第19話 元勇者の魔王、準備不十分

 ジャイアントの王都襲撃未遂から数日が経過した。


 王都北東部。


 街路を挟んだ向かい側は閑静な貴族街が建ち並び、隣には王城が聳え立つ。


 撃退した褒賞として、魔物保全機関を建設すべく準備が進められている。


 それに伴い、建物完成を待たず、人材募集も行われていた。


 けれども、魔物に対する忌避感が根強いのか、一向に集まる気配は見られない。


 未だ王城から、無害な魔物に対する施策が発表されていないことも、状況が好転しない要因の一つに思える。


 連日、王城内で会議が行われているようだが、大多数が反対の意思を示しているようだった。


 魔物の脅威は健在とばかりに、ジャイアントが襲来してしまった。


 あの日、王都へと迫り来る巨大な姿を多くの住人がその目で目撃している。


 魔物との友好など、どの面下げてと思うのも無理はない。


 思い描いていた組織の設立は叶ったが、それと同じ要因により、当初思い描いていた施策の方が暗礁に乗り上げてしまっている形だ。


 その上手くいった組織にしても、人材不足の有様。


 とても順調とは言えない状況だった。






 相も変わらず、スライム三体、ブラックドッグ一体と共に生活を送っている。


 王城で預かって貰うというのも、いつになることやら。


 それこそ、機関の完成の方が早いかもしれない。


 完成したら、機関に移り住んで貰うことになるだろう。


 まぁ、それならそれで構わないのだが。


 王城に預けるよりかは、安心もできる。


 が、問題が無いわけではない。


 ズバリ、俺以外の人間とのコミュニケーションを取る方法だ。


 スキル【意思疎通 (魔)】により魔物との会話が可能なのは、現状俺だけ。


 俺が不在の間、魔物たちとコミュニケーションが取れないのでは、魔物を保護しようという組織として立ち行かない。


 この問題は組織の活動が開始する前に解決策を見出しておきたい。


 何か良い案は無いものか。


 地均じならしが進められている機関の建設予定地を前に、昼時が迫る今まで、そう頭を悩ませていた。



「――あの、済みません」



 そんな俺に、横から女性の声が掛けられた。


 声のした方向に顔ごと目を向けると、どこか見覚えのあるシルバーブロンドのショートヘアで、眼鏡を掛けた女性の姿があった。


 周辺には貴族街か王城しかない。


 もしや、不審者と疑われているのだろうか。



「えっと、俺に何かご用でしょうか?」


「こちらに新しくできる組織で、人材を募集していると伺ったのですが」


「えぇ、まだ全然集まってなくて困っているところです。……それにしても、よく俺が関係者だとお分かりになりましたね」


「それは勿論。勇者様が責任者であるとも伺っておりましたので」


「そうでしたか……」



 しかし、よく俺が勇者――正確には元勇者だが――だと分かったものだ。


 王都の住人は、大抵が俺を勇者だと判別できなかったはず。


 もしかして、ジャイアントの一件で、認知度が上がったのだろうか?



「あの、それでですね。こちらに就職を希望したいのですが」



 そんなことを考えていると、彼女から意外な言葉が掛けられた。



「――はい? え、貴女がですか?」


「はい、私がです。こちらで働かせていただきたく、こうして参った次第です」


「勿論大歓迎ですが、雇用条件とか勤務内容とか、ちゃんと確認された方が良いと思うのですが、その辺りは大丈夫でしょうか?」


「構いません」


「??? ええっと、構わないとは、どういう意味でしょうか?」


「私が希望しているのは、この組織というよりも、勇者様の下でこそ働きたく思っておりましたので、待遇も仕事内容も何であろうとこなしてみせます」


「――え?」



 ナニイッテンノコノヒト。


 思わず脳内で片言になってしまう程に、理解できないことを言ってきた。


 勇者の下で働きたい?


 どういうこと?



