第12話 久方ぶりのエルフの使者

「今度はドワーフとは、お主の孫娘はほんに変わっておるのぅ」


 提供されたウイスキー製造記録の映像を見ながら、水割りウイスキーを嗜む長老達は、言葉とは裏腹に提供された酒の意外な出来栄えに感心していた。記録映像で酒造の工程を一生懸命伝えたり、味見で咽せて涙目を浮かべたりする幼子の様子は相変わらず愛らしい。


「これをドワーフにくれてやるのは、もったいないのぅ」


 エルフワインを作らせたら右に出るものはいない酒好きの長老が漏らした。強い酒精ながら、我らがエルフの森の芳醇な資源を彷彿とさせるピートやオーク材の独特の風味と香りは、幼子が作った酒にしては燻し銀の魅力を感じさせた。ものの数百年も研鑽を積めば、エルフの間ですら立派な嗜好品に化けるだろう。

 やりおるわい、と顔を見合わせて笑った。


「なんでも酒精と風味のバランスを調整する為に何通りか熟成した酒を混ぜ合わせて好みに調整することもあるらしい。孫娘にはちと難しいようじゃがの」


 それを聞いた長老衆は玩具を見つけた様な顔をして組み合わせを発表し出した。


「わしなら3番と5番、それに9番をこれくらいでバランスを取るのぅ」

「なんの。1番と4番それに8番と10番を、この比率で加えれば、まろやかさも出よう」

「わしなら風味と香り重視で1番と2番のハーフに6番をほんの少し加えるわい」


 収集がつかなくなってきたので本題に戻す様にカイルは語った。


「これで長年の疑問に答えを出すことができそうじゃ」

「なんじゃその疑問とやらは?」

「ドワーフが味覚を持っているのかじゃ」


 一瞬キョトンとした表情を浮かべた長老衆からドッと笑いが溢れた。今まで種族の特性として強い肝臓を持つドワーフに合うような酒精の強い酒は存在しなかったが、今回は濃度40パーセントを中心に60パーセントを超える様なものまである。それでいて濃厚な風味と香りを保っているのだ。さすがに水とは言うまい。魔導排ガス処理装置の設置の是非に関わらず、酒の反応を見るだけでも、また一興というわけだ。

 そもそも魔導排ガス処理装置の設置のみなら、王宮に使者を送って人間の統治者を経由して工業都市への設置を強制すれば事足りる。だが頑固なドワーフに強制するのは骨が折れよう。この新しい酒で少しでも懐柔できるというなら、それに越したことはない。仮に懐柔策がうまくいかなかったとしても、それなりの誠意を見せたことを彼奴らはするだろう。ドワーフはああ見えて人間とは違い短命種ではないのだ。そこに遊び心が加わるのであれば、なお良しだ。


「おもしろい。王宮に使者を送ってドワーフへの繋ぎをつけてもらおうかの」


 そう長老会は結論付けて会合を締めた。


 ◇


 久しぶりのエルフからの使者に王宮は重鎮会議を開いていた。エルフからすれば久しいというほど間隔が空いたようには感じていなかったが、はじめて使者が訪れてから二十年が経ち、あのころ病床の王に代わり統治を代行していた第一王子も、今では壮年の王として盤石の体制を築いていた。


「使者殿の用向きを報告せよ」


 そのブレイズ王が会議の口火として臣下の一人に報告を促した。長期にわたるエルフの魔導製品のタダ同然の供給によって、以前とは異なり信頼のおける隣国としての地位が確立しており、重要な議題として扱われていた。


「はっ! この度、工業都市における製鉄で発生する有害な排気を浄化する魔導製品を開発したので、ドワーフへの便宜を図って欲しいとの要請でありました!」

「おお、それは重畳。早速、工業都市に使者を送らねばな」


 工業振興を担当する大臣の一人が渡りに船とばかりに飛びついた。ここ二十年の発展で需要が倍増した鉄の生産により、すでに工業都市で蔓延する煤という形で住民の肺を犯し始めていたのだ。


「それだけか?」

「いえ! その魔導排ガス浄化装置なるものの普及にあたり、円滑に普及させるめるために工業都市のドワーフに土産を用意したとのことです!」


 そう報告を続けたかと思うと、待機していた王宮メイド長に合図をして、琥珀色の飲み物が入ったグラスが配膳された。


「毒味は済んでおります」


 配膳されたグラスを手に取り鼻を近づけると独特の香りがした。どうやら酒のようだ。一口飲んでみると、酒精の強さを感じながらも滑らかな喉越しとスモーキーな風味が鼻を突き抜けた。控えめに言っても旨い。


