第4話 等身大の冒険
SPは時間経過とともに回復するようだった。時計がないので日の傾き具合をみてそう判断したのだけど大体三時間くらいだろうか。まあ一応今回に限ってはそのくらいで回復した。体のダルさも取れている。まるでマラソンした後のダルさがゆっくりと引いていくような感覚だった。
ぼくの今の出で立ちはスキルで出した安全ヘルメットを頭に装備し納屋で見つけた錆びた鉈を武器に森の前で仁王立ちしていた。
「ふーふー、やってやるぞー。見てこれこのヘルメット工事現場で使われている最新の奴よ。これ装備してたら例え上からスパナが落ちてこようともへっちゃらのすぐれものよ。何故なら中はクッション性を持たせるためにバンドとヘルメットの間に空間があって、上からの衝撃をこのバンドが緩和してくれるんだからね。しかもこのバンドがまた超強力で耐久力抜群よ。もちろん耐候性だって抜群で」
目の前には森が鬱蒼と生い茂っている。日の光があまり差し込んでいないので薄暗い。奥にいくほど暗闇が濃くなっている。
「やってやる。やってやるさ。ぼくはやるときはやる男だ。高校生の頃だってはじめてのエロ本を必ず買ってやると本屋に数時間待機し、レジの店員がおねーさんからおじちゃんに変わった瞬間、契機は今だと見逃さずにエロ本コーナーから目的の品をあらんかぎりの速さで手に取り、そのままレジに猛ダッシュ、疾風のごとくレジにエロ本をだした。しかしおじちゃんがレジの操作に不慣れで結局おねーさんに変わってしまい恥ずかしさのあまりにお金をぶちまけクスクス笑われながらもエロ本を購入したのは今思えば懐かしい記憶のタペストリーさ……」
ぼくはやるときはやる男だ。それにスキルという今までにない力を身に着けたことで気が大きくなっていた。
「おねーさんの温かい視線の中、小銭をだすあの窮地に比べればこんなのピンチでもなんでもない!」
ぼくはそのとき少しハイになっていたのだろう。
水を手に入れるために足を一歩前へと進め、森への境界線を跨いだ。
〇〇〇
どこからともなく聞こえる何かの鳴き声に身を竦め、強烈な草木の匂いに鼻がマヒし、視界を塞ぎ行く手を阻む見たことない植物を鉈で切り落とし掻き分けていく。
「やればできる。やればできるじゃないかぼく」
まるで呪文のようにその言葉を繰り返した。普段のぼくからは想像もできないようなアクティブさに自分自身少し驚きを感じていた。
きっとスキルという今までにない力を手にいれたことによる気持ちの高揚と、なにより水を確保しなきゃいけないことの切羽詰まったこの状況が否応なしぼくを突き動かしているのだろう。
「よしここに印だ」
ぼくは帰り道に迷わないように鉈で木にバツ印をつけていく。それはもう10mほどの間隔で。
視界にはまさに原生林といった光景が広がっていた。
赤い綿毛のような実をつけたこんもりした植物に、赤や青や黄色などのワイングラスに似たつぼみをつけた植物。ひょろひょろと長い木、骨のように葉をおとした木々があると思えば、大人10人くらいが手をつないでようやく囲めるほどの巨木。地面には木の根っこがあちこち這い出し青い苔を生やしている。心なしか光って見えるのは気のせいではないだろう。
「これが異世界の森か……、な、中々雰囲気があるじゃないか」
どこかで鳥か何かの鳴き声があちこちからしてくる。
「……怖くない、怖くないぞ」
目の前の巨木の節がまるで眼に見えてくる。ぐねぐねと伸びた枝がぼくを捉えるために伸びてきて、その地中からはみ出した根っこを引き抜いて今にも襲い掛かってきそうだ。
「そういえばファンタジーものの小説にはよくトレントって木のモンスターが出てきたっけ、ははっ……ま、まさかね。さ、早く水を探さなきゃ、小川なんかが近くにあれば――っうわ」
黒い何かが目前を横切った。
な、なんだっ。
先ほどの勢いはどこか遠くに消えさり、不安がフーセンのように膨れ上がってくる。黒い何かが巨木のほうに飛んで行ったような。
耳障りな音が聞こえている。
