23.「影」

 雲一つない青空の午前九時。燦々と降り注ぐ陽光の元、あなたは待ち合わせ場所へと向かっていた。先日カレンから貰った手書きの地図を睨めっこしながら、人でごったがえす路地をすり抜けるように進む。王都に来てから早数日、あなたは少しづつ身のこなし方を学んでいた。


「――革命だ!」


 何処かから聞こえたその声で、あなたは地図から顔を上げた。革命、穏やかではない響きだ。迷子になる事を加味して早めに出たので、寄り道する時間はある。


 好奇心を刺激されたあなたは、声を辿って裏路地に入った。


 探し物はすぐに見つかった。裏路地を歩いて数十秒の所で、みすぼらしい恰好の男が木箱に立ち、熱心に存在しない群衆に語りかけている。


「今や王国は斜陽にあり、腐り切っている! 土台から、根底からひっくり返さなければならない……革命、革命、革命! 革命だ!」


 男の熱量とは裏腹に、道行く人々は一瞥もせずに通り過ぎてゆく。男に演説の才能が無いのか、それともこんな事は慣れっこなのか。まるで男は別の世界にいて、あなたにしか見えていないような、そんな錯覚すら覚える光景だった。


 そんな中、黒いロングコートを羽織った一人の男が近づいていき、扇動する男の足元――ぽつんと置かれた空き瓶に小銭を落とした。その男はゆっくりと振り返り、あなたと目を合わせる。


「おや、偶然だな」


 あなたはその男を知っていた。あの火刑広場で会った男だ。二度会いたいとは思えなかった、白昼夢のような男。


「こんな治安の悪い所で、一体何をしているんだ?」男は振り返り、扇動している男を見やった。「もしや、君は革命主義者なのか? ……感心しないな」


 とんだ誤解だ。ただ、好奇心に惹かれて聞きに来ただけのこと。そちらこそ、小銭など与えていたではないか。これではどちらが革命主義者なのか分かったものじゃない。


「あれは施しさ。こう見えて俺は敬虔な男でね、聖らかさは一つの務めなんだ。俺が革命主義者でもそうでなくとも、彼には施しを与えただろうよ」


 そう言うと男は壁に背を預け、腕を組んで扇動に耳を傾けた。熱を持って放たれる数々の言葉に耳を澄まし、噛み砕き、一つ残らず自身の中へ落とし込むように。静かに目を閉じ、味わうように。


 しばらくの間、男はそうしていたが――飽きたのか、満足したのか――壁から背を放し、言った。


「ところで、君は何処に向かうつもりだったんだ?」


 別に、何処だっていいだろう。そちらには関係のない話だ。


 あなたはそう突き放したが、男は気にも留めない様子で口元を僅かに動かした。今度は、それが微笑みだとすぐに分かった。


「じゃあ、当ててみよう。そうだな――賞金稼ぎとの密会、なんてどうだ」


 ――これは偶然か、それとも何処かで見ていたのか。

 詳しく表現は出来ないが、この男は不愉快で、危険だ。


 殺すべきか、殺さないべきか。


 ものの数秒で、あなたの思考はここまで飛躍する。これまで、本能があなたを救った事は数知れず。その本能がこの男は不快だと叫んでいる以上、逆らう理由は見当たらない。


 この距離は、近接戦闘でカタをつける。短剣の切れ味を試す絶好の機会だ。まずは初撃で肝臓を貫き、次に気道を切り裂く。五秒もかかるまい。


 プランは万全、いざ実行へ――あなたが密かに短剣の柄を握ろうとしたその時、男は両手を上げておどけるように言った。


「まぁ落ち着けよ。俺はただ、簡単な推理をしただけさ。君の服装に振る舞い、今立っているこの場所、近くにあるのは賞金稼ぎが根城にしている酒場ぐらいなものでね……以上を加味して、正解を導くのはそう難しい事じゃない」


 気付かれた。殺意までかはともかく、敵意には気付いたはずだ。


 偶然とは思えないがしかし、男が嘘を言っているようには見えない。だが同時に、誠実な人間に見えないのも事実。とはいえ不誠実ではなく、顔つきは精悍な青年といった感じで――総じて、不気味。捉えどころのない、不気味な男。


「信じられない、といった顔をしているな。でもまあ、人生には信じられないことの一つや二つはあるものさ。そうだろ?」


 まともに取り合う気はなさそうだ。あなたは黙ってその場を後にする。


「もし良ければ案内するよ。この辺りは初めてだろ」


 結構だ。あなたは地図を見せた。


「準備が良くて結構。だが、本当にいいのか?」


 あなたは足を止め、続く言葉を待った。


「道中、君の質問に答えてやろう。気になるんだろ?」


◇ ◇ ◇ 


 結局、あなたは男の提案を受け入れた。少しでも男の情報が欲しかったのだ。酒場までは大した距離ではないが、何も知らないよりずっとマシである。


 あなたの見立てでは、この男は強者だ。それもかなりの。


 立ち振る舞い、服の下に隠された筋肉、猛禽類のような鋭い視線――本人は隠そうとしているのかもしれないが、どうしても隠せないものもある。懐に収まっている膨らみも、きっと財布ではないはずだ。


 対人関係においてまず考慮するのは、殺せるか殺せないか。ウェイストランダーはこう考える。この男とは、恐らく五分五分だろう。信じがたいが、高次元暗黒との接触をもってしても――


