不滅のティアラ 〜狂おしいほど愛された少女の物語〜

白銀 一騎

〜シンデレラガール〜

第1話 異世界転生

 咲子は試験管を虚な目で見ながら考え事をしていた。


 彼女は製薬会社に勤めていた。最近は新薬の開発に携わっており、ここ数日ラボで篭りっきりの状態が続いていた。


 生気のない目で薄紫色の薬品をずっと眺めていると後ろから不意に誰かに声をかけられた。


「ボーッとして大丈夫ですか?」


 声の主は同僚の神宮勇也じんぐうゆうやだった。咲子より十歳も若い研究者で家が近所で昔からの知り合いだった。昔は私の後をずっと引っ付いてくる弟のような存在だったが、今では立派な社会人に成長していた。顔も幼かった時は女の子に間違えられていたのに今では凛々しいイケメンに成長していた。


「え?……ええ。ここ数日家に帰っていないだけよ」


 最近は研究が忙しくて自宅のベットで寝たのはいつだったかも思い出せないくらい働き詰めの毎日を送っていた。


 咲子は三十路独身で子供もいなかった、当然生まれてから彼氏というものもできた試しがない。


「今日ぐらいは家に帰って寝たほうがいいんじゃないですか?」


「ありがとう。でも、大丈夫よ。後で仮眠室で休むから」


 そう言うと咲子は試験データーをパソコンに入力した。


「それ、会社の備品のパソコンに落書きしたんですか?」


「え? あ……そ……そうだけど……か……かわいいでしょ?」


 私は自分の物に埴輪はにわのような自分で独自に考えたイラストを書くのが好きで、パソコンの表面に埴輪はにわのハーちゃんと名付けたイラストを書いていた。


「また部長に怒られますよ。僕は知ーーーらない」


「な……なによ。勇也だって会社から支給されている、IDケースの紐を変なふうに編んでいるじゃない」


「これは一本鎖結びと言ってボーイスカウトで習った由緒ある結び方なんですよ」


「知らないわよそんなこと。はあーー、部長に怒られると思うとやる気が失せたわ、少し休んでくるわ」


 私はそう言うと仮眠室のあるC棟へ向かった。仮眠室に入ると誰もいなかった。私はなだれ込むようにベッドに入ると目を閉じた。


 いざ目を閉じて寝ようとするといろいろな思いが浮かんできてなかなか眠れなかった。いつの間にか私はこれまでの自分の人生を回想していた。


 いつからこうなったんだろう? 幼いころは両親の言うことをよく効く良い子だと自慢の娘だった。

 私が中学生の時に母が重い病で死んでしまったからも非行に走ることなく父と一緒に懸命に努力して、小中高と成績も良く難関の理系大学に合格していよいよ就職という時に、就職氷河期という聴き慣れない言葉が耳に入ってきた。


 就職先が全然見つからなかった。周りの同学年の友人や自分より成績の低い学生が次々と就職の決まるなか自分はなかなか就職先が決まらなかった。やっとの思いで小さな製薬会社に就職できていざ社会に出てみれば自分がコミュ障だと気付かされるのにそう時間はかからなかった。


 小さい頃から人見知りという自覚はあった。友達も少なく偏った友人しかいなかった。


 自分の性格はそう簡単には変えられないと思っていたが、社会や会社はそんな咲子を許してはくれなかった。徐々に人と接する部署を離れ一人で黙々と研究を行う部署に必然的に追いやられていった。


 一人で黙々とする仕事は好きだったのでなんとも思わないことにした。しかし三十を過ぎて自分の周りの女性が次々と結婚していくごとに徐々に孤独感が強くなってきた。


 最近はあまりそのことは考えないようにしていた。自分は自分、他人は他人と割り切ってはいるのだが、世間や父親はそんな自分を腫れ物にでも触るかのように接してくるのが嫌だった。


(人生ってこんなものなのかな?)


 ほんの一二年生まれてくるのが早ければもっと良い就職先が見つかって素敵な男性とも巡り会えて素晴らしい人生が歩めていたのではないか? 最近はそんなことを一日中考えている日も少なくなかった。これがうつというものなのかな? 最近自分が鬱なのではと思っていた。



 そんなことを考えていた時、ふと気づくと目の前で女の人が寝ていることに気づいた。咲子は寝ている女性に近寄って顔を見てびっくりした。寝ていたのは自分だった。体を揺すって起こそうと手を伸ばしたが、手が体をすり抜けてしまった。


 慌てて自分の手を見ると向こう側が薄ら見えて透けていた。まさか? 自分は死んでしまったのか? なんで? と思ったが、すぐに死んだ理由が分かった。部屋の中に煙が充満していたのだ、仮眠室の窓の外は赤色になっていた。どうやらC棟が火事になっているようだった。