見たくなかったけど見るしかなかった。
宙に、耳障りな羽音を響かせる飛翔中の蜂のような虫が飛んでいた。
「……蜂?」
蜂の体は真っ黒で、お尻から針が突き出ている。トレントではなかったのでほっとしそうになったが、よく見れば蜂は拳大くらい大きかった。
「ちょっと待って、でかくない?」
蜂はちょうどぼくの目線の高さでホバリングをし、お尻の針をちらつかせている。まっすぐに向けられた眼からはしっかりと敵意を感じることができた。
後悔した。ヘルメットを出すより虫よけスプレーを出しておくべきだった。
ブーっと羽音をたて、そのお尻の先の針が問答無用にぼくに突っ込んできた。
「どおおおわああああっ――――」
苦し紛れに鉈を振り回し、ほぼ倒れ込むように避けた。背後でドスっと突き刺さる音が聞こえてくる。
振り向くと蜂の針が深々と木の幹に突き刺さっていた。
おいおい、どんな貫通力だよ。
蜂は体制を整え再びぼくに狙いをつけ飛び掛かってくる。
「っうわあああっ」
鉈でなんとか追い払おうと振り回すが蜂は起用に飛び回りまるで弄ぶように避けていく。
あまりに力任せに振り回したせいか鉈の重さに体制を崩してしまった。ひゅんひゅん飛び回っていた蜂が一瞬止まり狙いを定め突進してくる。
――や、やられるっ。
体制を崩したまま妙な踏ん張り方をしたせいでずるっと地面を滑り尻もちをついてしまう。
そのおかげで間一髪、蜂は頭上を越えてその先の大木に激突、針をその太い幹に深々と突き刺した。えげつないほどに深く刺さっている。あんなの受けたら一発であの世行きだ。背筋がゾッとした。
蜂は羽をブンブンと羽ばたかせ幹に針を突き刺したまま暴れている。
「針が深く刺さりすぎて抜けないのか? ――っチャンスだ」
ぼくは鉈を振りかぶった。こんなとこで死んでたまるかっ。異世界にきて初めてのモンスター討伐だ。
意を決し振り降ろそうとした瞬間、背後から羽音が爆発的に膨れ上がった。嫌な予感しかしない背後を振り向いた。
何匹いるだろう。数えるのがばかばかしくなるほどに視界は黒に染め上げられていた。
「っきぃぃぃぃぃ!? 聞いてないよぉぁぁぁぁぃっ」
ぼくは視界に迫る草木を鉈をぶんぶん振り回し刈り取り、死に物狂いで森を駆け抜けた。
〇〇〇
「はあはあはあ……逃げ切ったか?」
あの恐怖の羽音はしない。どうやら彼らのテリトリーから無事に抜け出したようだ。あやうく体が風穴だらけになるところだよ。
「ふぅ~命びろいしたー」
地面に倒れ込み安堵する。
「これは先行き不安どころじゃない。もうくじけそうだよ。あんなのがそこら中にいるかと思うと……」
背筋に悪寒が走る。
大丈夫だろうな? と不安に聞き耳を立てていると、別の音が流れていることに気づいた。
まさかと思い周囲を見渡し目を見張った。
「――!」
小川のせせらぎが耳に心地よく照り返す日の光が川面をまるで黄金に染め上げていた。
「川だっ!」
川岸に駆け寄り、ひざまずく。
さらさらと流れる川面に手をいれ、その透きとおる水晶のようなきらめきにぼくは歓喜のあまり涙した。
「よかったっ。生きられる。これで生きられる」
あっちの生活では水で苦労することなんかなかった。水がこんなにありがたいなんて。ぼくはその水晶のように輝く水を両手で掬いとり口もとに運んだ。
こっちの世界に来て初めての水だ。
――旨いっ。
「水が、こんなに旨いなんて知らなかった。うん旨いっ。旨いよっ」
『スキル【抽出】により水を獲得』
「――――さっき何か声が。スキル? 水がどうこうって……」
そこで初めて気づいた。川面に見知らぬ誰かが映っている。
随分と幼い顔をしている。見たところ小学生から中学生あたりの男の子だ。
「誰だ!?」
背後を振り向いた。
しかしそこには誰もいない。
「??――」
もう一度川面を覗き込む。
そこにはやはり幼い顔をした男の子が映っていた。どこか見覚えがあるから不思議だ。男の子のほうもこちらを訝しそうに見てきている。
そこで電気が走ったように思い立った。
