【短編集】語り手怪談──今日も誰かに起きている──

天川 七

第1怪 【お母さん、違うよ】

 結婚して十二年目の冬、私は家族で念願のマイホームに引っ越すことになりました。そこは築五年の中古物件で、私達夫婦の仕事場がそれぞれ中間くらいに位置する立地条件や、一人娘の学校が近いこと、なによりも価格が手頃だったことが購入の決め手となったのです。


 購入に際して、その家や土地については下調べをしました。土地柄の仕来たりや祭りの有無についてはもちろんのこと、事故物件ではないことは確認済みでした。


 私達の前に住んでいた人は二家族おり、一つ前の住人は三十代の男性で、父親と二人暮らしをしていたそうですが、その方は長い病院生活の末に病気で亡くなったそうで、一人で使うには広すぎるということから売りに出しているというお話でした。


 それにしても、築僅か五年で二階もある一軒家ですから二人暮らしを目的としたのならば、部屋数が多いのですよね。


 ですから、旦那とは「もしかしたら以前は奥さんがいたけど離婚してるのかもしれないね」という話をしていました。けれど、中古とはいえ、十分に綺麗な家であるので、私達家族はとても満足していたのです。しかし、住み始めて一週間くらい経った頃に、娘が妙なことを言い出しました。




「お母さん、この家に知らない人がいるよ」


 今年十一歳になる娘は、幼い頃から時々不思議なことを言う子供でした。と言っても、毎日のようになにかがいるなどと口にするのではなく、忘れた頃にぽつりと言葉をこぼすような感じでいたので、私はそれほど気にしていなかったのです。


 それに、仕事や家事に追われて日々忙しい母親である私の気を引きたくて、そんなことを言うのだと思っていた部分もありました。だから、その日も洗濯物を畳みながら普通に聞き返したのです。


「そう、どんな人?」


 ここで「そんなわけないでしょ」と否定すれば娘が傷つくかもしれないので、そういう時はいつも話を聞いてあげるようにしていました。ですが、娘は淡々としたもので、タオルを畳むのを手伝ってくれながら言葉を続けます。


「頭が真っ白なおじいちゃん。昨日の夜にね、トイレに行きたくて起きたら、廊下からずっと足音がしてたの。お父さんが起きてるかなぁって見にいったのに誰もいなくて、私が部屋に戻ろうとしたら足音が追いかけてきたんだよ」


 よくよく聞けば、寒気を覚えるような話でしょうに、私はまともに取り合わずに聞き流していました。


「それは怖かったね。お母さんを起こせばよかったじゃない」


「大丈夫。だって、あのおじいさんは別に怖くなかったから。でも……お母さんは私の話を信じてないよね?」


「……えっ?」


 私は驚いて娘を見上げました。娘はじっと静かな眼差しを向けており、母である私が自分を信じていないことを確信しているような顔をしていました。私はなんと言おうか言葉に詰まってしまいました。実際に、私は娘の言うことをなにも信じていなかったのです。


 娘の信頼を失うかもしれない。そんな焦りに急き立てられて必死に言い訳を探していると、娘の視線がなにかに気づいたように逸らされました。


 ガチャリッ 


 その時、玄関のドアが開く音がしました。そしてドアが閉まる音に続いて廊下を歩いてくる音が。旦那が帰ってきたのです。


「お父さんが帰ってきたみたいよ。二人で出迎えてあげようか?」


 私はまるで助け船でも出された気分でした。話を逸らせそうな状況に安堵して、出迎えるために立ち上がろうとしたのです。ところが、娘は動こうとしません。それどころか、突然、目を廊下側に向けたまま口を開いたのです。


「お母さん、違うよ」


 私はなんのことだかわからずに、中腰のまま困惑しました。


「なにが違うの?」


 娘は黙って廊下を見ています。そこで、ふと気づいてしまいました。


……ノシ……ノシ……ノシ……ノシ……


 もう、リビングのドアを開けて入って来てもいいはずなのに、足音がするだけで旦那の姿が一向に現れません。私はまさかという気持ちで、恐る恐る廊下に続くドアに近づくと、ドアノブをそっと回しました。


 開け放ったドアの先には──……誰の姿もありませんでした。同時に足音も消えてしまい、私は身体が震えるほどの混乱に、頭の中をかき乱されることになりました。


 確かに、玄関が開いて誰かが入ってくる音を私は聞いたのです。それに、廊下を歩く重さのある足音もはっきりと覚えています。それなのに……私が言葉もなく室内を振り返ると、娘は冷静な顔でこう言いました。


「だから言ったでしょ? お父さんじゃないって」




 私はあれから娘に謝りました。娘の言っていたことが全て本当に起きていることなのだと、実感したからです。娘はケーキを買うことで許してくれました。


 ですが、事故物件ではないのに、なぜこんなことが? その疑問が頭から離れなかったので、私は娘が眠った後にその日起こった出来事をすべて旦那に話してみました。旦那は幽霊など怖いものが非常に苦手な人なので、顔を引きつらせながらも、さっそくネットで調べてくれました。その結果は、やはりこの家では事件や事故があった痕跡はなく、事故物件ではないというものでした。 


 しかし、その疑問は娘のある言葉によって解けることになりました。この家は事故物件ではないからという説明をしたのですが、娘は首を振りながらこう言ったのです。「この家で死んだ人はいないかもしれないけど、この家に住んでいて外で亡くなった人がいるんじゃない?」と。


 そうです。私たちは家を買う前に説明を受けていました。この家に以前住んでいた人間は二人。一人は売り主の方。もう一人は、売り主の亡くなったお父様でした。


 事故物件の定義は一般的に【事件や事故などによる不自然な死があった物件】なのだそうです。ですが、家以外の場所で亡くなった方の中には、家に帰りたいと強く思いを残すことがあるのかもしれませんね……。

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