第20話 思い出

次の歴史総合の時間、僕たちの班は資料をほとんど作り終えて雑談が多くなる。他の班も似た感じだ。

祇園さんの濡れ羽色の髪と、澄んだ瞳を見ると。古賀との会話を思い出す。

『いい感じだと思うぜ。祇園があんなに長く話す男子、他にいない』 

僕の妄想じゃない、ということ。

古賀をちらりと見る。声は聞こえないけど、唇の動きから「がんばれ」と言ってくれた気がした。

「何かな……?」

 祇園さんの表情はまだ固い。小説の話で盛り上がれなかったことを引きずっているのか。

 これ以上話して嫌われないか、そんな不安にさいなまれる。

 でも確かに、彼女と一番長く話せる男子は僕なことは確かだった。祇園さんが教室で話しているのはほとんどが女子で。

まれに男子に話しかけられても、ごく事務的な対応かテンプレ通りの会話しかしない。

彼女と話し始めたころの僕と、全く同じ。

 他の男子より優位に立っていることだけを心の支えに、一歩踏み出す。

「祇園さん、色々勧めてくれた小説、読んでみたよ」

「そう?」

 言葉がぎこちないし、返事も短いし、表情も固い。この前の盛り上がらなかったことを引きずっているのだろうか。

 コミュ強な彼女だから笑顔を作っているけれど、その笑顔が逆に痛い。

「過去の自分にタイムリープして、革命で処刑される運命を回避しようとするー」

 祇園さんの瞳が輝いた。

「タイムリープ前と後で、主人公と相手の関係が変わってるのが面白くて。敵だったキャラも無意識に味方につけてるのがスカッとしたかな」

「そうそう、そうだよね! 私が好きなキャラはほとんどモブだけど転生前の時間軸で左遷されたー」

 二言三言、話しただけで。この前とは打って変わって。

 目を輝かせて、熱が入って体を前のめりにして、会話に夢中になってくれている。

 面白いと思ったことは、自然と相手にも伝わるらしい。

 制服のブラウスの隙間から肌がのぞき、僕は気づかれないようにチラ見した。純白の制服に咲く一輪の肌色。

 好きな人の肌だから、ほんの少し見えただけでも嬉しくて。興奮する。

 何事もなかったかのように祇園さんの顔に視線を戻す。視線が合うと怖くなった。

 気づかれたか?

 でも楽しそうに会話しているので、このことはいったん忘れよう。

「小野不由美先生の本だけど、五巻まで読んでみた」

「それでそれで?」

「文章は重たかったけど、ラノベとかにある意味似てる気がした」

「……どういうこと?」

「悩みを抱えてるのが少年少女が多くて。特別な存在になっても、コンプレックスばかりで。でも置かれる状況を何とかしようって、奮闘していく。そういう熱い展開って、ラノベお得意じゃない?」

