第85話 過去、そして未来へ
アジア大会を優勝してしばらく経ったある日、親父が珍しく早く帰ってきた。
その表情はいつになく真剣というか怖い感じだった。
「二人に話がある」
ソファーに座った親父が低い声で言った。
「なんだよ。改まって」
「どうしたの、怖い顔してるよ」
親父のその真剣な表情に無意識に姿勢を正してしまった。
「お前たちの母の死に関してだ。真実を知る覚悟はあるか?」
「親父、いつも言ってるだろ。遺族は真実を知ることで初めて前に進めるんだって」
「確かにそうだったな。柚月もいいか?」
「う、うん」
親父の警察官としての信念が、俺の母親の死と何か関係しているのではないか。
それは、薄々感じていた事だった。
「二人には黙っていたんだが、沙耶の死は事故なんかじゃない」
沙耶というのは俺たちの母親の名前だ。
「轢き逃げされたんだ」
親父の言葉にしばらくの間、沈黙が流れる。
「相手は飲酒運転をしていた大物議員の息子でな、警視庁に圧力をかけてもみ消してきた。黙っていてすまなかった」
「そんな……」
柚月は素直に受け入れられていなかった。
それもそうだろう。
自分の母の死因は本当は誰かに殺されたというのだから。
「親父は、なんでこのタイミングで俺たちに話したんだ?」
このタイミングで話を切り出したということは、何らかの意図があるのだろうと思った。
「実はな、沙耶の轢き逃げの証拠を掴んだ。これでもう、言い逃れはできないはずだ」
「ずっと、調べていたの?」
「まあな」
あの忙しい捜査の合間に、妻の死の真相まで追っていたとは。
警視庁の魔物とはよく言ったもんだと思う。
「これを告発しようと思っている」
「それって、親父の立場は大丈夫なのか? 相手は政治家なんだろ」
親父は警視庁の捜査一課長だ。
大物議員とその息子となれば親父の立場だって危うくなるかもしれない。
「覚悟はしている。でも、今の総監は警察組織を浄化しようとしてる人だ。あの人は信用できる」
「そうか。じゃあ、親父に任せるよ。親父が無職になっても養ってあげるから心配しなくていいよ」
そう言って俺は笑って見せた。
「随分といっぱしの事言うようになったな、俺の息子は」
「お父さん、お母さんの無念を晴らしてね」
「ああ、これで沙耶も浮かばれるだろう」
数日後、俺たちの母親の死の真相が明らかになった。
ニュースもその報道ばかりやっている。
議員なった息子は事実上の引退。
警察の捜査のメスが入った。
親父の長い長い戦いは今、終わりを迎えたのであった。
「沙耶、終わったぞ。遅くなってすまない」
親父は母の写真に向かって言った。
そしてその日、親父は警視総監に辞表を提出したのであった。
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