第24話 元勇者の魔王、問答は無用に
薄暗く狭い室内には、誰の姿も無い。
床板は存在せず、地面が剥き出しとなっていた。
そして中央にはポッカリと口を開く穴。
縄梯子がかけてあり、間違いなく地下に移動したであろうことが窺い知れる。
冒険者が時間をずらしてこの場所に赴いている様子から察するに、この場に長居すれば他の冒険者と鉢合わせるのは想像に難くない。
魔法で地下の様子を探っておきたいところだが、ここは意を決して地下へと向かうことにする。
縄梯子に身を預け、地下へと下りる。
縄梯子を下りてゆくと、底部から明かりが漏れていることに気が付いた。
どうやら、かがり火だか松明だかが備え付けられているらしい。
聴覚を主として、気配に注意しつつ、慎重に残りの距離を消化していく。
誰にも遭遇することなく、穴の底へと辿り着いた。
そこは下水道ではなかった。
そもそも穴に入った時点で悪臭を感じなかったことからも、そうだろうと察しが付いてはいたが。
大人が三人並んで歩ける程の広さの洞窟。
どこか見覚えがあった。
薬草採取の際に入った洞窟の造りに、どことなく似ている気がする。
かつて洞窟の奥で目にした光景を思い出し、思わず渋面を浮かべてしまう。
ここでも、あのような蛮行が行われているのだろうか。
どうにも嫌な想像しか浮かんでこない。
前回は盗賊だったらしいが、今回は冒険者だ。
そんな真似はしていないと思いたいが、王都の地下にこんな洞窟を隠匿している時点で、後ろ暗いことがあるのだろう。
精神的な負荷によるものか、踏み出す一歩が重たく感じられる。
だが、ここで時間を浪費してしまえば、その分、失われる命があるかもしれないのだ。
不安を隅に押しやり、二歩目三歩目と足を前へと動かす。
歩みは次第に速度を増し、今や駆け足だ。
等間隔に松明が壁に設置されており、明るさは十分に確保されている。
これならば壁に手をついて、慎重に進む必要もない。
極力足音を出さぬよう、しかし、最速を維持するように洞窟内を駆け抜ける。
――と、道が複数に分岐した地点に辿り着いた。
一度足を止める。
この場所からでは、道の先を見通すことは叶わない。
仕方が無しに目を閉じる。
視覚を遮断し、他の感覚に集中する。
聴覚には……反応は無い。
直前にここへ入った冒険者は何処に行ったのだろうか。
触覚には……複数の空気の流れを感じる。
となれば、目指すべきは空気の流れが無い通路。
この洞窟の出入口ではなく、最奥だ。
しばらく道なりに進むと、遠くから声が聞こえてきた。
足音を殺し、その場所へと慎重に距離を詰める。
次第に耳に届く声が意味を成してゆく。
十分に聞こえる位置で壁際へ身を寄せ、会話を盗み聞くことにした。
「――ほれ、今回の分け前だ」
「あん? ……おいおい、これっぽっちかよ!? ふざけんな! ちゃんと言い値を払いやがれ!」
「これでは素材にも売り物にも適さない。要望どおりでは無いのはそちらの方だと思うが? 違うかね?」
「ざけんな! そうそう思惑どおりに捕まえられるわけねぇだろうが! いいから払う物払えってんだ、コラァ!」
「こちらも商売なんでね。商いで大事なのは信用と品質だ。今回はそのどちらも満たせてはいないようだが?」
「オレたちはこうして商品を用意してみせたんだ。今更ごねるんじゃねぇよ、この業突張りの商人風情が!」
「……ふぅ、話になりませんね。いつもどおり、成すべきことを成してくれてさえいれば良いものを。誰のお蔭で今も稼ぐことができているのか、お忘れなのではありませんかな?」
「一人で稼いでるつもりか、テメェはよぉ!? オレたちがこうして協力してやってなけりゃ、テメェの商売だって成り立たねぇだろうが!?」
「――どうやら、取引はここまでのようですね。以降は別の者にお願いするとしましょう。……もうここには来ないように、良いですね?」
「いい加減にしやがれ! 勝手に話を進めてるんじゃねぇ! このまま五体満足で帰れると思うなよ!」
「それは貴方がたの方でしょう。私が雇った用心棒は元Aランクの冒険者ですよ? 束になったところで敵うはずがないでしょうに。……それとも、お試しになりますか?」
「くっ……コイツ……」
「――では、そういうことで。後、勿論言うまでもありませんが、このことは他言無用に願いますよ? もし万が一にも漏洩したと発覚すれば、貴方がたには相応の責任を取っていただくことになりますからね」
「…………クソがっ!」
「それでは、これで失礼させていただきますよ」
……話を聞いていた限りでは、商人と冒険者が何かしらの商品を取引していたらしい。
当然、非合法な品なのだろう。
それ以前に、王都地下にこんな洞窟を造っていることが、既に違法なのだが。
ここで待ち構えていても良いが、いつ他の冒険者が来るとも限らない。
別段、障害にも成り得ないだろうが、懸念があるとすれば、話に出ていた元Aランクの冒険者とやらの存在だろう。
ステータスでは負けないだろうが、所持しているスキルや装備によってはこちらの戦力を上回らないとも限らない。
やるなら相手に何もさせずに、素早く制圧してしまうべきだ。
……偶には、魔王らしくやってみるのも悪くはないかな。
ちょっとした思い付きだが、素性を隠す意味でも悪くないかもしれない。
ローブを開けて、ブラックドッグに指示を出し、黒霧を移動させる。
向かわせる先は、俺の顔。
目以外の箇所を黒霧で覆って貰う。
…………。
魔王っていうか、魔物だな、これでは。
まぁ、正体を隠せれば何でも良いか。
そう自分を納得させると、魔法を発動させた。
≪
洞窟内には、等間隔に松明が備え付けられていたが、それらを闇で覆ってゆく。
闇は次第に洞窟奥へと近づいて行き、遂には眼前の洞窟内から一切の光源が消え失せた。
当惑の声が洞窟奥から響いてくる。
その声に向け、洞窟奥へと駆け出した。
音を頼りに、近場に居た冒険者を昏倒させる。
……話を聞くにしても、冒険者よりも商人からの方が良いだろうか。
聞こえる音から、商人の位置に当たりを付け、その他の掃討に掛かる。
――と、こちらの攻撃を防いでみせる者が居た。
こいつが元Aランク冒険者か!
