第3話 水も滴る昆布マン

 そんなこんなで俺が水を滴らせながら教室に戻ると、だ。

 いきなりクラスメイトの雪崩のような声の洗礼を浴びた。


「うお、濡れ男! 朱音、なんだお前、中庭の池にでも落ちたのか?」


 と、クラスメイトその一。

 図星じゃないか。当たりだよ畜生!


「おま、床拭けよな!? お前のせいで床びちょびちょだぜ」


 とクラスメイトその二。

 うるさいな。俺のせいじゃないって知ってるくせに。


「はぁ!? 朱音、お前あの緑のプールで泳いだって、頭大丈夫か!? 俺の話、アンダスタン?」


 とクラスメイトその三。

 ああ、話が膨らんでゆく。わざとらしい。俺は自分がバカだってことぐらいよく知ってるよ。


「うひょい、朱音朱音、全身ぐしょぐしょ、こんな季節に水浴びか!? 朱音、脳味噌融けてる?」


 と、俺への止めにクラスメイトその四。

 黙れMOBども愚民ども。

 でもクラスメイトの皆が笑う。俺を指差して笑うのだ。

 俺の心に黒い影が差す。

 いいさ、今は笑っていると良い。

 俺は反撃しない。言い訳しない。口喧嘩なんてまっぴらだ。

 だって、疲れるから。

 俺はコイツらとは違う。

 ただ眺めているような、そしてさらに追い打ちの言葉をかけるような連中とは違う。

 違うんのだ。

 だから俺は唇をかみしめる。

 黒い悪魔の口を白い天使が塞いだかのように。


「アハハハハ!」


 くそっツ! 奴らの笑い声が聞こえる! やっぱり悔しいぜ、悔し過ぎるんだ。


「ウオッ、ウオッ、朱音。ラッコ水族館はここじゃねえぞ、ここは人間様の明光学園高等部だぜ!」

「あーあ。派手におもらししやがって。大じゃないよな、小だよな?」


 クラスメイトの開いた口は止まらない。

 俺は全力で否定したいが我慢する。

 人の噂も七十五日、ただし毎日かわいがりを食らっているので、毎日一日目にリセットされる七十五日だけどな!

 だから俺は、「違うわ!」と思い切り叫びたい。

 だが、俺のそんな心の声は誰にも届かずに。

 また別の一人が冷たい声を俺に投げかける。あー、クラスメイトその五だったかお前は。


「おいおい朱音。教室の床が汚れるだろ? あ、お、もしかして学園祭のお化け屋敷、『昆布マン』は朱音で決定か!?」


 クラスメイトその五の爆弾発言。その言葉の意味に思い当たるなり、俺の背中に戦慄が走る。

 昆布マン。黒いシーツを被って暗闇で踊りまくる、学園祭の伝統芸。嫌だ、嫌だ俺はそんな役!


「ウオッ、ウォッ、それなら別に朱音、濡れる必要ねえよ、濡れた髪が広い凸にぺったりと張り付いているだけだしな!」


 くそ、こんなに濡れたらお前らだって似たような見た目になるんだよ!

 クラスの奴ら、好きな事ばかり言いやがる。

 俺は怒りをこらえ、「えへへ」と呟きながら心のデスノートに名前を書き加えることにした。それにすでに名前を記した奴らの死に様をもっと詳しく書いておくことも忘れない。

 一通り書き終えると、深呼吸だ。ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。

 はあ、待つこと三十秒。

 俺の内部でくすぶっていた怒りが霧散しているのがわかる。

 ふう、全く俺も成長したぜ。

 怒りの流し方、復讐心、憎しみに捕らわれ固まるといった無駄時間の排除方法に。

 ふん、俺は右も左も知らないガキじゃない。十七歳。ほとんど大人だ。

 そうさ、コイツらとは違うんだ。

 と、俺はジャージを持って、男子トイレに向かった。

 ──着替えるんだよ。そして、その後にモップで床拭いだ。

 ああ情けなし。

 いつか仕返しをしてやる、と思う。

 ああ、いけないいけない。まともに相手にすることじゃない。

 うん、全くこんなところが子供だぜ。

 俺、ちょっと反省。

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