2.姫の牢屋

 魔王様と別れ、私はチェル様について歩いて行くこととなった。

 魔王城の廊下は高そうな絨毯や調度品がちらちら見えるけれど、荷物が重たくてそれどころじゃない。チェル様に置いて行かれないように必死に歩く。


 歩いているとチェル様が突然止まった。チェル様にぶつからないように止まり、チェル様を見上げる。


「……本当に俺が持つのはこの二つで良いのか? 俺の持っている荷物のが小さいみたいだが?」


 私の視線がチェル様の目にいくと口を開いた。それからチェル様の視線は私の右手へうつる。


「自分の荷物ですし。持って頂くのも申し訳ないです」


 ここに入っているのは私の着替えだ。自分の荷物を持つのは当たり前で二個持ってくれただけでとても助かっている。これ以上甘えるわけにいかない。


「俺はさっさと部屋に向かって部屋に帰りたい。右手に持っている荷物を床に置いてくれ」


 チェル様が言い切った。重くて遅いのは目に見えている以上、持てると返答しない方が良い。頷いてからそっと荷物を床に置くとその荷物をチェル様が軽々持つ。

 チェル様は細身で、パッと見あまり筋肉はついていないように見える。それなのに荷物を三個も持っているのに表情が変わらない。細マッチョなのだろうか。

 見た目のは儚げ美青年のせいか、軽々持っているのはとても不思議な光景だった。


「なんだ? そっちもか?」

「いえ、軽いです。それよりも三つも持ってもらって助かるのですが、申し訳なくて」


 みとれてしまった。チェル様の言葉に意識が戻ると急いで答える。


「持てない重さではない。のんびり歩かれる方が迷惑だ。ほら。話している暇があったらさっさと部屋に行くぞ」

「はい」


 すぐにチェル様が先へと進んだ。私も置いて行かれないように続いて歩いた。

 荷物を持って頂いたおかげか先ほどよりも歩くのが楽だ。言葉や態度はそっけないけど、チェル様は優しいな。


「チェル様。ありがとうございます」


 手間を取らせないように歩きながらチェル様に声をかける。

 チェル様は再び止まると私の方向を見る。表情からは何を考えているか読み取れなかった。


「礼を言われることはしていない。それよりも姫。俺の事はチェルで良い」

「チェル?」

「言われ慣れていないのは気持ち悪い」

「それでしたら、チェルさんはダメですか?」


 どうしよう。チェルさんは私より年上だと思う。二十四、五才くらい。魔物さんのようなので見た目から判断するのは難しいけれど。だが年上っぽい男性を呼び捨てにするのは流石に抵抗がある。恐る恐る聞いてチェル様の様子を見る。


「さんなら他の魔物と同じだな。わかった。それにしても人は荷物が多いな。何を持ってきたんだ?」

「着替えです。魔王様がもう城に戻ってこないからあった方が良いと」

「人間の引っ越し荷物と考えると少ないな」


 荷物が多いと言われると思っていた。だからそれは意外だった。突き放すような乱雑な口調の割に所々で寄り添う言葉をかけてくれる。不思議な魔物さんだ。


「たくさんです。こんなに持たせて頂いて助かりました」


 着替えに夏服冬服。予想していた四倍以上も持ち込めた。上着だけでもと思っていた私にはとてもありがたかった。チェルさんはそんな私の言葉に顔をしかめる。


「まさか影武者とかじゃないよな?」

「影武者?」

「いや。何でもない。あいつが偽物をつかまされることはないだろうしな」


 確かに所謂お姫様とは大きくかけ離れている自覚はある。だが今は囚われの身だ。自分の行動が自分の今後の待遇に関わってくるくらいはわかる。


「捕まっているんです。なるべく手間をかけさせないようにします」

「そうだな。ん? お前はこんなにのんびり荷物を持っていて良いのか? 捕まってるんだぞ。抵抗しないのか? 突然こんな所に連れて来られたんだろ」

「抵抗して状況が好転するなら、もちろん抵抗します」


 ただの姫が魔王様に敵うわけなんてない。それにこの展開は決まっている。抵抗するだけ無駄だ。下手に抵抗して魔王様の機嫌を損ねるよりも、従順に接した方が良いことくらいわかる。


