第16話 元勇者の魔王、不穏なハイキング
ローブをはためかせ、一路、道具屋へと急ぐ。
昨晩の臨時収入が無ければ困った事態となっていたところだった。
エーテルは高価な薬。
採取クエスト数回分もの値段がする。
つまりは、採取クエスト1回分で済む自分の食事代よりも高い。
まさかの出費である。
月下草ならお釣りが来るが、そう何度も手に入る物でもない。
数も時期も限られている。
これでブラックドッグに食事を与えられれば御の字なのだが。
しかし、スライムとブラックドッグだけでこの有様か。
今後も保護する対象が増えるなら、その度にこうした問題は浮上しそうだ。
もういっそのこと、図鑑のような本を作ってしまえば、後々楽かもしれない。
この場に魔法使いがいてくれたなら。
記憶力がとても優れていたので、道中で遭遇した魔物についても覚えていることだろう。
本作りにはもってこいの人材と言える。
問題は、作っても需要が少なそうなことか。
本はとても高価なもの。
一般人には、生涯お目に掛かることもないほどに。
国の書庫以外だと、商人や貴族ぐらいしか買わないだろうし。
内容からして、今のご時世では、誰も魔物に興味は示さないかもしれない。
そもそも、写本には相応の時間と人手も掛かるわけだしな。
そんなことを考えている内に、道具屋へと辿り着いた。
店内の品を物色していく。
何か見慣れない品も多いな。
勇者として旅をしていた時には、目にしたことの無い品が散見される。
平和になったうえに、どんどん便利になっていくのか。
それはきっと、良いことなのだろう。
その裏に犠牲が無ければ、だが。
この中の幾つかは、魔物の素材を原料としているかもしれないのだから。
以前は気にも留めなかった事実なのに。
それらを横目に、目的の品の前で足を止める。
すると、ローブが勝手に動くのを感じた。
内側の霧化したブラックドッグがエーテルに反応しているようだ。
これはもう間違いないかもしれないな。
とすれば、今後の課題はこれを定期的に購入するだけの資金調達になるか。
流昨晩の報奨金の殆どは宿屋の女将に接収されてしまったから、手持ちでは直ぐに底をついてしまう。
自分の食事代ならまだしも、エーテルを定期的に購入するためには、今の採取クエストでは費用対効果が悪過ぎる。
せめて一回のクエストで一本分以上の収入を得ないと、それこそ一日をエーテル代稼ぎに使う羽目になりかねない。
いや、そもそも一回の食事にどれぐらいの量のエーテルが必要かもまだ不明だ。
それを一日何回必要とするかも、だ。
…………。
どうやら、まだまだ金策に奔走せねばならないらしい。
緑色の液体が入った小瓶を1つだけ手に取り、カウンターで清算を済ませる。
今朝方受けたクエストは薬草と毒消し草採取の2つ。
どちらも昨日の山で取れるはずだから、当初の予定どおり、山へ向かうとしよう。
そこで皆で食事が取れるように、俺も何か軽食を買っていくことにした。
曇天の今日は、空を見ただけでは時刻が判り辛い。
加えて、今朝は久方ぶりに朝食を取ったわけで。
腹の具合も今日ばかりは当てになりそうもない。
昔の勘を頼る。
曇天とはいえ、辺りを見渡せる程度の光量はある。
日が沈む頃合いになれば、途端に暗くもなるだろう。
それまでに用事を済ませてしまえば良い。
山に到着し、まずは周囲に冒険者が居ないかを確認して回る。
昨日とは違い、気配は無い。
適度に開けた場所まで移動し、早速食事を取ることにした。
スライムたちが周囲の落ち葉を食べながら移動しているのを横目に、お座り姿勢のブラックドッグの口へとエーテルを与えてみる。
すると、摂取した瞬間、人間と同じく、全身から淡い光を放って見せた。
普通はエーテルを飲んだところで魔力が回復だけのはず。
喉が潤うというものでもない。
果たして、これで本当に腹が膨れたのだろうか?
