第4話 エルフの長老会
フィスリールは浄水設備用に魔導工学を応用した汚水浄化ユニットの作成に取り組んだ。最初は大規模な貯水槽で水をかき回したりバクテリアを利用したりする考えも浮かんだが、魔法が使えるこの世界でそんなまどろっこしいことは必要ないとばかりに、直接、純水とそれ以外を分離して焼却処理する魔法陣を組み込んだ魔導ユニットを作った。
これを少し大きくして下水を処理して純水を川に戻すようにして焼却処理したものを畑の肥料などに利用すれば大きな問題はなくなるわね。あれ? 生活排水はともかく、糞尿はトイレに設置すれば即処理できてしまうのでは? そうして完成した試作ユニットをじぃじに渡した。
実際の処理をじぃじに見せると、なるほどのぅ良く出来とるわいと納得し、長老会で議題に挙げることを約束してくれた。
◇
エルフの長老会ははっきりいって何も話すことはない。問題が発生することなどほとんどないし、あるとすれば子供が生まれた知らせを共有することくらいだ。そんな定期寄り合い所帯で、珍しく提案が出た。
「カイル、人間のために浄化魔具を作るなど、お主の孫娘は変わっておるのぅ」
持ち寄られた試作ユニットの出来栄えを見ながら、長老衆の一人が感心したような呆れたような声を出した。長老たちの時間感覚では“ごく最近“に生まれたハイエルフの先祖返りの幼子が、人間の森林伐採や水質汚染を止める妙案として、魔導工学による動力、エネルギー出力、浄化ユニットを与えて疫病や洪水、土砂崩れなどの被害から守ってやろうというのだ。
変わっているといいつつも、同じ年齢の人間どもには到底考えられない構想に、カイルの孫娘の聡明さに長老衆たちは内心で舌を巻いていた。
「人間どもは戦争の真っ最中じゃ。善意の意味を理解できんじゃろ」
森を伐採したまま放置すると起きること、糞尿や水質汚濁で発生する疫病で容易に滅亡の危機に陥ること。どれも人間には理解できない、いや、教えても忘れてしまうのだ。
エルフの幼子の優しい心意気になんとかしてやりたいと思うのは共感するところだが、その幼子の真心を受け取るには人間は愚かに過ぎた。
「我らのことを覚えておるかわからんが、知らせるだけ知らせるのも一興かもしれんの」
知っていれば無視はできまい。戦争中の両軍まとめて吹き飛ばすことも造作もないのだ。知らずに無視するのであれば、記憶が風化したと判断できる。その場合は、幼子を人間に近づけるなど出来はしない。いずれにしても判断材料が手に入るというわけだ。
◇
長老会の結論として、一旦、様子を見る意味で東のブレイズ王国、西のガンドゥム王国にエルグランド共和国として親書を届けることになった。
親書を受け取ったガンドゥム王国は、ほぼ交流がないエルフがどういうつもりかわからず疑心暗鬼になり、技術供与の話を断った。ブレイズ王国も、親書を受け取る際には持ち帰り検討すると答えたものの、交流がないエルフの話をどう扱ったものか対応に手をこまねいていた。
ブレイズ王国では、建国前に存在していたロイドバーグ帝国が一夜にして壊滅に追い込まれた報復の歴史を、ロイドバーグの悲劇として辛うじてとどめていた。伝承によれば、里の子供を攫われたエルフたちは羅刹と化し、その魔法は一撃で砦を吹き飛ばし、その剣技と弓術は一騎当千の武威を示したという。長い時を経た今では誇張した表現ではないかと思われているが、ガンドゥム王国とブレイズ王国の二国を合わせた帝国がなすすべもなく崩壊に追い込まれたのは確かなのだ。対応は慎重にすべきだろう。
そんな経緯から喧々諤々の閣議が開かれていたが、
「別に断る理由もあるまい」
病床に伏せる王に代わって統治を代行する年若い第一王子の鶴の一声で受入が決まった。
受け入れを伝え聞いたフィスは喜び勇んで
「わぁーい! じゃあ早速行ってくるわね!」
と、飛び出だそうとするところをガシィ! とばかりに両親から肩を捕まれ釘をさされた。
「パパとママが代わりに行ってきてあげるからフィスはお留守番よ」
「どうしてママ。大丈夫よ!」
