49.「ALONE」
話が尽きない昼下がり、あなたは船内のカフェテリアでお茶を頂いていた。粉末を溶かした紅茶にアルミパウチに納められたメイプルクッキー、百年経っても品質が変わらない時代の最先端を行く味わい――あなたにとっては遥か過去の遺物だが。
「ここに来てもう三年になるけど、ずっと魔術について調べてたんだ。すると、魔術とは機序と再現性のある、れっきとしたシステムだと分かった。つまり、魔術と科学にはある種の類似性が存在する。科学でできることは、魔術でもできるはずなんだ」
あなたは科学も魔術も知らないが、言わんとすることはなんとなく分かった。例えば、ルフィナが言っていた魔術と演算の話。あれは科学的ではなかろうか、知らないが……。
「君の知能水準に合わせると……僕がこの世界に飛ばされたのは例の超高エネルギーが関係している。偽の真空から真の真空に移ったあの時、ラザロ3号を襲ったあの力が世界線の壁を破った」
馬鹿にされているのはあなたの知能水準でも分かったが、事実であることと悪意がなさそうなことを考慮して黙っておいた。
超高エネルギーがアローンをこの世界に吹き飛ばした。真偽はともかく、それは良い。しかしあなたはどうだろうか。
あなたを襲ったのは超高エネルギーでも何でもなく、名も知らぬ誰かが放った一発のロケット弾――より正確にはビルの破片だ。不可思議など何処にもない。ありふれた悲劇、ありふれた死だった。
「うん、それについてはちょっとした考察があるんだ。荒唐無稽に聞こえるかもしれないし、僕もそう思ってるんだけど」
紅茶を一口、アローンが続ける。
「詳しい説明は省くけど、真空の崩壊って言うのは安定から不安定に状態が変化することなんだ。坂の頂点に一つのボールがあるとしよう。手を放すと、当然底に向かって転がり、やがてエネルギーを失って静止、安定する。これは不安定、高エネルギー状態から安定、低エネルギー状態への移行を意味している。万物はこの法則に従っているんだよ」
水も電気もエネルギーも、全て低い場所へ向かって流れる。楽を求めるのは人間だって同じだ。
「底で止まったボールは外部からエネルギーを与えない限り自発的には動かない。しかし、もしボールが独りでに転がり始めたら? 底だと思っていたのは底じゃなくて、何かの要因で引っかかっていただけだとしたら? 安定していたはずのボールが再びエネルギーの放出を始める、これが真空崩壊だ」
予測も回避も出来ないとアローンは言う。始まった時点で終わり。うっかり足を引っかけて抜いてしまったゲーム機の電源、誰かが何の気なしに押したリセットボタン。これはそういった事象だと。
「エネルギーは連鎖的に光速で広がり、触れる物全てを消滅させる。何れ宇宙は無になる」
恐ろしい話だというのは伝わった。知った所でどうしようもないから怯えはしないが……それがあなたがこの世界に来た話とどう関係するのか。
「順番こそ逆だけど、生と死ってのは不安定から安定への変化だと思わないかい」
生は不安定であり、常に変動する。しかし死とは一種の終着点、それ以上何かが変わることがない。生物の持つ無限の可能性を断つ唯一の手段だ。
「その変化が君をこの世界まで吹き飛ばした、そうは考えられないかな」
面白い考察ではある。しかし、死は誰にでも平等に訪れる。貧富も賢愚も関係なく、生者必滅、諸行無常の響きあり。
それなら死んだ人間はみなこの世界に訪れるのか? あなたの死が特別扱いされた理由は、何だ。もしこの世界があの世なら――特にウェイストランドと繋がっていたら、とんでもない悪人共で溢れかえってしまう。
「いや、僕から言っておいて申し訳ないが……あまり本気にしないでくれ。人類が宇宙に進出した時代でさえ死は未知の物だし、これはまあ、考察だから」
理論立てて説明できることは何もないし、僕のだって与太話みたいな物だと思ってくれ。そうアローンは話を締めくくった。
「さて、では最も重要な話をしよう。僕がどうやって元の世界に帰ろうとしているか。その鍵は王都の地下、王国書庫に隠されてる――と考えてる」
何やら曖昧だが、まあいい。あなたはクッキーを摘まむ手を止め、傾聴の姿勢をとる。
「簡単に説明すると、僕は強大なエネルギーで世界を遮る壁をこじ開けようと考えてる。その為には王国書庫の魔術書が必要になるんだ。それも一冊じゃなく、複数の同時使用がね」
突っ込みどころが多すぎる。
まず第一に、王国書庫は固く閉ざされていて入れない。第二に、アローンは魔術を使えない。
