蜘蛛を愛する観る将JKは美形棋士を溺愛中 将棋の聖地に行ったらなぜか喫茶店で探偵見習いになる

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第1話 初めの一歩はラーメン屋

 北千住駅から乗り換えをし、23区内なのに四十後分も移動時間を費やしてやっとたどり着いた将棋の聖地、千駄ヶ谷。


 とはいえ、ここは将棋だけではなく野球場をはじめスポーツ関連施設がどっさり詰まっている街だ。プロ野球の試合があるのか、駅周辺にユニフォーム姿のファンが歩いていた。


 首都高速道路の真下にある駅は、駅のプラットフォームからみえる新宿御苑の自由に空へ向かう木々と対照的に窮屈そうな外観をしている。


「とうとう来てしまった・・・・・・」


 内と外がアンバランスな千駄ヶ谷の駅の前に立ち、山際藍は五月の透き通るような青空に向け両手を伸ばしつぶやいた。


 目は悪くないのにいつもの伊達メガネをかけ、帽子を深くかぶるのが藍スタイル。


 こうなったのには深い深い理由がある。


 小さい頃から浅草界隈を歩いていると、演芸関係の事務所からスカウトされるほどで、ついた異名が『足立区No1.美少女』だ。


 目立つことが好きではない藍は、小学校高学年からちょ伊達メガネをつけたりと変装して出かけるようになった。


 そういうわけで、通学で皇居周辺まで来ているがそれより先には進めずにいた。女子高生になった今でも『スカウトがたくさんいるらしい街』である渋谷新宿方面はこれまで意図的に足を踏み入れていない未開の地でもある。


 けれど、今日ここにやってきたのは全て将棋の貴公子・亀井晴也のためである。


 東京大学で生物学と物理学を教える両親のもとに生まれ、小学三年生の時に学生最強の将棋部部長に平手で勝つという神童伝説を持つ、まさに選ばれし者。


 神童の誉れ高く、小学五年生で奨励会入会。その後も天才の力をいかんなく発揮し、破竹の勢いで難関の三段リーグ突破し中学生棋士として華々しくデビュー。数々の記録を打ち立てている天才棋士だ。


 若干二十歳というのに、相手を知らぬ間に自分の罠に引っ掛けるという棋風から『スパイダーマン』の異名を持っている。


 さらに『天は二物を与えず』の言葉とは裏腹に、俳優と見間違うような端正な顔立ちで将棋界に女性ファンを増やした張本人でもある。藍もまた、数多くいる亀井マニアの一人だった。


(将棋会館はどこかな。いや、呼吸を整えるためにも鳩森神社にお参りをしよう!)


 駅前の横断歩道を渡り、道をまっすぐ歩いていく。目的地に近づくとどんどん鼓動が早くなっていくのが分かった。


(どうしよう。いきなり目の前に現れたらどうする私! あ、今日は日曜日だから先生達はいらっしゃらないか・・・・・・)


 色々と妄想しながら藍は神社に入ろうとした瞬間、どこからともなく美味しそうなラーメンの匂いがしてきた。


 なぜだか分からないが、彼女にとってその匂いがとてつもなく大切なような気がしてならず、ほぼ無意識のまま、その方向へ誘われるがまま足が動く。脇道を進むと、ラーメンの匂いの発生源と思われる店を見つけた。


 開店してから数十年経っていそうな昭和の雰囲気が残る店構え。店の前には昭和的三面回転看板が出ている。黒地に『二歩』という白抜きの看板には蜘蛛の巣の残骸が残っている。


(これは、ジョロウグモが作った網かな。店主は蜘蛛を大切にしているのか、それとも単に気にしないだけなのか・・・・・・)


 小さい頃から蜘蛛好きで、近所で見つけた蜘蛛を捕まえたり家にいる蜘蛛に名前をつけてきた。自分が一目ぼれした亀井晴也が『スパイダーマン』の異名を持つことも何かしらの縁があると自己解釈していた。

 

