私片付けるからさ、そんなに怒らないで。ね?」
怒りの形相のままのフデに笑いかける千夜は、返事を聞かぬまましゃがんでいく。
「はぁ。千夜、せっかくの着物汚すんじゃないよ。」
立ち去っていく足音に小さく息を吐き出し、彼女に聞こえるように返事をした。
「はーい。」
割れた湯呑みを片付ける千夜。その姿を唇を噛んで見つめるお孝には、全く、気づかなかった――――。
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