「ウイスキーという新しい酒で、配膳されたものはそれを水で割ったものとなります」


 これで薄めているというのか。ずいぶんと強い酒のようだ。なるほど、ドワーフへの土産とはこれのことか。酒に異様に強いというドワーフにはうってつけだ。

 この時代、ブレイズ王国では東の穀倉地帯の麦を使ったエールくらいしか酒は存在しなかった。フィスリールが試飲したエルフワインはエルフの里の各家庭で作られる自家製のワインであり、市場に出回ることはなかったのだ。ドワーフ向けというこのウイスキーという酒は、人間には十分な完成度をもつ酒として認識された。


「エルフは酒作りも一級品というのか!」

「この芳醇な香りに煙を燻したかような独特の風味が癖になりますな」

「これは是非とも私どもにも売って欲しい!」


 口々に称賛の声を上げる大臣達を目線で制して静けさを取り戻すと宰相に進行を促した。


「報告の続きを」


「はっ! 空気を浄化する魔導製品と酒を作った幼子を連れて行くので、ドワーフの工業ギルド長グスタフと、主だった腕利きの親方衆との会合を望むとのことです」

「かのエルフの女子おなごが作ったというのか、この酒を!」


 かつてエルフとの会合に遣わした使者に随行した、今では初老となった魔樹師団長が驚いた様に声を上げた。紫銀の髪に碧眼の瞳が美しいと聞き及ぶエルフの女子おなごが、この如何にも中年受けしそうな渋い酒を作り出したことが余程意外だったらしい。

 まて、ということはエルフィール商会に頼めば、この旨い酒を購入することができるのではないか?

 期せずして入手経路に気がついた王は、内心の後日の楽しみをおくびにも出さず、なに食わぬ顔でエルフへの便宜を指示し、会議を閉じた。


 しかし、ウイスキーの入手経路に気がついたのは王だけではなかった。病床の王に代わって統治する年若い王子を支えてきた有能な大臣たちが、それに気がつかないわけがなかったのだ。後日、王を含めたブレイズ王国の重鎮たちからエルフィール商会宛にウイスキーの注文が殺到した。


 ◇


「そんなにあるわけないじゃないの!」


 フィスリールは殺到したウイスキーの注文に声を張り上げた。大体、これから二十年、三十年と熟成して本当の完成を目指す分も残していかなくてはならないのよ!


「まあ、そうなるわな」


 この成り行きを当然のように見越していたじぃじは殺到した注文に嬉しくもない悲鳴を上げる孫娘を見てそういった。この酒は、ドワーフ受けするかどうかを置いておいても、人間の中年以上の嗜好に適合しすぎていた。オールドビンテージワインを手慰みとばかりに作れる長老には、それが身に染みて、いや、舌に染みてわかっていた。


“ウイスキーは、旨い“


 荒削りと言ってもそれはエルフの水準の話であって、人間には十分に過ぎるだろう。これが孫娘に到来すると予期していた第一の試練だった。


「おらぬ精霊の雫は落ちんじゃろ」


 ない袖は触れぬという人間の慣用句のエルフのいい回しを述べたカイルは、孫娘に増産するにしても必ずしも需給を満たす必要量を完全に用意する必要はないとアドバイスした。

 発芽の具合を精霊に伝え聞いて常に最適なタイミングで乾燥させたり、精霊に働きかけて熟成の温度や湿度を維持させたりする様なエルフじみた真似は無理であろうが、酒は人間にも作れるのだ。高出力魔導製品のように秘匿する必要がないのであれば、人間の需要は人間が満たすのが良かろう。


「それもそうね……エルフのみんなに毎回助けてもらうわけにもいかないし」

「エルフは言われなくても作るじゃろ」


 特に長老衆どもはな。と、異なる条件のウイスキー樽の組み合わせに「ワシが考える最高の組み合わせ」を発表し出して沸いた長老会の様子を思い出して言った。


「だからこそ酒造記録も見せたことだしの」


 そう続けたじぃじの言葉に予測済みだったことに気がついたフィスリールは、改めてじぃじはすごいと感心するのだった。

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