 そんな藍にとって『蜘蛛の巣を放置している店主』も気になった。さらに気になるのが、店から出てくる匂いは完全にラーメン屋なのだが、見た目は喫茶店という点だった。


 ドアの上には客が来店したことを教える銅製のレトロなベルがついている。年季の入った『この街の生き字引』とでもいうべき存在なのだろうか。


 ラーメン好きかつ蜘蛛には目のない藍は店に入るかどうか悩みつつも、不思議に思った。


 インターネット上で情報を色々と集めていても、『二歩』という店にヒットした記憶がないからだ。もしかしたら、ヤバイ店なのかもしれない。


 しかし、ラーメンの匂いがどんどん強くなると『食べたい!』という気持ちが大きくなっていった。


(所持金は約七千円。アクリルスタンドは絶対に買う。扇子も買いたい。でも、なんだろうこの匂い・・・・・・)


 誘惑に負けたことを素直に認め、藍は塗装が剥げているドアノブを思い切って押した。


「違う違う。それは引き戸だから。無理して引っ張るとベルが壊れるから気をつけて」


 暗がりの店の奥で、店主らしき男性が藍に向かって諭すように声をかけてきた。


「す、すいません。以後気をつけます」


 もう二度と来ることもない店なのに、彼女の口から「以後」という言葉がとっさに出てきたことを当の本人も不思議に思った。しかし、それが一番適しているように感じたのもまた事実だった。


「で、何食べたいの?」


 徐々に店の入り口の方に近づいてくる店主は銀縁眼鏡をかけ、白髪が混ざったいわゆる『ダンディ』な雰囲気の男性だった。


(60歳、70歳・・・・・・。いや、50歳?)


 洞察力が優れていると自負している藍でもお手上げなくらい年齢不詳の容貌の男性は、灰色のポロシャツに黒いツータックのスラックスを着こなしていた。どう見てもラーメン屋の店主ではない。


「あ、あのラーメンを。味噌ラーメンを」

「味噌ラーメン?」


いぶかしげに片眉を上げた店主だったが、思い出したように笑い出した。


「私のお手製のラーメンの匂いで来店したんだね。いや~、驚いたね。店では出していなんだよ。ただ・・・・・・。」

「ただ?」

「ラーメンが好きな常連さんがいて準備をしていたんだ。裏メニューってやつだね」


そう言いながら手慣れた様子でウィンクをした店主を見て、藍は確信した。

(この人、若い頃絶対にモテていたはず!)


「まぁ、ちょうど今日は多めに作ってしまったから良いよ。特別サービス。なかなか 君みたいな年齢のお嬢さんは店に来ないからね」


 藍は促されるようにお店の壁側にある黒色の年代物の木のテーブル席に座った。昭和的なオレンジ色のお盆で例のラーメンが運ばれてきた。


「いただきます」


 割りばしを割り、麺を一口食べると濃厚な味噌の風味が口中に広がった。


(なにこれ、ヤバイ・・・・・・)


 食べ物で衝撃を受けるとは、まさにこのことなのだろうと藍は目を見開いた。


「どうしたの? そんなに驚いて。口に合わなかったかい?」

「いえいえ、こんな美味しい味噌ラーメンを食べたのは生まれて初めてで。これ、お店に出さないんですか?」

「趣味だから。だいたい、ここはカフェでしょ。喫茶店でラーメン出しても、雰囲気壊すだけだから」


 店主の話を聞いた藍は商品化されることのない味噌ラーメンとは、このまま一度っきりでサヨナラすることに言いようのない寂しさを感じた。


「そんでもって、今日は何でこの街に来たの?」


 目の前の美味しいラーメンを夢中で食べていた彼女に、店主はストレートな質問を投げかけてきた。


 千駄ヶ谷に来た本来の目的を思い出し頬を赤らめた様子で何か察したようだ。


「そうか、好きな野球選手の応援に来たのか!」

 完全に、野球ファンと勘違いされて慌てて訂正しようとしたが、何と説明すれば良いのか分からずただ黙ってラーメンを食べるしかなかった。


(違う。本当は、本当は・・・・・・)