「自分の立場を理解しているのか。こちらは助かるが」

「私なんか魔王様の攻撃で一発ですからね。それに魔王様に逆らわなかったら荷物も持ち込めました。とてもありがたいです」


 凍えずにすむ。本当に良い収穫だ。魔王様には逆らわず。巻かれる。そう考えながらチェルさんへ返事をした。


「俺は荷物持ちなんて仕事が増えた」

「次は往復が出来るように信頼してもらいます」

「往復しているお前を誰が監視するんだ?」

「そうですね」


 いずれにせよチェルさんの手間が増えるには間違いなかった。

 人質らしくは難しいが、なるべくチェルさんに手間をかけないようにしよう。


 歩いているとチェルさんがそこだと私に声をかける。チェルさんを見ると視線は近くにある扉に向かっていた。


「姫。そこの部屋だ。両手が塞がっているから開けてくれ。鍵も即死トラップもついていないから、普通に開けて問題ない」

「はい」


 即死トラップと言う単語にびっくりするが、チェルさんの言われた通り扉を開ける。

 扉の先はとても綺麗な部屋だった。落ち着いた色のカーペット。目の前のクローゼットの扉も漆でも塗られているみたいで、自分の顔が見えるくらいにツヤツヤしていた。

 まだ入り口だけしか見ていないが、ホテルの一室のようだ。一泊四、五万くらいしそう。


「ここ、ですか?」


 間違えていないだろうか? 前世に漫画やアニメで見ていた鉄格子の牢屋を想像していたこともあり、目の前の光景が信じられない。

 確かめるようにチェルさんに聞くとチェルさんはそのまま相づちをうった。


「ああ、ここだそうだ。どうせお前の計画通りなんだろ」


 そのままチェルさんは中に入ると荷物を置く。私も急いで中に入り、ドアを閉めるとその横に荷物を置いた。


「いえ、そしたらもう少し荷物が減っていました」


 見るからに寒さに震える必要がない部屋だ。毛皮はいらないのがすぐにわかる。荷物を見ながら言った。


「そうか。次は魔王にちゃんと最初に言っておけと伝えとく」

「言えませんよ。私は自分の立場を理解しているんですよ。魔王様にもチェルさんにも逆らいません!」


 先ほどのチェルさんの言葉を借りながら言う。小さな反抗もごめんだ。


「そうだったな。この部屋は俺も使ったことがないから良くわからない。勝手に調べて好きに使ってくれ」

「はい」

「鍵は開いているが、逃げるなんて考えないことだな。怪我なんてされたら面倒だ」


 逃げるつもりは全くない。だが怪我なんてと言う部分が気になる。即死トラップなんて言葉がさらりと出てくる城だ。ここは部屋の中で大人しくしているのが一番だ。


「自分の命が惜しいですし、余計なことはしないですよ」

「それは助かる。俺も面倒事はごめんだからな」

「はい」

「ここまで素直だと助かるな。姫。荷物はどこかに移動するか?」


 再び荷物を持とうとするチェルさんの前に立つ。重いのにこれ以上運んで貰うのは悪い。


「後は片付けるだけですし、そのままで大丈夫です。運んで頂きありがとうございました」


 ここまで運んでもらっただけで充分だ。


「……自分で仕舞えるのか?」

「もちろんです。クローゼットをお借りしますね」


 さすがにダメとは言われないと思うが、念のため確認しておこう。ここは魔王様からお借りした部屋だ。囚われの姫らしく、謙虚でいるのが良い。


「ああ。勝手にしろ」

「ありがとうございます」

「お前。さっきから捕まっているのにお礼を言うなんておかしいだろ」

「ここまで案内してもらったんですよ。それに荷物を運んで頂きました」


 偶然居合わせたからと言う理由でここまで巻き込んでしまった。お礼を言うのは当たり前だ。

 それに居合わせたのがチェルさんで良かった。そんな気持ちも伝えたかった。


「全く調子が狂うな。他に確認することは……。そうだ。風呂は一人で入れるか?」

「お風呂?」


 どう言う意味だろう。子供じゃあるまいし。


「溺れたりとかされたら面倒だ。後、服が着られないと裸で目の前に来られたら、面倒だ」

「そ、そんな事しません! 一人でお風呂も着替えも出来ます」


 裸でチェルさんの前とかとても恥ずかしすぎる。

 そう言えばおとぎ話のお姫様なんかが着ていそうな服は一人では着られないものが多い。私は幽閉生活が長いせいか、与えられる服は一人で着られる服が多い。今回持ってきたものも全て一人で着られるものだ。そこらの姫と違う。そこは安心して欲しい。


