第5話 運とウン

 俺はいつもの通学路を濡れた靴を履いた足を引きずりながら、とぼとぼと歩く。

 道幅の狭い、それでいて交通量の多い裏道である。お江戸の昔から続く旧街道ともいう。

 うん。

 今日の帰り、靴箱に靴が無かった。もちろん見たのは空の俺の靴箱で、探したのはあるはずの俺の革靴である。

 うん。そう。俺は探した。


「またか」と呟きながら。


 するといつものように、男子便所の個室便器に放り込んであった。

 え? 水の色?

 泡立った黄色だったに決まってる。

 つまり……わかるよな、あれだ。おしっこだ。

 誰の黄金水かは知らないけどね。

 おしっこは火薬の原料になるって聞いたことがある。

 その辺り、ネットを検索するか、本を読むか、どうにか辺りを付けて火薬でも作ってみようか。

 そしてその火薬で爆弾を作って、いじめっ子に復讐だ。

 とりあえずマーク。そしてその次はクラスの連中……。


 ピー! と長く、ここで背後から軽自動車のクラクション。


 考え事をしていた俺、中央線の無い生活道路、あってないような路側帯の白線だ。俺はつい、道路の端から真ん中よりを歩いていたらしい。

 俺はさっと脇によると、軽く車に頭を下げた。

 最近珍しい、メタリックレッド塗装の軽である。

 軽は猛スピードで俺を追い越していゆく。

 感謝の合図も一礼もない。

 実にサツバツである。


 ええと。まあそんなことは実に些細な事で。

 そうそう。そんな無益で無駄なテロ計画など無価値だ。

 今の俺の境遇を救う手段などになりはしない。無理無駄無謀の極みである。

 そうさ。靴を隠された程度でなんだよクヨクヨとこんなの、大したことじゃないじゃないか。

 え? 靴がおしっこ漬け? 古代ローマじゃ洗剤の代わりにおしっこを使っていたんだよ! 綺麗になって万歳だ畜生。

 ええと、そんなうんちくはともかく。文句や言い足りない事はまだまだあるけど、ああ、とりあえずムカつくけど。

 それに重ねて後方からクラクションを鳴らされた程度でいちいち腹を立てていては、世界全部を敵に見てしまう。

 うん、実に非生産的だ。無駄も無駄。

 いや、実際敵? まてまて、自意識過剰が過ぎるだろ! どんだけ俺は主人公願望があるんだっての。

 地球は何も俺を中心に回っているわけじゃないんだ。

 危険思想は止めよう。ホント時間の無駄。戦争反対。

 ああ、やっと胸の怒りが静まって来た。

 うん。

 俺自身のためにもこの癖──危険思想──は止めたが良いと思う。こじらせてもろくなことない利益もない。

 ホントだよ?

 ただ、反射的に出る自分の気持ちを修正するには──時間もかかるし、なにより面倒──難しいな。

 全く俺に厳しい世界だぜ。


 ええと、なんだ。俺はなにをしていたっけ?

 ああ、革靴小便漬け事件な?

 連中のおしっこと、革靴の革が反応して変に柔らかくなったり、脱色しなければ良いけれど。

 どちらにせよ、きれいな水で洗って、軽く靴磨きだな。

 ああ、めんどくさい。

 と、また俺の視線が地面に落ちつつあった。

 いけない、いけない。

 悪い感情は嫌なことを呼び寄せる。

 靴の事は仕方ない。

 うん、いや……下駄箱じゃなくて教室に革靴持ち込もうかな……で、ロッカーに放り込んでおく。

 うーん、どうだろう? スペース的に無理か?

 ……はあ、まあいいや。

 なんとかなる。

 俺は重い感情を無理に振り払い、空を見る。

 黄色めいた群青。

 そう、もうじき夕刻だ。

 ああ、今日も俺の一日が終わった。大したイベントのオンパレードだったぜ。


 俺はゆっくりと歩き行く。

 通学路沿いにあるクラスメイトその二、車田(くるまだ)の家である酒屋の前を軽くスルーし。

 俺は黄色い陽光に照らされて。その影が長く長く伸びていて。

 うん。

 今日も冴えなかった俺。

 でも、明日はまた別の刺激があるかもしれない。いや。きっと別の、しかも良い刺激がきっとある。

 少なくとも今日と同じイベントはない。もし有っても、俺が決して同じようにはしない。

 絶対違う刺激に変えてやるのだ。

 と、無理やり俺は元気を奮い立たせ。

 グニ。

 あ、犬のウンチ踏んだ。


 ぐおおおおおおおおお! なんでだよ! どうせウンを踏むならウンチじゃなくて、幸運よ俺の前に顔を出せ! ド畜生!!

 俺の怒りのボルテージは一気に限界突破したものの、一呼吸しただけですぐに鎮火する。

 ああ、今さらウン踏んだくらいでどうということはないだろ俺。元気出せよ。

 俺はため息一つ。


「早く帰ろ」


 息を吐き出すとともに、俺は思わず声に出していた。どっしりと両肩が沈む。

 ──うん、悪い事があれば、その分良いこともあるさ。

 俺は念じた。

 神も仏もいない。

 信じられるのは、自分の身で、変わることが出来るのは、これまた自分の視点のみだけだ。


 などと、俺は暗い気持ちを振り払い、モットーを頭の中で呪文のように言い聞かせ、ウンのついた濡れた靴を引きづりつつ。

 俺はいつもの通学路を辿り家路につくのであった。

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