適量が分からないので、とりあえずそのまま一本分を与えてみる。
特に表情に変化は見受けられないが、尻尾が勢いよく振られているのを見るに、少なくとも悪くはないようだ。
少し様子を観察してみるが、更に要求して来ることも無い。
これで衰弱していくようなことが無ければ、妖精と見なして良さそうか。
とはいえ、日にどれぐらいの量が必要かも定かでは無いしな。
様子の変化には、十分注意を払っておくべきだろう。
まあ、今から気を揉んでも仕方がない。
自分も食事にありつくことにする。
こうやって山で食事を取ってみると、今日が曇天なのが残念に思えてくる。
いつもであれば晴天が好ましくない俺ではあるが、こういう場合に限って言えば晴天の方が気分も良い。
程よく腹は満たされた。
少し食休みをしてから、採取クエストを手早く済ませてしまおう。
だが、その後はどうしたものか……。
昨日はブラックドッグを見つけただけだったが、もしかしたら、この山にはまだ他の魔物などが居てもおかしくはない。
少しだけ、山とその周辺を見て回ってみるとしよう。
当面の指針を立て終わり、その場で仰向けに倒れ込む。
今朝は久々の朝食にありつくために早起きした所為か、少し眠い。
あー、このままじゃ寝そうだな。
そう思いはするものの、起き上がる気力が湧いてこない。
そのまま眠りに落ちそうになる。
――が、不意に身体を預けている地面が揺れたような感覚。
地震か?
眠気も忘れて身を起こす。
しばらく揺れを警戒してみるが、特に変化はない。
……気のせいか?
まぁ、揺れを感じたというより、揺れたような気がした、ぐらいだった。
ここ数年、王都で暮らしているが、地震を経験した覚えがない。
地盤の関係か、この付近に震源となるようなものが無いのか。
とはいえ、人間の時間の感覚に合わせて地震が発生するわけでもない。
今までなかったからといって、急に大きな地震に見舞われないとも限らない。
備えると言っても気構えぐらいなものだが、平和だからこそ、そういったものにも警戒すべきだろう。
何だか眠気も失せてしまったし、散歩がてら山を散策することにした。
スライム三体とブラックドッグ一体を伴って、山道をのんびりと歩く。
急ぐ理由も無い。
むしろ、ゆっくり歩いて魔物の姿や痕跡をこそ探すべきだろう。
視覚や聴覚をより意識しながら、歩みを進める。
『オヤマ、オサンポ!』
『クウキ、オイシイ!?』
『サカミチ、コロガリ?』
そんなスライムたちの声を頭の中に響かせつつ、転がりゆくのを阻止しておく。
ちなみに、スライムには口も鼻も備わっていない。
目しか無いのに、空気の良し悪しが分かるのだろうか?
まだまだ理解しているとは言い難い。
それにしても、冒険者の姿をとんと見かけない。
日々、大勢が冒険者ギルドに詰め掛けているのに、外でこれ程までにその姿を見かけないのは不思議というより不気味だった。
勿論、俺とは依頼がバッティングしていないだけかもしれないが、それでも冒険者ギルド内に居た数と、外で見かける数が不一致に過ぎる。
数十人も、日々何のクエストをこなして生計を立てているというのだろう。
平和なら平和なりの需要があるのかもしれないが、どうにも不安が頭を
あの洞窟内での一件のように、また俺の知らない場所で魔物が被害を受けていたりはしないだろうか。
もしかしたらこの山の何処かにもあのような穴が空いており、その中ではまさに今この瞬間にも――。
そんな想像までもが浮かんでくる。
悪い想像を置き去りにするように、前へと進む。
不安になる前に、まず動け!
不安の芽を片端から潰して回れば良い話だ。
それこそ、冒険者ギルドから出た冒険者の後を付けてみるぐらいのことをしてやれば良い。
気にはなるし、今度、実践してみるとしようか。
そう頭に覚え書きを残しつつ、山の散策を続ける。
何とも静かなものだ。
落ち葉を踏む音と、風により葉や草が揺れる音だけが響く。
こんな静けさはいつ以来だろうか。
王都の喧騒が嫌いと言うわけではないが、長年冒険を続けていた身としては人々の喧騒よりも、自然の環境音の方が耳に馴染むというもの。
――と、そこで疑問を覚えた。
静か過ぎる?
そう、静か過ぎるのだ。
いくら何でも静か過ぎる。
思い返せば、山に入ってからというもの、鳥の鳴き声を一度たりとも聞いてはいない。
野生の動物にしてもそうだ。
まったく見かけていない。
……どういうことだ?
他事にばかりに気を取られて、そんな違和感を見逃していた。
その場で足を止め、目を瞑って周囲の状況に意識を集中させる。
――が、やはり生き物の気配は感じられなかった。
この山の生き物は何処へ行ってしまったのだろうか?