「そっか、そういう見方もあるんだね…… なんだかすごく新鮮」

 彼女の求める答えじゃないかもしれない。実際、彼女が戸惑った場面もある。

 女子との交流に乏しい僕が断言できることじゃないけれど、でも、祇園さんは前よりもずっと楽しそうに見えた。

 やっぱり僕には無理だったんだ。

周囲や相手に合わせて思ってもないことを言って、でも空気を悪くしない、そんな陽キャの猿真似なんて。

 楽しいことは楽しい、わからないことはわからないと、僕は素直に言うしかない。

 僕が人を楽しいと思わせることができるのは、自分が心の底から楽しいと思った話題だけだ。

「あとフランス革命つながりで、マリーアントワネットに転生した話も読んでみた」

「え? そんなのあるの?」

 マリーアントワネットという単語に食いついて、祇園さんの声とテンションが一層高くなる。

「漫画だけど…… ニコニコにあるから、見てみるといいよ」

 普通ならこれで終わりだろう。気になっている女子と楽しい会話ができた、それだけで満足で、奇跡のような幸せだ。ここで会話をいったん打ち切ってもいい。

でも、まだ終わらない。

 僕は鞄からためらいながらも小説を二冊取り出し、スマホをいじっている古賀や吉塚に見られないように祇園さんにそっと渡した。

 一般の本屋でもらえる茶色い紙のカバーがかけてある。

 今まで僕は祇園さんに合わせようとばかりしていた。彼女が好きなものを好きになろう、ただそればかり考えて。

 でもそれじゃ駄目なんだ。

 恋愛は一人じゃなくて、二人でやるものだから。

 僕が彼女に合わせるだけじゃなくて、彼女が僕に合わせたくなるような。僕が面白いと思ったものを、彼女もそうだと言ってもらえるような。

 そういう関係に、僕はなりたい。

「これなんだけど。僕のおすすめ」

「西戸崎くんからおすすめされるのって、何気に初めてだ。どんなのかな」

 祇園さんがページをめくると、かすかに赤面していた。

 ほかのクラスメイトから見えないような角度で開いたページには、肌も露わな女子が描かれている。

 彼女には見慣れない絵だったのか、目を反らして僕に睨むような視線を向けた。

「ちょっと、こういうのは……」

 想定通りの反応だ。

「確かにうげって思うかもしれないけど。中身は面白いから。とりあえず一章だけでも読んでみて」

「なんでこんなの……」

 祇園さんは恨みがましい視線を僕に向ける。ここまで強い拒否の意を示されたのは初めてだ。

 ひょっとしたら彼女とはここで終わってしまうんじゃないか、そんな恐怖が心を侵食する。

 でもここで退くわけにはいかない。

相手のことを思って、祇園さんに合わせてばかりで。嫌われるのを恐れてばかりで。


『お前、祇園に合わせすぎに見えるぜ。自分の言いたいことをもっと言ったほうがいい』

『嫌われたくないって気持ちが強すぎる。そんな風に思うと焦って、その焦りが相手に伝わって、ぎこちなくなりやすい』

『今の段階でこう言うのも、酷だろうけどよ』

『自分の好きなものぶつけて嫌われれば、それまでの相手だ。合わせてばかりじゃいずれ無理が来る』


 これが以前、遊びに行ったとき最後に古賀に言われたこと。

 言われた直後は受け入れられなかったけれど。

 でも、ひとつ気が付いた。

 それを言われたときに祇園さんと話していても、楽しさを感じなかった。声をかけるだけで緊張していたころは、彼女とあいさつができるだけで幸せだった。彼女の声を聴くだけで、天にも昇る心地がした。

 でも近頃は、そんな思いを無くしていた。彼女の反応ばかり気になって、楽しめていないことだけを気に病んで。

 今日は彼女の好きな小説の話題で盛り上がったから、それだけでも満足かと思ったけど。やっぱり楽しいものは共有したい。

 祇園さんとの会話から、彼女が好きそうなストーリーのラノベを選んで渡してみた。

 異世界ものだけど、ヒロインの心情が多く入るタイプだ。

 主人公視点のおまけにヒロイン視点が入るラノベは多いけど、文全体からすれば微々たる量でしかない。

だが彼女に渡したものは半分近くヒロイン視点の描写で、読者には女子も多いらしい。

イベントもラッキースケベ的なものは少なめで、ヒロインの苦労や主人公との心の交流に多くが割かれている。

 もちろん男子向けのラノベだから多少のお色気シーンはある。けれど純文学や大衆文学も多少読んでいる彼女なら大丈夫だろう。

 司馬遼太郎も三島由紀夫も、ラノベが可愛く思えるくらいに露骨な性描写が多い。種〇けプ〇スとか、我慢できず帰宅するや玄関先で始めたとか。

ちなみにもう一冊の本はラノベじゃなくて太宰治の文庫本の一つだ。マイナーな話だけど、太宰の少年時代を描いた「思い出」という本。

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