43.「На запад!」

 行きに二日、帰りで二日、仕事を三日で片づける。それがメイベルの立てた計画だった。地図とにらめっこした結果得られた数字だが、勿論早くなるならそれに越した事はない。


 今のところ、旅は順調に進んでいる。といっても、まだ王都を出て一時間と経っていないが。


 幌馬車の御者は馬の扱いに長けたカレンに決まり、護衛コーチガンはあなた、指揮を執るのはメイベルとなった。各々の得意分野を生かした配置と言えるだろう。


 現在地は王都から無数に伸びる街道の一本、西に向かう中で最も大きな『ザーパト街道』だ。王都の管理が行き届いているだけあって治安も良好、道行く旅人や隊商の表情も比較的柔らかい。


 馬は賢い生き物だ。ウェイスランドで時折見かけた車と違い、ある程度の指示を与えれば後は自分の意志で走ってくれる。カレンは手綱を引いて最小限の修正を加えるだけで、あなたはぼんやりと空を見上げるくらいしか仕事がない。柔らかな雲が浮かぶ、穏やかな晴れの日だった。


「ほら見なさいよこれ、殆ど乾燥食品。口の中ぱっさぱさなるわ」


 先程からメイベルは客室で何やらごそごそとやり、あれこれ愚痴を漏らしていた。


「水で戻して食べるんじゃないんですか? スープとか」

「まあそりゃそうなんだけど、野菜とか果物とか食べたいでしょ。一週間ずっとこれは健康に悪いわ」


 食事は士気に多大な影響を与える。メイベルはこの質素すぎる食生活が気に食わないらしい。あなたと同じく放浪者だが、あなたと違って健康に気を配っているのだ。冷気に凍ったチーズを飴のようにして食べていたあなたほど粗暴ではない。


「生鮮食品売ってる隊商がいたら止めてくれない? 私が出すから」

「いやそんな、皆で食べる物ですし……」

「いーのよ。意識的に使わないと溜まる一方だし」


 この中で一番経済力があるのは、恐らくメイベルだろう。元々の分に加え、ユニコーンの件での稼ぎもある。しかし、最も出費が多いのもまた彼女のはずだ。


 魔術には金がかかるらしいと、あなたはどこかでそう聞いた。確かに魔術書の慎重な扱われ方を見るに、安い物ではなさそうだが。


 あなたもユニコーンにかなり稼がせて貰ったが、その大半は未だ手つかずで懐に眠っている――使い道がないのだ。幾らか良い物も食べたが限界があるし、まさか家など買う訳にもいかない。宝の持ち腐れとは正にこの事だ。ここは、あなたが出すべきだろう。


「いや結構、こんなので借りなんか作りたくないし」




 貸し借り云々を持ち出すと、あなたの方が余程メイベルに借りがある。尚更あなたが払うべきだ。


「あのね、私は……」

「割り勘にしましょ! ね?」


 カレンの提案で、そういう事になった。彼女も払うと言ったがそうもいかず、結果的にあなたとメイベルで持ったのだが。


「遅い遅い! もう一時間経ったんだけど!」


 無事に隊商から質の良い野菜と果物を入手する事ができた。問題はその後、あなたが夕食の為に腕を振るおうとしてからだ。


 もうそれなりに前の話だが、あなたはある料理本を読んで料理に関心を持った。その時は近くに調理設備もなく機会にも恵まれなかったのだが、今日の野営で遂に機会がやって来た、が……


「同時進行でやりなさい。とにかくぶち込んで火を通せば何だって食べられるんだから」


 それは余りにも粗暴ではなかろうか。あなたが目指す所はもっと高く、見た目良し味良しの高品質料理なのだ。


「見た目はどうだっていいのよ、食べごたえと栄養さえ確保できれば……あんた最低限の料理は出来るのよね?」


 あなたは過酷極まる死の大地を長年一人で生き抜いてきた。当然料理だってお手の物、得意料理は小麦と木くずを混ぜ込んだ地獄パンだ。


 あるもの全て混ぜて胃に流し込む、これぞウェイストランダーの嗜みである。


「最低限の最低限しか作れないあんたが急に手の込んだ奴作れると思う? デザートだかなんだか知らないけど見なさい、カレンはもう生で食べてるわ」

「まだ旬には少し早いですけど、十分美味しいですよ。メイベルさんもどうです」

「ん、頂くわ」


 既にカレンは短剣で桃を切り分けていたらしい。メイベルへのシェアすら始まっている。


 あなたが作ろうとしているのは桃とベリー類をふんだんに用いたコンポートだ。全ての食材を完璧な火加減で煮込み、完璧な砂糖の量を測って最後にレモンを絞って酸味のバランスを取る。本にはそう書いていた。