いや、そうではない。
疑問に思うべきはそこではないはず。
疑問に思うべきは、そう、”何故”生き物が居なくなったのか、だ。
死骸は見当たらないし、死臭はおろか、血の臭いもしない。
何かに襲われたというわけでは無さそうなのだが。
『マオウサマ、ウゴカナイ!』
『マオウサマ、ボウダチ!?』
『マオウサマ、タチネ?』
いつまでも立ち止まっていることに疑問を持ったのか、スライムたちがそう語り掛けてきた。
「いえ、この山に生き物の気配がまるでないのです。それを疑問に思っていたのですが……」
『イキモノ、ソウサク!』
『カクレンボ!?』
『ミンナ、カクレル?』
一体何処で覚えたのか、人間の遊びを知っているらしい。
実は遊んでみたかったりするんだろうか?
結局、その日は夕方頃まで山を捜索してみたものの、生き物の姿は終ぞ見つけることは叶わなかった。
疑問というより不安を覚えながらも帰路に着く。
去り際、微かに地面が揺れた気がした。
曇天の夜は暗い。
月明りはおろか、星明りすらも無い夜道。
既に王都に入り、明かりが灯っていてもなお、いつもより薄暗く感じる。
冒険者ギルドで報酬を貰う際、それとなく山での違和感を尋ねてみたが、特に情報は入ってなさそうだった。
これまた久々となる宿屋の夕食のため、気持ち速足で宿屋へと向かう。
山での違和感は頭の片隅に追いやられ、期待の高まる夕食へと思いをはせる。
思わず涎が出てしまう程だ。
宿屋に着くと、その足で食堂へと向かう。
――ところを宿屋の女将に見咎められ、風呂で汚れを落としてくるように叱責を食らった。
当然、逆らえるはずもなく、スライムやブラックドッグを伴って風呂へ入る。
警戒も空しく、誰も入浴に訪れることも無く、無事風呂を終えた。
ようやく待望の夕食である。
足早に食堂の席についた俺の前に、遂に夕食がその姿を現した。
――が、随分と想像と異なっている。
妙に品数が少ない上に、ボリュームもイマイチだ。
見れば、周囲の宿泊客たちも不満を隠せない様子だった。
たまらずといった様子で、その内の一人が宿屋の女将を問い詰めてみせる。
「なぁ、女将さん。今日の夕食、やたらショボくないか?」
「あぁん!? 何だって? もういっぺん言ってみな!」
「ヒッ!? い、いやいや、すみません、ごめんなさい。言い方が間違ってました。夕食がいつもに比べて質素ではないでしょうか?」
「……今日は何処もそんな感じだろうさ。何故か今日に限って食品が軒並み品薄だったんだからね。つまり、アタシの所為じゃないってわけさ。分かったら文句言わずに食いな! もし残しでもしたら承知しないよ!」
「ハ、ハイ! 喜んで完食させていただきます!」
「言ったね? 他の連中もどうせ聞き耳立ててたんだろう? 病気を申告でもしない限り、残したら許さないよ!」
その言葉を受け、慌てたように食事を口に掻っ込む宿泊客たち。
にしても、品薄ねぇ。
王都にある全ての商店で品薄なんて、妙な話である。
これが一時的なものならば良いが、長期的ともなれば深刻な問題だ。
早々に改善されれば良いのだが。
折角、宿屋の食事を食べられるようになった途端にコレである。
随分と運の無い話だ。
夕食を綺麗に完食し、どこか物足りなさを覚える腹を抱えながら自室へと戻る。
扉に鍵を掛け、皆を室内に出す。
『オフロ、キモチヨイ!』
『オヤド、キレイ!?』
『オフロ、ノメル?』
「お風呂のお湯は飲んじゃ駄目です。汚いですからね」
スライムたちの声に合いの手を入れつつ、寝る支度を整えていく。
ブラックドッグはというと、俺がベッドに横になるのを待っているのか、ベッドのそばでお座りしながら尻尾を振っていた。
どうやら今日も俺の上で寝るつもりらしい。
特に重さも感じないし構いはしないが、二種類でこの有様だ。
今日は魔物を見つけられなかったが、いずれこの部屋が魔物で満たされる日が訪れそうで恐ろしい。
王城で場所を用意してくれるはずだったが、準備はまだだろうか。
進捗を確認できていない。
人任せにしておいて何だが、中々にもどかしい。
あちらもどうにかしてやらないと、駄目かもしれない。
けれども、そう簡単に妙案が思い浮かぶはずもない。
山で眠りを邪魔されたからか、ベッドを前に眠気が猛威を振るって来る。
抗うこともできず、ベッドに倒れ込みそのまま目を瞑る。
ブラックドッグがベッドに上がって来るのを感じつつ、程なく意識が途絶えた。
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