「やっぱりお前、影武者とかじゃないよな」


 チェルさんが怪訝な表情をした。そうだよね。良く考えるとおかしい。手がかからないことは良いことだと思っていたが、このままだと逆効果になってしまいそうだ。


「証拠が……。そう言えばこの黒目はあまりないと聞いた事が」

「そうだな」


 チェルさんが私の黒い目を見ると苦い顔をした。それは私の周りの人間と同じ表情だった。


「嫌なものを見せてしまいました」

「いや。ここは綺麗だと思うヤツが多い。気にするな」


 綺麗と言われるのは初めてだった。だが、チェルさんの今している表情は綺麗という表情ではない。


「チェルさんは?」


 どう思っているんだろう? 綺麗とは言わないのはわかるが、気になった。


「面倒事が増えそうな目だと思う」


 ある意味予想通りの答えだった。チェルさんの物事の基準は面倒かそうでないかの二択だ。ここまではっきり言われると逆にすがすがしい。

 それよりも面倒事が気になる。たかが目の色なんて思っていたがそうではなさそうだ。

 黒目の人は少ない。と言うか見たことがない。魔王様は……赤が混じっていた。キャラデザの影響なんて考えていたが、何かあるのかもしれない。


「面倒事?」

「綺麗だとまとわりつくヤツが出てきたら面倒だ。それだけで別に大した話ではない」

「そうですか」


 確かにお姫様だし野次馬なんか来たらチェルさんは嫌だろうな。話している限り誰かと関わる事があまり好きではなさそうだ。


「ああ。だからこの部屋から出るなよ。それより話を戻す。必要なのは飯と掃除だったな。身の回りの世話は不要で良いな」

「はい」

「そうか俺はもう戻る。次は明日。飯を持ってくる。死に関わることが出てきたら言ってくれ。お前が死んだら魔王にどやされる」


 チェルさんはそう言うと部屋から出た。死に関わること。死に直結するような困ったことが出てきて言ってくれと言ってくれたんだと思う。確かに私が死んだらチェルさんは怒られる。気を付けよう。

 それからチェルさんの足音が遠のくのを確認してから小さくため息をついた。とりあえず私は大人しくしていれば、最低限の生は保障されるようだ。きちんと人質をこなしてみせよう。


 お風呂に入り寝間着に着替えるとベッドに入る。ベッドはふわふわとしているけれど、ちょうど良い反発だった。

 心地良いくてこのまま眠りにつきそうだが、今までのことを考える。

 チェルさんにラビア様にユン様。私の知らない名前が多い。別ゲームだと言われても納得してしまうほどだ。そもそも四天王は出てこなかった。

 そもそもあの魔王様はなぜ私をさらったのだろう。

 と言うか勇者もだ。日常茶飯事に暗殺される姫を助けに来る? 今までゲームの世界だからと気にしていなかったが、頭にさまざまな疑問が並ぶ。


「わからない」


 考えても答えは出ない。これならアヴェンチュラーミトロジーの考察をもう少しすれば良かった。どちらかというと私は戦闘の方に夢中だったからな。魔王様をどれだけ早く倒せるかとか。勇者に転生しないと役に立たない知識だ。


「まあ良いか。魔王様は優しいし」


 大人しくしていれば危害を加えられることは今の所はなさそうだ。下手に動くよりこのまま大人しくしていた方が良い。それにーー


「居心地が良い」


 ここは夢みたいだと思った。人として扱ってもらったのは初めてかもしれない。

 私はこの世界の家族の顔も見たことがない。

 父さまは国王だから私に構う時間はないし、母さまは私を産んですぐに死んでしまったらしい。兄さまや姉さまもいるらしいが会う機会はなかった。

 家族からは見放され、城での生活も散々な扱いを受けていた。


 魔王様のように優しく笑いかけられたのは覚えている限りでは初めてだし、チェルさんは乱雑な言葉遣いをしているが、城の人達とは全く違うものだった。


「夢かもしれない」


 起きたらまたあの城に戻っているかもしれない。それならこんな好待遇も考えられる。まだ覚めたくないな。そう思いながら私はゆっくりと目を閉じた。

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