コラム② 段取りをこなして満足しない

 今回のお話は、文章や文法よりも、作風に関わるものと言った方が良いかもしれません。


 例として取り上げるのは、なろう小説、Y.Aさんの『八男って、それはないでしょう!』。

 いわゆる異世界転生・転移モノ、その中でも憑依ひょういタイプの作品です。


 ここで言う「憑依」とは、現代日本人の霊魂(あるいは人格、記憶)だけが異世界にやって来て、異世界に元々いた人物(本作では5歳の男の子)に乗り移るパターンのことです。

 当然、「乗り移られた方の霊魂はどうなるのか」という疑問が出てくると思いますが、なろう系の諸作品では、それは考えてはいけないことになっています。

 この奇怪な設定は要するに、主人公が異世界の情報を都合良く手に入れるための言い訳です。

 つまり、主人公が「乗り移られた方」の記憶をのぞき見ることで、異世界における自分の立ち位置を、手っ取り早く把握・確立するわけです。


 同じなろう系の『本好きの下克上』の場合は、どうやら「乗り移られた方」が熱病で衰弱した(あるいは亡くなった?)ところに主人公が乗り移り、人格が融合ゆうごうしたようだという描写があるのですが、本作――タイトルが長いので『八男』としておきます――では、「乗り移られた方」の行方は結局曖昧あいまいなままです。

 そもそもこの作品、主人公が異世界にやって来た経緯すら書かれていないので、主人公が現代日本に戻れるのか戻れないのかということさえはっきりしません。


 今回、『八男』を取り上げるのは、まさにこういった適当さを考えたいからです。




 他のなろう系作品も大概なのですが、『八男』において顕著けんちょなのは、段取りだけがあって、筋道すじみちやドラマがないということです。

 作者さんの意図として、主人公を異世界に行かせたい。でも、理由や経緯を考えるのは面倒くさい。だから本人にもよく分からないということにしておこう、という安易さが見て取れます。

 『無職転生』や『幼女戦記』(書籍版)など、主人公が異世界に赤ん坊として誕生した場面から始まる作品もありますが、そういう丁寧な描写をするのは面倒だ。何も知らない赤ん坊の目で異世界の事情を1つずつ知っていくのもまどろっこしい。なら、5歳まで育ったところに乗り移らせて、それまでに彼が知ったことを地の文で書いてしまおう――といったところでしょうか。


 異世界系作品の場合、読者もまた、主人公が現代日本でどんな暮らしをしていたかには興味がなく、異世界に行った後でどんなことをするかしか見ていません。

 主人公が転生することは分かっているから、その細部は書いてもらわなくていいし、読みたくない。

 主人公が異世界に順応することは分かっているから、日本での生活のことも、どんなふうに状況を受け入れていくのかも、自分のあり方をどうとらえるかも、書いてもらわなくていいし、読みたくない――。


 手間をかけずに人気者になりたい書き手と、「無駄なもの」はすっ飛ばしてさっさと爽快そうかい感を味わいたい読者との間に、Win-Winの関係が成立していると見れば、一種の最適解かもしれません。


 しかしながら、あまりにもドラマ(感情や関係性の変化)を書かず、「お約束」ばかりで済ませていると、物語というより単に段取りをこなしているだけになります。

 また、書き手の意図と都合ばかりで、物事に理屈が通っていない物語は、それが作り物であることを絶えず読者に意識させかねず、「面白くない」、「感情移入できない」、「何も残らない」、「虚無」などと言われてしまう恐れがあります。


 さらに、これはあくまで私個人の好き嫌いですが、自分が別世界に飛ばされた――すなわち、数十年の人生で積み上げてきた家族・友人・仕事仲間たちとの関係が(唐突に)無に帰した――にもかかわらず無感動ということは、日本にいた間、何事にも、誰に対しても真剣ではなかったと考えられます。

 そんな人物が、たとえば異世界の女性に「君が好きだ」とか「どんな敵が相手でも、俺が君を守る」などと発言したところで、格好がつくものなんでしょうか。

 もし敵の策略で現代日本に送り返され、それでも異世界の魔法が使えるという展開にでもなれば、異世界のことなどきれいさっぱり忘れて、「よし、今度は日本で無双してやろう」とか言い出しそうじゃありませんか?