 私は火災の煙で有毒ガスを吸い込んで死んでしまったのだろう。この先どうしよう? という気持ちとやっと楽になれるかもしれないという気持ちが合わさってやけに冷静だった。


 暫く死んだ自分を見ていた。暫くすると急に眠気が襲ってきた。これでやっと楽になれると思った。この世に未練など微塵もなかった。そうか未練がないから眠いのだろうと思った。寝ればあの世にいけるかもしれない。咲子はそんなことを思いながら深い眠りにつこうとした時、仮眠室の扉が開いて誰かが入ってきた。


 仮眠室に入ってきたのは勇也だった。


「咲子!!」


 勇也は私を見つけるとすぐに駆け寄って私の体を揺すっていたが、すでに死んでいるので反応がなかった。私は勇也が入ってきた扉の外を見て愕然とした。辺り一面火の海になっていた。


「勇也!! もう助けるのは無理なのよ! 早くあなたもここから出ないと死んでしまうわ!!」


 私は必死で勇也に叫んだが、声は届いていないようだった。私の言うことを無視して勇也は私の遺体を担いでいた。


「大丈夫だ! 咲子。俺が助けてやるからな!」


「もう死んでいるのよ!! 早くそんなの置いてここから逃げてよ!!」


 私は必死で勇也の体から私の死体を剥がそうと引っ張ろうとしたが、手が体をすり抜けてしまって何もできなかった。やがて徐々に視界がぼんやりしてくるのが分かった。


(いや! 待って! このままここから居なくなることはできないわ)


 私の思いとは裏腹に私はゆっくりと深い眠りに付いた。私がこの世で最後に見た光景は真っ赤な火の海に私を抱えて飛び込む勇也のたくましい背中だった。


 ◇


「テ……ィアラ……」


「ティアラ!」


 咲子は目を覚ました。目の前には外国人の女の人が心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。


「目を覚ましたのねティアラ」


「?」


 ティアラ? って誰? 私は自分を呼んでいるとは思わなかった。


「ティアラどうしたの?」


 私より随分若い女の人は仕切りに私の顔を覗き込んではその名前を呼んでいた。


「あなたは、誰ですか?」


 私は木製の小さなベッドに横になっていた。部屋の周りを一通り見回すと飛び起きて女の人に訪ねた。


「ゆ……勇也はどこに居ますか? 無事ですか!!」


 私がそう言うと女の人はびっくりした表情になり取り乱した。


「……。いやだどうしましょう。あなたー! ティアラが記憶を無くしたみたいよ」


 女の人が叫ぶと男と男の子が二人部屋に入ってきた。男の子はこの女性の子供のようだった。 


 二人とも心配そうに私を見ていた。男の人が心配そうに私に話しかけてきた。


「ティアラ。私だよわかるか?」


「…………。」


「本当に記憶を無くしたのか? ティアラ私は君の父親のドルトだよ」


「え? どういうこと?」


 私は自分の手を見て驚いた。小さい子供の手だった。そんなことがあるのか? 私は布団を退けて自分の体を確認した。自分の目に映る足も胴体も全て子供の大きさだった。『ズキン! ズキン!』私は急に頭が割れるように痛くなった。


 私が目を閉じて頭を抑えると記憶が蘇ってきた。私が転生する前のこの子の記憶が鮮明に蘇った。父親はドルト、母親はニーナ、弟はニコライ、私はティアラ合わせて四人家族のルーデント家だった。私は全てを思い出した。思い出したというよりはこの子の記憶が私の記憶に入ってきたという方が正しいだろう。


 記憶が蘇るとあれほど痛かった頭痛が無くなった。私が顔を上げると三人が心配そうに私の顔を見ていた。私はこれ以上心配かけまいと笑顔を作って話した。


「父さん、母さん、ニコライ、心配しないでちょっと熱でおかしくなっていただけよ」


 私がそう言うと家族から笑顔が戻った。


「ティアラ、ゆっくり休んでね。無理しちゃだめよ」


「うん。ありがとう」


 私の様子を見て家族は安心して部屋から出ていった。私は家族が出ていったのを確認するとベットから出て机の横にある鏡の前に行った。どうしても鏡で自分の顔を確認したかった。私は鏡に映った自分を見て驚いた。そこにはブロンドヘヤーで目は青色のとても綺麗な十三歳の女の子が映っていた。


(これが異世界転生というやつなの?)


