第3話 表紙

 人間は、この世界を認識する為に5つの感覚器官を活用しています。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つです。それぞれの感覚器官を芸術という角度から見てみると、それぞれに特化した芸術世界が長い歴史の中で展開されてきました。


 視覚は、5つの感覚の中で最も活用されている分野でしょう。芸術としては、絵画を筆頭にあげることが出来ます。聴覚の代表は、もちろん音楽ですね。嗅覚は香道とか香水といった文化があり、味覚は世界各国に料理やお酒といった文化が発展してきました。触覚は、物理的に作品として残すことが難しいので、芸術という世界が見えにくい。しかし、触れ合うというのは、感覚器官の中ではかなり特異で、他者の存在を直に感じることが出来ます。キスをはじめとして、セックスに至るまで、芸術ではありませんが特化した分野が存在しています。また、映画や演劇のように、複数の感覚器官を刺激する芸術世界もあります。


 そうした感覚器官を刺激する芸術作品の中にあって、小説というのは案外地味です。目で文字を追いかけるので、視覚を利用していますが、絵画に比べると少し角度が違う。絵画は、構図や色、筆の運びに芸術的な昇華を感じますが、小説は、アスキーアートではないので、文字の配置や色使いはあまり重要ではありません。小説は、視覚を利用していますが、それは読むためであって、視覚を刺激しているわけではありません。小説の芸術的価値は、内容です。小説が刺激する器官は、視覚ではなくて、人間の頭の中、つまり意識です。


 仏教的解釈になりますが、人間が自分を取り巻く世界を認識する機能として、6番目に意識をあげています。意識とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった5つの器官から得られた情報を、統合して整理したうえで、この世界を認識する機能です。人類における言葉や文字の誕生が、人間が持つこの機能を大幅に発展させてきました。意識の面白いところは、世界の認識だけでなく自由に想像ができることです。この想像力が、様々な芸術の創作意欲に起因しています。そうした意味では、意識は全ての芸術の母ともいえる存在だと思います。


 小説という媒体は、意識を刺激して、私たちに快楽を与えます。人間のより深い部分を刺激するという意味では面白いのですが、小説には芸術的に大きな欠点があります。それは、シンプルに楽しめない。瞬間的に楽しめない。読者が、意識的に読み進めないと内容が分からないからです。


 音楽にしても映画にしても、そうした芸術作品は受け手にダイレクトに影響を与えます。太鼓のリズムに体が自然と反応するように、受け身の姿勢であっても気持ちが高ぶってしまう。


 ところが、小説は意識的に読み進めないと、その内容を知ることが出来ません。更には、漢字や言葉の理解はもちろんのこと、内容そのものの理解の為に、学習が必要な場合もあります。同じ芸術でも、結構ハードルが高い。


 だからといって、あらすじを理解してから本文を読んだのでは面白さが半減します。小説は、真っ新な状態から読み進めた方が、絶対に面白い。物語の展開が新鮮で面白いからです。


 ――じゃあ、面白さの追求の為に、情報を完全に遮断したら?


 これはこれで、問題です。人々に認知されない。たまたま読んだ読者は喜ぶでしょうが、情報が無ければ、その作品を人々が知る機会が失われてしまいます。これでは、読者に作品が届かない。内容は伏せつつ、且つ、「面白そうだな!」と感じてもらうのが理想です。ですから、小説には副次的な情報が必要になってきます。


 一般的な、小説作品の副次的情報と言えば

 ・タイトル

 ・サブタイトル

 ・表紙


 「タイトル」で、作品のテーマ的なものを匂わせます。ただ、タイトルだけでは短いので、最近では「サブタイトル」にも力を入れています。この二つで、凡その作品の情報を提供します。読者の期待を煽るくらい刺激的な方が好ましい。


 作品の情報提供としては、これだけで十分ですが、小説作品というのは従来、製本されてきました。ですから、本には表紙があります。出来ることなら、この表紙も利用しない手はない。視覚的に読者に訴えかけるのです。上手くいけば、レコードのジャケ買いのように、読者の心に刺さるかもしれません。


 kindle出版をする場合、本文は当然必要です。それ以外に、表紙も必ず用意する必要があります。長い長い前置きでしたが、今回はこの表紙に付いてお話をしたいと思います。


 kindle出版の解説ブログなどを読むと、この表紙についても色々と言及されています。表紙のサイズは、高さ2560ピクセル、幅1600ピクセルが良いだとか、ファイル形式はJPEGが良いだとかです。ただ、最後には、素人が表紙を作ったんじゃ効果が薄いから、外注して丸投げした方が良いものが出来るよ、とまとめられていたりします。納得は出来ます。小説を書く能力と、表紙を作る能力は、別ものです。その方が、効果は高いかもしれません。ただ、僕は納得が出来ません。


 kindle出版のゴールが、本を一冊でも多く販売することだとしたら、それはありです。しかし、僕の場合は、これらの過程を楽しんでいます。ショートカットしたいわけではなく、自分の手で出版までの道程を歩きたいと考えています。もっと言うと、躓くことすら楽しんでいます。案外、簡単に出版できそうだったkindle出版ですが、現在の所、簡単には進んでいません。印税の受取先である、楽天銀行の口座も、未だに開設できていなかったりします。


 話が脱線しました。出版する作品は「逃げるしかないだろう」です。このテーマに沿った表紙について、僕なりに考えてみました。まず思いつくのは「逃げている姿」です。非常口に逃げ込むピクトグラムをイメージしてみたり、走っている人の姿を様々な角度でイメージしてみました。


 ただ、そうしたイメージをどのように落とし込むのかは、かなり難しい。作品の主人公は画家ですが、僕は画家ではありません。写真は撮れても、絵を描くのはハードルが高すぎます。主人公が逃げているイメージだけを温めつつ時間だけが過ぎ去りました。


 この間、次男を病院に連れて行かなければなりませんでした。心配するほどではないのですが、自転車の後ろに次男を乗せて(交通違反です)病院に向かいました。この時、次男にカッターシャツとスラックスに着替えて欲しいとお願いをしました。診察が終わった後、次男をモデルに写真を撮りたかったからです。恥ずかしがる次男を、僕は励ましました。


「恥ずかしがることはない。シンゴは演劇部だ!」


 高校1年生になった次男は、演劇部に入っています。人通りがある中、暗い夜道の中で、僕は次男に様々なポーズを要求しました。


「派手に走ってみてくれ!」

「そのポーズのまま、止まってくれ」

「手の位置は、もう少し上げて欲しい」

「靴の裏底を見せつけるようにしてくれ」


 素直な次男です。父親の無理難題に付き合って頂きありがとうございます。50枚ほど写真を撮りました。本当は、もっと撮りたかったです。ですが、流石に怪しい二人なので、その場を退散することにしました。


 写真の中から一枚を選び出して、加工します。大雑把な加工は、スマホのアプリを使用しました。加工された画像を、今度は「Canva」という無料サイトで、さらに加工します。タイトルを埋め込み、それっぽく整えました。


「出来た!」


 表紙というテーマで、延々と述べてきました。

 お恥ずかしい限りです。

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