「でも君は王国書庫から仕事を受けているじゃないか。そのうち内部に入る機会が巡ってくるかもしれない」
希望的観測が過ぎるのではないか、あなたはそう言った。
「自分でも分かってる。でも仕方がないんだ、今の僕には希望的観測しか残されていないんだから」
アローンは続ける。
「二つ目、魔術書に関してだが、これはある種の代理詠唱装置を設計してる。まだ試作段階だが、近い内に完成するだろう――本番では君のお友達のメイベル君? にも協力頂けると大変助かるんだけど」
装置に頼るよりは本職の魔術師を頼った方が上手くいくだろう。しかし、見ず知らずの人間にメイベルが協力するだろうか。それも、魔術書――禁書の同時使用などリスキーなことに。
「無理言ってる自覚はあるけど、君が説得してくれると助かる。君と彼女はそれなりに親密な気がするし……どうかな?」
あなたに分かるはずもない。あなたが知っているのは自分だけだ。
もし、もし万が一にでもその時が来れば話を通すだけ通してみてもいいが。メイベルに危害が及ばないのであれば。
「それは良かった! もしその時が来たら飛んで行くからさ」
飛ぶ……文字通りの意味でないにせよ、ここから外に出る手段はあるのかとあなたは問う。
「三年間魔術の調査をしたって言っただろ? それは船内だけでやった訳じゃないよ。色々と外界を探る手段はあるんだ。これからは君の動きに注視するから、その時が来れば分かるよ」
それよりも、とアローンは空になったメイプルクッキーのパウチを床に捨て、新しいパウチをテーブルに開けた。今度はチョコクッキーだ。
「もう少し話そう、次は君の世界――笑い話の一つや二つ、あるだろう?」
謎は多い。なぜあなたはこの世界の言葉を理解し、話しているのか。死者の中でなぜあなただけが再び生を受けたのか。なぜアローンはこの世界の言葉を理解できるようにならなかったのか。
あなたがこの世界に飛ばされた理由など無いかもしれない。本当にただの偶然、あるいは説明のしようがない何かしらで――あなたはもう少しアローンの考察を聞きたかったが、これ以上の進展は無さそうなので止めておいた。
お望み通り、ウェイストランドの話をしてやろう。面白いかはともかく、刺激に満ちた話を――
「いやぁ今日は実に楽しかった! 久々に意思疎通の出来る相手と話せたよ。普段は自動販売機と話すしかないから……自動販売機知ってる? お金を入れると選んだ飲食物が出てくるんだけど、まぁ君の世界にはなさそうだ。で、船内のは喋るんだけどあらかじめ決められた会話しかできなくて――」
あなたはアローンの話を右から左に受け流し、船内をぐるりと眺めた。
左側にはベッドが並び、カレンやメイベル、イリヤ含む砂の民が寝かされている。睡眠ガスで眠らされたのは周知の通りだが、既に記憶処理を施してあると知らされたのは全て終わった後だった。未来にはインフォームドコンセントなど存在しないらしい。
「実は二週間と少しで僕の誕生日なんだ。盛大に祝うから、君も来てくれると嬉しいな。あの女の子二人も同伴してくれて構わないから!」
王都からここまで結構な距離があるのだが……それよりも、言葉を介さない人間と誕生日を祝うなど地獄ではないのか。あの二人はアローンを知らないだろうし――記憶処理でマブダチだったなんて埋め込まれてなければ。
「余計な記憶は埋め込んでないよ。この船を跡形もなく破壊したって記憶を入れたから、君も適当に口裏合わせしてくれよ」
なんとも不気味な話だ。余計なことをまた一つ知ってしまったせいで、これからあなたは自身の記憶を疑わなければならなくなった、そんな気がする。
「じゃあまた! 気軽に来てくれよ、僕はここで
あなたは船内の窓から外を眺めた。ここに入る際使った窓だが、今は沈みかけた夕日が見えている。
実際ウェイストランドに帰れるとして、あなたは帰るだろうか。今までずっとあの世界をクソだと思っていたし、この世界に骨を埋めようと心の片隅では思っていたフシがある。
しかし、いざあなたの目の前にウェイストランドが現れた時、あなたはどうするだろう。
――分からない。余りにも荒唐無稽で話が遠すぎて。
あなたはその時のあなたに運命を託すことにした。いつもそうしてきたように。
あなたは窓から足を踏み出し、振り返った。そこにはもう何もない。背後から砂の民の歓声が、メイベルを褒め称える声が聞こえた。
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