「よう、邦ちゃん。相変わらず良い匂いを漂わせているね。あれ、こんな時間にお客さんなんて珍しい。しかも、若いお嬢さん一人とは十年に一度のことだ」

 

 ラーメンの汁をレンゲですくい取り飲んでいる最中に、常連客と思われる一人の恰幅のいい男性が入ってきた。いかにも近所のご隠居さんといった風情だ。


 彼は定位置と思われるカウンターの左から二番目の席にドカッと腰を下ろして座った。


「珍しいなんて失礼な。この店の良さをこの若さで一瞬で理解した上客だよ」


 手慣れた様子でサイフォンでいれたコーヒーを常連客の前に出しながら店主が言った。


「それに、多分いまどき珍しく渋いものが好きな子さ」


(あ、あれ? さっきまで野球ファンと勘違いしていたのに・・・・・・)


 心の内を少し見破られたよう、藍はとっさにうつむいて誤魔化した。


「うちの孫も、ユミも来ればいいのにさ。ハンバーガー屋とアイドルばっかりだよ」


(なるほど、この常連さんにラーメンを出す予定だったんだ)


 店主と常連客の年配の男性の会話を耳にしながら藍はそう推理した。しかし、彼にラーメンを出す気配がまったくない。


「それよりもユミがさ、昨日新宿御苑で何か友だちと遊んでいたらベンチに置いてあったはずの大切なアイドルのマスコットが消えちゃって落ち込んでいるみたいなんだよ」


 店主に『ユミ』からと思われるメッセージを見せながら我がことのように肩を落とす常連客からも、その落ち込みようが伝わってきた。


(憧れの人のマスコットなくしたら私も凹むだろうな)


 会ったこともない『ユミ』の気持ちを思うと、藍の気持ちも沈んでいった。


「なんだよ、探偵だろう。自力で愛する孫のためにひと肌脱がないと!」

「た、たんて、探偵?!」


 自分でもびっくりするくらいの大声を出した藍は、慌てて手で口を覆った。


「なんだい、そんなに驚くことか。まぁ俺は、引退した探偵な。そして元刑事っていういかにもサスペンスものに出てきそうな肩書を持っている」


 白髪の常連客は胸を張って自分の経歴を話し出した。


 「まぁ、たいていは邦ちゃんに助けてもらったんだけどね。あと、最近じゃアイツだな」


(アイツ?まだこの店には常連がいるのかしら・・・・・・)


「とにかく、話を聞こうじゃないか。消えたマスコットについて」


 いつの間にか淹れていた紅茶を飲みながら、『邦ちゃん』こと店主はにこやかな表情で常連客の肩を叩き、話をするよう促していた。


 まるで、刑事が容疑者に吐けと言わんばかりの雰囲気に藍は思わず吹き出しそうになった。


(絶対に推理力は店主の方が上でしょう……)


「いや、ユミは毎日夕方五時に友達と同じ場所で自分達でなんか撮影して何とかにアップしているんだよ。それで、昨日もいつものメンバーで行ったんだけど、マスコットが消えたと」

「自分たちで撮影って、動画投稿でしょうね。今、女子高生の間で流行っているので」


 店主はチラリと藍を見た。なぜか知らないが、助手のような扱いにされていることに気がついたが、藍としては悪い気分ではない。


「私はしませんが、周りでもやっている子は多いですね。多分、毎日同じ時刻で同じ場所で撮って季節の変化を楽しむとか、またはテーマを決めて友達と撮影しているとかしているのでしょう。もしかしたら、毎日同じ時間にお散歩している人は何か目撃しているかもしれません」


 藍の言葉に常連客は思いっきり自分の膝を叩いた。


「いや、参ったね! すごい推理力」


(誰でも気がつきそうだけれど。本当に元刑事の探偵さんなのかしら・・・・・・)


 千駄ヶ谷に来た本来の目的を忘れて、藍は真剣に消えたマスコットについて考え始めた。

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