「済みませんが、いまいち仰っている内容が理解できないと言いますか……」


「そう難しい話ではありません。以前から勇者様にご恩返しができないだろうかと、機会を窺っておりました」



 そう面と向かって言われても、思い当たる節は無かった。



「恩返し、ですか? 生憎と心当たりが無いのですが……」


「……無理もありません。冒険者時代のことですから、随分と昔の話です」


「冒険者……?」



 その単語に何か記憶に引っかかるものを感じて、必死に思い出そうとする。



「…………あれ? もしかして冒険者ギルドの受付嬢さんですか?」



 見慣れた制服姿ではなく私服姿だったので、すぐには気が付かなかったが、改めてそう意識して見てみれば、何度か応対してもらった受付嬢さんだった。



「……すみません。自己紹介もせずにお話を進めてしまって」


「いえ、それは構いませんが、やっぱり冒険者だったんですね。何となくですが、そうじゃないかな、とは思っていたんですよ」



 俺のその言葉を聞き、彼女は表情をどこか寂しげなものに変化させた。



「……やはり、覚えてはおられませんか。無理もありませんね」


「えぇっと、それは冒険者時代のお話ということですよね? ……だとしたら済みません。先程も言ったように心当たりがなくて……」


「勇者様は多くの人々を助けておられましたから、その中の一人を覚えておられないのも無理はありません。どうかお気になさらないでください」


「余計なお世話かもしれませんが、貴女もそんな昔のことなど気にせずに、今の職を続けられた方が良いのではありませんか?」


「勇者様は私にとって命の恩人です。そのご恩返しをせずに生き続けることは、私には耐えられません」


「…………」



 眼鏡の奥から放たれる強い視線。


 その瞳に、迷いは一切見受けられなかった。


 そもそも、こちらに拒む理由は無い。


 思い出せない事柄に恩義を感じられていることには思う所も無くは無いが、彼女の人生に俺が口を出すのもおかしな話だ。


 それはともかくとして、事前の説明は必要だ。


 建物内で魔物を保護する場合も出てくることだろう。


 そうなってから知らなかったでは済まされない。


 契約内容の詳細は、流石にそらんじることはできないため、軽く覚えている限りの契約内容と仕事内容について話して聞かせる。


 それを真剣な表情で聞く彼女。






 あらかた口頭での説明を終えたその時、アクシデントが発生した。


 バッグからスライムの一体が顔? を覗かせたのだ。



『オハナシ、オワッタ?』



 俺と共に過ごしていることで、他の人間への警戒心が薄らいでしまったのか。


 そんなスライムの言葉が頭の中に響いた。


 すぐさまスライムをバッグの中へ押し戻したので、建設現場の人には気づかれることはなかったのだが、眼前の彼女にはバッチリ目撃されてしまっていた。



「「…………」」



 お互いの間に気まずい沈黙が流れる。


 私服姿とはいえ、彼女は今も冒険者ギルドの職員だ。


 誰に見つかったら大丈夫という話でもないだろうが、今回は相手が悪い。


 恐る恐る、彼女の表情を窺ってみる。



「――そんなに警戒なさらなくても、他言したり騒いだりしませんから大丈夫です。きっと勇者様にお考えがあってのことでしょうし。それに建物が完成する前にだって保護が必要な場合もあるかと思います」



 にわかには信じ難い光景に、思わず何度もまばたきを繰り返してしまう。


 王都内で魔物を匿っていることを咎めもしないとは。


 今の言葉にしろ、周囲を気遣ってか、魔物、という単語を使わなかった。


 これは思わぬ逸材かもしれない。


 元冒険者だから万一の際の行動にも支障はないだろうし、冒険者ギルドの受付嬢を務めているのだし、事務方の作業もできそうだ。


 それに、魔物とのコミュニケーション方法について、一人で考えるのにも限界がある。


 こうして事故とはいえ、魔物の存在が露見した以上、それを黙っていてくれる相手ともなれば貴重だ。


 是非とも知恵をお借りしたいところ。



「……今更なんですが、これから少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


「? えぇ、勿論構いませんが」


「俺の泊っている宿屋なんですが、それでも大丈夫ですか? 誓って、変なことはしません!」


「フフフッ。えぇ、疑ってなどおりませんよ。ただ、先にご用件を伺ってもよろしいですか?」


「勿論! 先にそちらを言うべきでしたね。……実は魔物とのコミュニケーション方法について悩んでいまして、何か良い案が浮かばないかと相談させて貰いたかったんです。急にこんな話をして申し訳ありません」


「――確かに、外で話す内容としては周囲への刺激が強過ぎますね。分かりました。お付き合いいたします」


「本当ですか!? ありがとうございます。では、済みませんが少しの間、お時間をいただきます」


「いえいえ、勇者様のお役に立てることでしたら、私としても喜ばしい限りです」



 部屋に来て貰うのは、周囲に配慮しただけでなく、実際にスライムやブラックドッグに会って貰おうと思ったからだった。


 彼女がどう反応するのか。


 そして、魔物たちがどう反応するのか。


 期待よりも不安が多く感じられるが、何事も試してみるしかあるまい。


 二人分の靴音を響かせながら、宿へと向かった。





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