この暗闇の中で、こちらの位置や攻撃を把握してみせるとは。
こういった戦闘経験は豊富らしい。
――では、これならどうだ?
目を閉じ、黒霧を目の周りに集中させる。
≪
光の初級魔法。
恒常的な明かりを生み出すライトとは違い、瞬間的にしか明るくできないが、その光量はライトとは比較にならないぐらいに強い。
発動と同時に、事前に発動していたダークを解除する。
この暗闇の中で、急に強い光に晒されてもなお動けるか?
今度こそ昏倒させるべく、攻撃を放つ。
――が、今度もこちらの攻撃を防がれてしまった。
何だと!?
こいつ、魔物との戦闘よりも、人間との戦闘に慣れているのか!?
慌てて距離を取る。
フラッシュの効果が切れ、洞窟内に松明の明かりが戻ってくる。
黒霧を目の周囲から目以外の顔を覆うように移動させる。
ようやく相手の姿を視認したことで、先程の攻防の遣り取りに合点がいった。
相手は両目を横断する深い傷跡を持つ、盲目の武闘家だった。
元より視覚を頼りとせず、他の感覚によりこちらの動きに対応してみせたのだ。
視覚を失って冒険者を辞めたのか、それ以前から視覚を失っていたのかは定かではないが、今も油断なくこちらに対して身構えている。
「――くそっ、一体何が起こったのいうのだ!? おい、誰か居ないのか!? 何がどうなってる!?」
声からして、先程の商人か。
未だ視力が回復してはいないらしい。
普通はそうなるのが当然だ。
「――ご主人様、賊の襲撃です。どうか、その場を動かれぬように」
「何だと!? ……いや、そうか。では、任せたぞ!」
「はい、直ちに」
そう短い遣り取りを終えた直後、相手から闘気が放たれる。
問答は無用だと、その闘気は訴えてきていた。
おいおい……これで元Aランクとか噓だろ?
伝わる闘気から、相手がSランク相当だと、直感が告げてくる。
勇者だった頃と同ランクの相手。
いや、自分と比較はし辛いか。
なら、仲間たちと同じぐらいと想定するべきかな。
とはいえ、流石に勇者だった頃ならば負けなかったことは明白。
しかしながら、レベル1の魔王の俺が、この空間でこの相手。
まともにやり合うと、こちらが不利か。
だが、弱気になってもいられない。
その理由は視界の端にあった。
頑丈そうな檻。
その中には魔物と思しきモノの姿があったからだ。
商品はやはり魔物だったのか。
我知らず、視線が鋭くなる。
相手は武闘家だ。
素手ではこちらが圧倒的に不利。
盲目相手に支援系の光魔法や闇魔法では効果が見込めない。
かといって、ここでは攻撃魔法も使えない。
ここは王都の地下、直上には王都があるのだ。
崩落でもしようものなら、とんでもない人災を引き起こしてしまうことになる。
まさしく魔王の所業だ。
勿論、そんなことをするつもりはない。
あまり頻繁に使いたくはないのだが、致し方あるまい。
地上にどれだけ影響を与えるか分からない。
できるだけ
幸いにも、こちらを視認できる連中はこの場には居ない。
なので、巻き添えを防ぐためにも、黒霧状態を解除させたブラックドッグにスライムたちが入っているバッグを咥えさせ離れて貰う。
こちらの覚悟を感じ取ったのか、相手が僅かに身動ぎをする。
勇者だった頃なら、今の隙に攻撃して終わりだったろうに。
俺も随分と弱くなったものだ。
思わずそう自嘲してしまう。
「――何がおかしい?」
すると、口から漏れた声を耳聡く聞き留めたのか、武闘家がそう問うてくる。
「…………」
返答はしない。
元より、問答無用との闘気を放ってきたのは相手側なのだ。
……それより前に俺が奇襲したわけだが。
ともかく、話すべき相手は武闘家ではなく商人だ。
今はただ、
≪
光の超級魔法。
洞窟内に先程の光魔法とは桁違いの光量が放たれる。
発生した力場に洞窟内が振動する。
目潰しは効かない。
必要なのは速度と力。
「っ!? この力……まさか、アナタは――」
こちらの力量を察してか、相手の動きが鈍った。
隙を逃さず、一撃で沈める。
直後、光体を解除する。
洞窟の状態は……?
大丈夫……そうか……?
洞窟内の振動は徐々に収まってゆき、やがて何も聞こえなくなった。
ふぅ、我ながら今回は危ない橋を渡ったな。
この場には、倒れた冒険者たちと用心棒、腰を抜かしている商人、そして檻の中の魔物、最後に俺たち。
まだ分からないことも多いが、これで最悪の事態は防げたのだろうか。
朝っぱらから働き過ぎだな、俺は。
同意を示すように、腹が空腹を訴えた。
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