第7話 信長の許嫁
夕刻近くになり、あおいは漸く家の外に出た。虫の音を聞きながら、大きく両手を広げて背中を伸ばしていたら、志保と、数人の取り巻き侍女が歩いて来るのが見えた。台所に向かう途中なのか、それぞれに野菜の入った大きな籠を抱えている。気まずい雰囲気を予知し、あおいが家に入ろうとした時、志保が声を掛けた。
「ご機嫌様で御座ります」
妙に神妙な言葉の裏には、嫌味がある。
どうも、と会釈し、踵を返すあおいを再度、呼び止めた。
「吉報に御座います」
良く通る声で志保が言った。
「はあ?」
どんな吉報よ。あおいの目は疑心暗鬼の半開きになっている。
「殿の、婚礼が整ったと」
「殿の婚礼?」
即座には理解できなかった。
殿、婚礼って、えっ?
振り返るあおいに、志保は唇を歪ませた。笑いをこらえている、志保の癖のあるいつもの笑い顔である。
「そうで、ござりますか」
やっと理解できた。信長が結婚するのだろう。正直、突然の話に動揺していた。胸の辺りが痛くなる。しかしあおいは必至に笑顔を作った。
「おめでたいことで御座います」
小さく頭を下げた。彼女らはよっぽど暇を持て余しているのだろうか。信長が訪ねて来ていたのを盗み見していたに違いない。その上で出直して来た。そう思わずにはいられなかった。
「では」
とあおいは背中を向けた。
「お相手が気にならぬのですか?」
志保の隣にいつも張り付いている女が言った。
「特には」
「殿のお相手で御座りますよ。ご正室になられるお方を殿様付の侍女が知らぬでは済まぬ」
「ごもっとも」
あおいが向き直ると、
「あおい殿、御髪が乱れておいでになる。枕元で殿に、ご事情を説明いただいたのでは」
「志保殿、何を申される。こんなお昼間に?いやらしい」
この侍女たちは、自分を信長の側室同様に捉えているのだと、この時あおいは初めて知った。
「もうよろしいですか」
「あらまあ、ごめんなさい。ところでお相手は、美濃の姫様ですのよ」
志保は言うと、自分の持っている籠を先程の侍女の籠の上に乗せた。うっと、小柄の侍女はよろめいた。ゆっくりとした足取りで、志保はあおいに寄ってきた。
「聡明で、お綺麗なお方と聞き及ぶ」
「で、ございますか。夕餉の支度がありますので、失礼します」
「お待ち!」
志保が声を荒げた時、「無駄話が過ぎるぞ!」と声が。
見ると、年若い青年が立っていた。
「あおい殿、お初にお目に掛かります」
どこか憂いのある面持ちで、静観に佇むその青年は、後に加賀百万石で有名になる前田利家の弟・前田藤八郎であった。
あおいの人生に大きく影響を及ぼす男との出会いである。
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