 次に引用するのはそんな疑惑が濃厚な『八男』の一節、5歳児に「憑依ひょうい」した主人公が、眠ることで彼の記憶をのぞき見る場面ですが、段取りを優先するあまり、色々と不自然になっています。


――――

 さて、もう一眠り……。

 そこまで考えたところで急に抗えないほどの眠気に襲われ、俺はそのまま再び眠りについてしまうのであった。


 * * *


「また男の子か……。これで八人目だぞ」

「あなた、こんなに元気な男の子なんですよ。それに相応ふさわしい名前を」

「そうだな。ヴェンデリンとするか。この子が、バウマイスターの家名を継げる可能性はほぼゼロだがな」

 突然の眠気で再び夢の世界へと落ちた俺は、その夢の中で不思議な光景を目の当たりにしていた。

 俺が意識を移らせていると思われる、あの小さな少年らしき赤ん坊が産まれた場面が、まるで映画のワンシーンのように見えていたからだ。

(Y.A『八男って、それはないでしょう!』第1巻、pp.10-11)

――――


 まず、文がおかしいですね。

 場面転換に「* * *」を使った後、「あの小さな少年らしき赤ん坊が産まれた場面が、まるで映画のワンシーンのように」という説明より先に、両親の会話を持ってきています。

 となれば、場面転換前の「俺はそのまま再び眠りについてしまうのであった」という記述は不要、というかむしろ邪魔です。



「そこまで考えたところで急に(、)抗えないほどの眠気に襲われた。

 * * *

「また男の子か……。これで八人目だぞ」

(略)

 (突然の眠気で再び夢の世界へと落ちた)俺は、その夢の中で不思議な光景を目の当たりにしていた」



 会話はもう、不自然でしかありません。


 まず、父親の台詞「また男の子か……。これで八人目だぞ」。

 一応、本作において、彼は能力的には凡庸ぼんよう、性格的にはろくでなしの部類という位置付けなので、お産を終えた(当然彼がはらませた)妻に対する気遣いが欠けているのは、設定通りと見て良いかもしれません。

 ただ、本作はタイトル通り、八男ともなれば親にも兄たちにもぞんざいに扱われるぞ、というのがコンセプトなので、それを成立させるために夫婦の人間性が犠牲にされてしまったようにも読めます。


 妻の台詞「それに相応しい名前を」の「それ」は、普通に読むと、「元気な男の子」を指しているはずです。

 それを受けて夫が「ヴェンデリン」と名付けたとなれば、この名前には「元気な男の子」に関連する意味があるはずなのですが、不自然なことに、それは言及されません。

 つまり、この場面は、「憑依した主人公が犠牲者の名前を知る」という段取りをこなすためのものでしかないのです。


 そして、最後、「この子が、バウマイスターの家名を継げる可能性はほぼゼロだがな」。

 誰も跡取あととりの話なんかしていないのに、急に「家名を継げる可能性」の話を始めました。

 もし妻が子供を見つめて、「ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスター……」と感慨深くつぶやくような場面があるなら、「この子が家名を継げる可能性は……」という台詞が来てもまだすじが通るのですが、原文のままだとあまりにも唐突です。

 これも要するに、「八男はお家を継げない」ということを主人公と読者の前で明言しておく、という段取りでしかないわけです。




 言葉を選ばずに言えば、「ここまでざつに片付けるなら、転生要素なんか最初から無い方がマシじゃない?」とか「仕事をサボるのは出版社でも、批判されるのは作者さんだってこと分かってる? 人の心ある?」とか、色々言いたくなりますが、『八男』は現在、書籍版が26巻かそれ以上に続いているロングセラー・シリーズです。

 2020年には、30分枠、全12話でアニメ化もされました。

 熱心なファンがどれだけいるのかは不明ですが、少なくとも数字や実績の上では、人気シリーズのようです。




 ということで、今回は、段取りや展開にばかり気を取られていると、物語やドラマとして不自然なことになるというお話でした。

 文章チェックの際には、そういったことにもぜひ注意してみてください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る