だから俺は、あいつが嫌いだ。

塩コンブ

第一章

第1話

 だから俺は、あいつが嫌いだ。

 何でもない感じで俺に近づいて、自分ばっかり平気な顔で。そのくせ文句ばっかり、俺がどんな気持ちでいるかも知らないで。

 今日だってそうだ。


……

…………

………………


 俺――星川ほしかわ 竜太郎りゅうたろうの朝はやかましい。


「ちょっと竜太郎、いい加減起きなさいよ」


 体をゆすられて、マシュマロに囲まれた世界がぼやけて、一気に現実へと引き戻された。


「ん……んんっ、もう少し」

「馬鹿ね、そんなことしてる時間なんてないわよ。それとも、私まで遅刻させる気?」


 語気が若干強くなる。そろそろ起きないと本気で怒るか……。

 だるい体を無理やり起こして、目をこすりながら焦点を合わせる。

 美崎みさき 絵梨奈えりな。幼稚園から一緒で家も隣。典型的な幼馴染だ。馬鹿で自堕落な生活を送ってる俺と違って、成績優秀でドがつくほどの真面目ちゃん。

 絵梨奈は小馬鹿にしたような、呆れたって感じで俺を見る。いつものことだ。

 学校の中じゃ絶対に見せないような無愛想で心底軽蔑した顔。普段は友達だろうが先生だろうが親だろうが、猫を被っている絵梨奈の本性がこれ。つまり俺は、悪い意味で絵梨奈の特別な存在なのだ。

 いつからだったかはもう覚えていない。気づいた時には嫌いあってた。

 それでもこうして関係が続くのは、お互いの両親の仲が良いことと、絵梨奈の良い格好しいな性格の賜物だ。


「ふぁあ……。別に先に行ってもいいのに」

「あのね、私はあんたの両親にあんたのお世話を頼まれてるのよ。私の両親もそれを勧めてる。あんたをおいて、仮にあんたが遅刻でもしたら申し訳が立たないじゃない」

「へーへー。ご苦労なこった」


 俺の両親は共働きな上、二人とも朝は早くて夜は遅い。だからこうして、しっかり者の絵梨奈が俺をお世話している。

 しっかり者の絵梨奈と、ダメダメな俺。

 別に劣等感はない。

 ただ結局のところ、絵梨奈は親たちからの期待に応えるためだけにここにいるのだ。

 服を着替えて、一階に降りる。リビングの扉を開けた瞬間広がる甘い匂い。今日はフレンチトーストらしい。


「早く食べて顔を洗って」

「わかってますわかってます」


 一口かじる。うん、美味しい。また一口。美味しい。

 相変わらず料理の腕も抜群に良い。

 あっという間に完食して、牛乳を流し込む。

 皿とコップは絵梨奈に渡す。


「ん……」

「何か言うことは?」


 今言おうとしてたところだ、馬鹿者め。最低限の礼儀くらいわきまえてるさ。まるで何も知らない子供みたいに、そうやっていつも俺を下に見る。


「ごちそうさまでした」

「はい。お粗末様でした」


 絵梨奈は食器を受け取ると慣れた手つきで洗い始める。全く、完璧すぎて腹が立つ。


 準備が終わると、二人そろって家を出る。学校までは徒歩十五分。この間に会話はない。二人の間は約五メートル。これがそのまま二人の心の距離なのだ。

 学校につくと、いつも通り絵梨奈はニコニコ顔を張り付けて、全てのものに愛想よく振る舞う。その間、絶対に俺の顔は見ない。


「やっ、えーちゃん! それからリュウ君も!」


 バンッと勢いよく背中を叩かれながら挨拶される。いい音がなったのに、痛みはほとんどない。天真爛漫でとにかく快活な性格してるくせに、変なとこで気を遣う。


「おはよう。朝から元気だな」


 田村たむら はるか。元々は中学からの絵梨奈の友達だったけどいつの間にか俺とも仲良くなっていた。


「おはよう遥」


 絵梨奈もニッコリ笑顔で返す。


「今日も二人仲良く登校かな?」


 この質問は良くなかった。

 絵梨奈はビクンと跳ねると怒りを必死に堪えてるかのような低くて震える声で言った。


「そう見える?」


 心底嫌そうな顔で、絵梨奈が答える。

 そうそう。遥に限って言えば、絵梨奈は俺への非情な態度もさらけ出せる。


「あはは、全く。二人とも空気が怖いんだもん」

「「それはこいつのせいだ(よ)」」

「あ、はもった」


 俺も絵梨奈も顔が赤くなる。


「まあ何でもいいけどさ。もう少しくらい仲良くしてくれなきゃ二人の共通の友人である私からするとつらいんだけど」

「あいにく、それは無理ね」

「そうだな、珍しく同意見」


 グルルル……と二人で睨み合う。


「はいはいストップ! 私日直だから先行くね。ああそれと、リュウ君こないだは漫画貸してくれてありがとね。まだ全部は読めてないけど、すっごく面白いから急いで読んで返すね」

「いいよ別にゆっくりで。どーせ俺はもう何回も読んだ作品だし」

「ほんと!? さっすが、大好き!」


 遥は俺にぎゅっと抱き着くと、満面の笑みを浮かべて校舎の中に走っていった。

 遥は可愛い。絵梨奈と遥とあともう一人の三人を合わせて、この学園の三大美女なんて呼ばれたりしている。

 そんな子に一瞬でも抱き着かれたら、どうしてもドキドキしてしまう……なんてことはない。遥は誰に対してもスキンシップが激しいし、流石に慣れる。

 遥の背中が見えなくなると、絵梨奈は無愛想で軽蔑した顔に戻る。


「漫画を貸したって? 私聞いてないんだけど」

「なんでお前にそんなこと言わなきゃいけねーんだよ。俺と遥の話だろ」

「そうね。私の友達の、遥の話ね」

「過保護か」


 なんなんだこいつは。あれか? 私以外の友達なんて許さないみたいな友情版ヤンデレみたいなやつなのか?


「とにかく。いい竜太郎? 少しでも遥に手を出したら許さないわよ。遥にとってはあれが普通なんだから、勘違いしないでよね」


 まさかツンデレの代名詞的なセリフをガチの忠告として聞かされる日が来るとは思ってもみなかった。


「はいはいそんなこととっくの前にわかってますよ」

「ならいいわ。先行くから」

「どうぞどうぞ」


 絵梨奈は立ち止まって、すごい目で睨む。


「なんだよ。早く行けよ」

「しね!」

「いたっ」


 鞄を俺の顔にフルスイングすると、絵梨奈は早足で校舎へ向かった。

 何怒ってんだあいつ。


「はあ……」


 あいつがいなくなると気が緩んでしまって、自然とため息がこぼれる。

 あいつにはその気がない。それどころか、俺のことなんて嫌いなくせに、親が言うからとか、幼馴染だからとか。理由をつけて俺のそばにいる。そのくせ嫌なそうな顔して。

 こっちのセリフだ、全く。

 頼むから俺に近づくな。じゃなきゃ、いつまでたっても諦めきれない。

 何度馬鹿にされて、ゴミを見るような目で見られても、ドキドキして仕方ない。

 こっちの気も知らないで話しかけてきて。無断で家に入るは部屋に入るは。朝も昼も夜もあいつが作った飯ばっかり。

 もはや生活の一部と言っていい。こんなに近いんじゃ、どう頑張ったて意識しちまう。もし両想いだったら、もし付き合えたら……って、気持ち悪い妄想しちまう。

 それなのに、何も知らないくせに、あの野郎……。


 だから俺は、あいつが嫌いだ。

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