「フィスになにかあったらパパは死んでしまうよ」
祖父カイルは、そんな様子を見ながらやはり自分で行く気だったかと、ライルとユミールに目で注意を促しておいて正解じゃったと目をなでおろした。
「じゃがまぁ……」
と、耳を垂れてしゅんとした表情の私を見て、次いで長年付き添ってきたファールに目をやり目線で頷きあうと、
「じぃじとばぁばから離れないと約束するなら、連れて行ってあげんこともないのぅ」
それを聞いたパパとママはとんでもないと声を上げた。
「お義父さん! フィスはまだ二十歳になったばかりなんですよ!」
「そうだ! 矢が一万本飛んで来ただけで死んでしまうかもしれないじゃないか!」
「それは死ぬでしょう、ふつう」
私がそう言うと、
「「ほら!」」
と鬼の首を取ったようにじぃじに詰め寄る。どうやらエルフたる者、一万本の矢が飛んできた程度なら普通に対処できて当然らしい。ここは修羅の国なのかしら。
「じぃじとばぁばが両脇におってかすり傷一つでもつくと思っておるのか?」
それでも心配とああだこうだ話していたが、絶対離れないという約束で連れて行ってもらえることになった。
「じぃじ大好き!」
フィスはカイルに抱き付くと、満面の笑みを浮かべた。
◇
「カイルも孫娘には甘いの」
長老会で孫娘を連れて行くことを話すと、しょうがない爺じゃと長老衆から笑いが漏れた。
「おんしらも、じぃじ大好き! と言われてみぃ。人間の十万や百万どうでもよくなる」
耳を垂れてしゅんとした表情の孫娘をみて同じ行動をしない老エルフが居たとしたらエルフをやめとる。
「ワシのところはなかなか孫にめぐまれんでのぅ。もう子供が結ばれて五百、いや六百年たったか?」
「懐かしいのぅ、もう何百年前かに言われたきりじゃのぅ」
エルフの子供は貴重だ。限界集落に生まれた子供以上にどこに行っても可愛がられる。
しかし……と返書を流し見て長老の一人が面白がるように懸念を発した。
「若い王子が指揮を執っておるようじゃが、懸想されんのか」
そうじゃのぅ……と、クルクルと変わる表情を映す碧眼の瞳、陽光のもと天使の輪を描いて輝く腰まで届く紫銀の御髪の孫娘の姿を思い浮かべたカイルは、息子をパートナーがわりに付けるで心配なかろうと手を振った。
「ところで東のブレイズ王国はともかく、西のガンドゥム王国はもう記憶が風化したとみてよいのか?」
「闇の精霊に聞いてみると忘れはしたようじゃが、特に悪意はない段階で疑心暗鬼に陥ったらしい」
人間の中では海千山千の外交官も悠久の時を生きるエルフにとって、その心理状態は丸裸も同然だった。
「そうなると、ガンドゥム王国はもう準危険地域じゃな」
エルフの幼子にとって、内心でそう付け加えた。親書一つで必要な情報を手にした長老会はそう結論を付けると会合を閉じた。
◇
ブラックでボックス化で人間に技術を秘匿した場合、自分一人しか魔導工学を応用した製品を作れない。所々破綻しているが、とカイルが見越した通り、量産できないという壁に早速ぶち当たったフィスは、里の大人たちに泣きついて手伝ってもらった。そんな幼子らしい抜けたところも愛おしい里のエルフたちは二つ返事で引き受け、フィスの魔導工学はエルフたちに伝えられた。新しく覚えることもほぼない大人のエルフたちは、物珍しさも手伝ってあっという間に熟練していった。
そんなエルフたちの助けを借りてトイレや浄水設備向けの浄水ユニットを量産したあと、魔導工学を応用した製品の宣伝のために試作品をいくつか用意した。熟練工と化した里の大人たちもあれこれ工夫した品を出したため、エルフの里はあっという間に今まで以上にクリーンで環境に配慮したまま近代化していった。
「ますます人間にくれてやるには勿体なくなってしもうたのぅ」
里のご自慢魔導製品の品評会を開いた長老会のエルフたちは笑いながらそう漏らすと、「すごいわすごいわー!」と紫銀の髪を振り乱して無邪気に喜ぶ幼子の姿に目を細めた。
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