 私は若くて美しくなった自分を見て今度こそは幸せになってやると心に誓った。


 ◇


 ルーデント家の朝は早い。母のニーナと私は台所で朝食の準備をしていた。私に母が居たのは中学生の時以来だったのですごく懐かしい想いにふけっていると、いつの間にか目頭が熱くなっいていた。

「どうしたのティアラ? どこか痛むの?」

 母は心配して声をかけてくれた、私は自分が泣いていたことに気づくと母親に心配かけまいと返事をした。

「ううん。大丈夫、心配ないわ」

 母は、あまり無理しちゃだめよ、と言って再び朝食づくりに取り掛かった。

 私と母が朝食の準備をしていると父のドルトが起きてきた。

 父のドルトは辻馬車の仕事をしていた。辻馬車とは荷物を馬車で運ぶ現代版トラック運転手といったとこだろうか。父はまだ日が昇る前の早朝に仕事に出ていく。冬は極寒の中、何時間も馬車を操舵して夕方の日が暮れた頃に帰ってきた父は寒そうに凍え切った体を暖炉で温めていた。


 私は少しでも父の寒さを和らげてあげようとカイロを作ってあげようと思った。私が異世界転生してまず思ったことは生活が不便なことであった。この世界は十四世紀のヨーロッパ程度の生活水準なのでまず何をするにも不便だった。カイロ作りも何もないところから始めなくてはならなかった。


 私は早速カイロの材料を集めることにした。まず必要なのは鉄粉だった。これは近くにドワーフの武器工場があったので昼間にドワーフのところに行って鉄粉を袋一杯貰ってきた。次に活性炭は暖炉にあった炭を粉々にして、そこに食塩水を混ぜた。あとは麻袋を四角く切って針と糸で縫い合わせて小さな袋状にしてそこに鉄粉と炭を混ぜて仕事に出かける直前に父親に渡した。


「お父さん。これあげるから持っていって」


「これは何だ? 俺にくれるのか?」


「うん。お守りよ」


 父はよほど私からのプレゼントが嬉しかったのかものすごく喜んでくれた。


(これで少しでも寒さが和らぐといいな)


 私はそう思って出て行く父の背中を見ていた。


 ◇


 ドルトは何故か体がポカポカしてくるのを不思議に思った。いつもと変わらず顔に当たる風は冷たかったが、何故か体はポカポカしていた。風邪でも引いたかな? ドルトが不思議に思っていたが何故か胸が異様に温かいことに気づいた。


 ドルトは胸に手を当てると胸ポケットが異常に温かかった。ドルトが胸ポケットに手をいれるとものすごく暖かいものが入っていた。ポケットから出してみると朝にティアラがくれたお守りが信じられない程、温かくなっていた。ティアラが渡したカイロは馬車の手綱を握るドルトの凍えた手をゆっくりと温めた。


 辻馬車が目的地に到着したのでドルトは仲間と共に休憩していた。冷たい風で凍えた顔にカイロをつけて温まっていると仲間の一人が声をかけてきた。


「ドルトさん、どうしたのそんなもの顔につけて?」


「おお。ロイドさんか。いやね娘が朝渡してくれたお守りがどう言うわけかすごく温かいんだよ」


「ええ? ちょっと触らせてもらえないかい?」


「ああ、いいよ。ほれどうだい?」


「おお!! 本当だ! あったかいね。これはいいね!」


「そうなんだよ。どういう訳かわからないが、これを胸ポケットに入れておくだけでやたら体がポカポカになるんだよ」


「これはいいよ。おーい! みんなちょっと来てくれよ。ドルトさんが面白い物持ってるぞ」


 ロイドが周りの仲間を呼んだ。辻馬車の男たちがドルトの周りに集まってきた。


「どうした?」


「ドルトさんが凄いものを持ってるんだよ。ほらこれ触ってみなよ」


 男たちはドルトからお守りを受け取るとみんなびっくりした。


「なんだ? これどうしてこんなに温かいんだい?」


「そうなんだよ。俺も不思議なんだよ」


「ドルトさんこれどこで買ったんだい?」


「娘からお守りとしてもらったんだよ」


「ええ! 俺にも作ってくれないかい?」


「俺もいいか?」


「俺も」


「俺も…」


 辻馬車の男たちは揃ってドルトに作ってくれないか? と懇願した。ドルトは、仲間の勢いに押されて娘には言ってみるけど期待はしないでくれ、と念を押してその日は帰った。



 ドルトは家に帰るなり私を呼んで今日あったことを話してくれた。話終えたところで私に仕事仲間の分のお守りを作ることができないか相談してきた。


 私はカイロは一日で寿命を終えることを想定していたので、予めカイロの材料を大量にストックしていた。私は父の申し出を快く引き受けた。その日から私は幾つものカイロを作成して父に渡すのが日課になった。


 こんな物でも人にこれほど感謝されることが楽しくなり、私はこの世界での生き甲斐を一つ見つけたような気がした。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る