 あなたの名誉の為に言っておくが、もう皆夕食は食べ終わっている。今日はカレンお手製の、最早お馴染となった乾燥肉と野菜のシチューだった。美味しい上に調理時間は十分足らず。今のところあなたが勝っている要素がない。


「完璧なんて無理よ、人間なんだし。貸しなさい」


 メイベルがあなたの手から木べらを奪い取った。そのまま流れるように目分量の砂糖と水を加え、レモンを豪快に絞る。ダッチオーブンの下で燃える薪を強くして一煮立ち。


 小さなナイフで器用に薄切りの桃を拾い上げ、口にして一言。


「これで十分美味しいわ。ほら、二人も」

「うん、美味しいです。甘くて体も温まりますね」


 あなたもそれに倣って一口。優しい甘みが身体を温めてくれた……季節が冬ならもっと良かったか。生憎季節は初夏に差し掛かった頃、如何に冷間な土地と言えど、そろそろ涼しげな物が嬉しい頃だ。


「仕事はまだ始まったばっかりなんだから。急げるとこは急ぐわよ」


 そう言ってメイベルは地図を広げた。焚き火を中心に囲み、コンポートをつつきながら作戦会議だ。


「結構良いペースだったんじゃないですか? 私たち」

「そうね、皆今日はお疲れ様」


 今日は天候と運に恵まれた良い日だった。あなたは懐から煙草を一本取り出し、焚き火に近づけて火を付けた。


「今日だけで半分以上進んだわ。このままいけば明日の夕方までは到着するはずよ」

「何事もなければいいですけど」

「やめてよ」


 明日には王都の治安維持範囲の外へ出る事になる。恐らく、今日のようにスムーズにはいかないだろう。


「まだ教会騎士の魔物狩りが行われてる範囲内でしょうけど、盗賊はいますからね……そういえば一時期巨大ワームの噂が流れてましたけど、知ってます?」

「ああ、あれは……討伐されたって聞いたわよ。詳しくは知らないけど」


 詳しく知るべきではない。カレンはあの件に関して無知であるべきだ。少なくとも、今は――いや、未来永劫。少なくとも、あなたの口から真相が告げられることはないだろう。


「へぇ、流石は教会騎士ですね」

「ま、せいぜい働いて貰わなくちゃね」


 不意にカレンが何かに気付いたように空を見上げた。その双眸はまっすぐにどこか遠く、水平線の彼方を射抜いている。


「雨が降りそうです」

「雲は見えないわよ?」

「匂いっていうか、気配っていうか……分かりませんか?」


 あなたも空を見上げた。晴れ渡った、雲一つない見事な星空だ。ウェイストランドでも飽きる程見てきたが、この世界には人工衛星の光がない。


 宇宙を想うと、あなたは奇妙な郷愁の念に駆られた。あなたの内に潜む何者かが、あなたの眼を通して宙を眺めているのだ。この空の向こうに広がる暗黒は、あなたの知っているものだろうか。それとも、世界が違えば宇宙も違うのだろうか。


「幌馬車で良かったですね。雨でも平気です」

「私達はね」

「え?」

「……? こいつは外でしょ」


 気付かぬうちに、どうやら別の話題になっていたらしい。


「寝る場所。客室はせいぜい二人が限界よね」

「頑張って詰めれば三人いけませんか」

「男と女が同じ場所で寝るのは色々と問題があるでしょう」

「私は別に構いませんけど……」


 メイベルがあなたを見ている。自ら言い出せ、という事だろう。


 問題ない。元よりそのつもりだったのだ。あなたは何処でだって眠る事ができる……そう言えばカレンの家でも外で眠っていた。


「流石に毎日外は可哀想だから、何か考えとくわ。じゃあおやすみ。陽が上ったら起きるのよ」

「すいません、おやすみなさい」


 二人が幌馬車の中に消え、周囲を静寂が満たす。虫の鳴き声と、焚き火の爆ぜる音だけがあった。


 あなたはもう一本煙草に火を付け、しばし夜空を見上げていた。

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