「……さて、質問があるものとばかり思っていたが。俺の思い違いだったかな」


 男はそう言って、あなたを思考の海から引き戻した。当の本人はロングコートのポケットに両手を突っ込み、涼しい顔だ。


 それがどうにもあなたの癪に触って、ここから走り去ってやろうかとさえ思わせた。実行しなかったのは、何処へ逃げてもこの男が先回りしている気がしたからである。


 一度嫌いになった人間の一挙手一投足に腹を立てるのはあなたの悪い癖だ。あの巨大ワーム戦以来、少し短気になったというか……直情的になったように感じる。


 人間としての自覚が薄らいだとはいえ、人間は人間だ。ここはバレないように深呼吸でもして、獣との違いを見せつけてやろう。


 まずは名前だ。最初のステップとしては妥当だろう。


「名前などどうでもいいと思うが……まあいい、俺はシロアッフだ」


 そう言って、男――シロアッフは、ポケットから小さな包みを取り出した。紙の包装に隠されていたのは、澄んだ黄色の固形物。


 シロアッフはそれを口に放り込み、包装紙をポケットに突っ込んだ。


「飴、食べるか?」


 それは飴だったのか。ウェイストランドで見かける飴と言えば、大抵酷くくすんだ原材料不明の物体か、粉々に砕け散った粉末状の何かだった。


 これ程綺麗な飴は初めてで、口にしたい欲求もあったが断った。


「遠慮してるのか? いいんだ、沢山あるから」


 シロアッフのポケットから次々と紙で包装された飴が出てくる。まるで誘拐犯みたいだと、あなたは内心そう思った。


「甘味はいいぞ。頭がよく働くようになるんだ」


 別に遠慮しているわけではなく、警戒しているだけだ。口には出さないが。


 それにしても、これ程大量の飴を持ち歩いているとは。余程好きなのか、頭脳労働に従事しているのか。あるいは何か中毒性のある成分でも含まれているのか。


「俺はこう見えて教師でね。学院で高等魔術を教えているんだよ」


 この男が……教師? 冗談だろう。


「本当さ! これでも結構生徒からの評判良いんだぜ」


 おどけるような仕草を見せるシロアッフ。この男が教鞭を振るっている姿が、あなたにはどうにも想像できなかった。ましてや、生徒からの評判が良いなどと……いや、そもそもあなたはまともな教育を受けていないではないか。


 学院を見たこともないのに、それについて語るのは間違っている。どの世界であれ、語り得ない物事に口を出すべきではないのだ。


 そこであなたは、まだ語れそうな……実を言うと、最も関心を寄せていたことを訊ねた。懐の中身だ。


 恐らく財布ではないだろう。では短剣か、もっと別の武器か? まさか大量の飴ではあるまいし。


「へぇ、中々目敏いな」


 シロアッフは懐に手を入れ、“それ”を取り出した。


 あなたはそれを知っている。大部分を占める木材、飛び出た金属筒、複雑にかみ合った機構――


「これは拳銃、人類の叡智が産んだ奇跡だ。火薬と弾丸の組み合わせで、遠く離れた敵を倒せるのさ」


 見覚えのない仕掛けが幾つか見て取れるが、それは概ねあなたの知っているフリントロック式拳銃に酷似していた。この世界にも火器が存在したのか。


 だが、拳銃なんて物を何故教師が持っているのだろう。ましてや携帯し、こんな路傍で見せるなど。


 あなたは厄介事に巻き込まれないかと周囲を見渡したが、道行く人々は誰一人としてあなた達に気を配っていないようだった。


「近頃はどこも安全じゃないからな。自己防衛、大事だろ?」


 シロアッフの目線の先には、見るからにガラの悪そうな男達。


 まさか、あいつらも拳銃を持っているのだろうか。だとすれば、あなたの身の振り方も変わってくる。


「さて、どうかな。拳銃はまだ高価でね。金持ちの魔術結社や犯罪組織はともかく、そこらの輩が持っているとは考えにくい」


 わざわざ買わずとも、奪うなりして手に入れるだろう。あなたの思考は犯罪者と似通っているので、恐らくこの考えは間違っていない。まあ、全ての可能性を考えていては何も出来ないので、頭の片隅に置いておけば良いだろう。


 敵がどんな武器を持っていようとも、生き物であれば殺せるのだ。


「――着いたぞ。ここだ」


 あなたの眼前に現れたのは、隠れるようにひっそりと佇む小さな酒場だった。


 ボロボロの木扉とヒビが入ったガラス窓。いや、それすらない窓枠だけの所もある。


 これでは一般の客は寄り付かないだろう。とはいえ、この小さな酒場に賞金稼ぎがたむろしているとも思えない。


 本当にここであっているのかと地図を確かめたが、どうやら間違いは無さそうだった。


 さて、どうしたものかと思案していると――


「あ、旅人さん!」


 聞き覚えのある、活発な声。

 行きかう人々の中で、カレンが手を振っていた。


「早かったですね」


 手元の懐中時計は、午前八時五十分を指している。十分前ならば、模範的な行動を言えるだろう。


「慣れない街でしょうから、多少の遅刻を含めてたんですよ。でも良かったです。早ければその分準備ができますから」


 ちゃんと事前に地図も貰っていた、そのお陰だ。方向音痴では過酷な世界を生きられないし。


 それにシロアッフもいた。一応礼をしておいた方が良いだろう。


「一人で来たんじゃないんですか? 誰もいませんが……」


 まさかと思い振り返ると、既にシロアッフは姿を消していた。

 辺りを見回すが、この往来の中では見つけられる筈もない。

 あなたを導いた奇妙な男は、再び忽然と姿を消したのだ。


「まあいいでしょう。さあ、中へ」


 カレンの背を追い酒場の戸を潜る。

 あれはそういう生き物なのだ。唐突に現れ、からかい、忽然と消える。

 そう思う事で、あなたは平静を取り繕った。

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