「――、そういえば」
『まあ――ついでに少しだけ若返らせてあげられるわね――』
女神様は確かにそう言っていた。
「見覚えがあって当然だよ。だってこれ小学生の頃のぼくじゃん」
いや女神様少しだけって言ってなかった? ぼくは二十歳くらいを想定してたんだが、これ十二歳くらいだよ。若返りすぎでしょ。
あの女神とことんふざけている。エリートっぽいてのは取り消す。とんだポンコツだ。
「はあ~……、しかし、これからどうしよう……。一心不乱に逃げてたからもはやここがどこかわからないよ」
水は発見できたけど、今度は帰り道がわからず暗礁に乗り上げた。
気づけば空は茜色に染まっている。流れる雲を眺めながら羨ましく呟く。
「あー、ぼくが雲だったらこの森を見下ろせて小屋までの帰り道がわかるのに」
背後から音がした。
反射的に鉈を持つ手に力を込める。「……蜂か?」森の陰から姿を現したのは斑もようの一匹の獣であった。ふらふらとした足取りでこちらに近づいてくる。
その姿はまるで――、
「猫?」
見た目は完全に猫である。ぼくは鉈を構えた。
ここは異世界だ。そしてこんな森にあっちの世界のいわゆる猫がいるはずもない。
きっとモンスターに違いない。
猫(仮)は黄金の眼を異様にぎらつかせながらこちらにふらふらと近づいてきて、辿り着く前にパタリと倒れた。
「……あれ?」
ぼくは慎重に猫(仮)に近づき鉈でちょいちょいと揺すってみる。
ピクリとも動かない。
「死んだ、のかな?」
「にゃ~……」
弱々しい鳴き声が口もとから漏れ出てきた。まだ息はあるようだ。見たところ傷はないようだけど。
なんかの病気? ここは川だ……あっもしかして、水が欲しかったのか?
「……」
どうする? 助けるか? いやでも、息を吹き返して襲われでもしたらこちとら小学生だ。一見してあっちの世界の猫と大差ない大きさだけど……小学生の頃に一度近所の家の飼い猫に餌をあげようとしたらそれはもうものすごい勢いで飛び掛かられなす統べなく奪い取られた記憶がある。
見た目が可愛いからといって決して侮ってはいけないのだ。
「にゃ~……」
猫(仮)は目を開く力もないのか弱々しく鳴くばかり。見れば斑だと思ったのは体毛が泥やなにやらで汚れているからだった。
「っく、ああもう分かったよ」
ぼくは小川で水を掬い猫(仮)に持って行った。
「ほらっ、飲め」
猫(仮)は一度眼を開くとぼくを見つめ、やがてぺろぺろと水を飲み始めた。
ぼくの手から弱々しく水を飲む猫(仮)を見ていると、変な母性が出てくるから不思議なものだ。
「にゃ~~」
「あ、無くなったのか。どうしよう小学生に戻ってるから手がちっちゃいんだ。でも水を汲めるようなものなんか持っていないし、そうだスキルだ! あれ? SPがいつの間にか減ってる。そういえばさっきスキル【抽出】がどうのって、だあぁ今はそんなこと言ってる場合じゃ……っそうだ!」
ぼくは頭に被っているヘルメットを脱いだ。
「これだったらたっぷりと汲めるぞ」
小川から水を並々に汲み猫(仮)に持っていく。ぺちゃぺちゃと音を立てて食いつくように飲み始める。どうやら元気が戻ってきているようだ。
「よかったよかった。いいか? ぼくは君の命の恩人だ。元気になったからって決してぼくを襲うんじゃないぞ。わかったか?」
頭を撫でようと手を出すと、猫(仮)「シャーっ」と威嚇したのでやめた。
「なんだよ、ちょっとくらいいいじゃないか……ん!?」
急激に腹痛が襲ってきた。
「ななんだ? 腹が急に、腹が痛いっ、いたっ、いたたたたたっ」
あ、あまりの痛さに意識が朦朧としてきた……。
なにか変な物でも食べただろうか……。いや、そもそもぼくは昼ご飯も食べていない――あ、そういやぼく川の水そのまま飲んだ。
……せめて、煮沸するべき、だった。
まずい、こんな所で気絶するわけには……。
視界が暗転した。
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