何かへのカウントダウン

笑子

第1話

 カチ。音がする。時計の針のような、でもそれとは少しだけ違う音がする。

 私の家に壁掛け時計は無い。時間を確認する手段は、携帯電話とテレビだけだ。

 お洒落な部屋には可愛い壁掛け時計が必要だと、なんの根拠もありはしないのにそんなことを思って一人暮らしを始める時に買った壁掛け時計は押し入れの中に埋もれている。チクタクチクタク、うるさくて、とてもじゃないが眠れやしなかったのだ。忌々しいとすら思うほど。

 そう、時計は埋もれているのだ。勿論電池などとうの昔に抜いてしまったし、動いているはずがない。それでも時折、カチ。と、音がする。それは決まって、この部屋に転がり込むようにして同棲し始めた彼氏に殴られている時だった。今この時だって、こんなことを考えながら酒に酔った彼に殴られている。カチ。あ、まただ。

「あんだよぉその目はよぉ、このアバズレがあ」

 彼は呂律の回らない舌で罵倒し、床に転がり芋虫のように丸くなる私の背中を思いっきり蹴る。カチ。

 なんだか今日は、いつもより頭が冴えている。

「おまえなんかにぃ、おぇのきもちなんかわあらないらろぉなぁ」

 体がギシギシと軋む。髪の毛を思いっきり引っ張られて、ブチブチと髪が抜ける。カチ、カチ。

 この人は、見えるところは殴らない。そして殴り終わったあとはすごくすごく優しい。典型的なドメスティックバイオレンス。それに屈している私は一体、なんなのだろう。

 ああ、また音がした。カチ。カチ。カチ。

 何かが迫ってくる。きっと、もうすぐ。

「しんじまえ!」

 カチ。




 私を足蹴にする彼の足を引っ掴んで、思いっきり引っ張った。無様にすっ転び、尻を強打したのだろう彼の無様な痛みに呻く声が聞こえた気がしたが、もはやそんなことはどうでもよかった。私は彼の上にのしかかり、懇親の力を込めて顔を殴る。固く握りしめた拳からは血が滴り落ちる。一発一発に全身全霊の力を込めて、殴る。殴る。殴る。彼の低い豚のような鼻は変な方向へ折り曲がって赤い血がとめどなく流れ出ている。泥のように濁った瞳からは涙を流し、私を罵倒した薄汚い口から何か言葉を発しているようだが、今の私には何を言っているのか聞き取れもしなかった。

 やっと動きを止めた私の息は絶え絶えで、全身から汗を吹き出していた。彼はあまりの痛みに気を失っているようだった。くたびれた死体のような彼を見て、渇いた笑いが漏れた。


 あの音はもう聞こえない。









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何かへのカウントダウン 笑子 @ren1031

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