第10話 僕のバイトは
「へー、西戸崎バイトやってるのか」
「別に、ほかにやってる人も多いし、大したことないよ。部活頑張ってる古賀君のほうがすごいと思う」
「謙遜すんなって。ところで、なんで始めたんだ?」
麦茶のグラスをつかんだ手に、思わず力が入る。
「まあ、お金を稼ぐ練習だと思って」
「いや、バイトの動機にしては重たいな。『小遣い稼ぎ』くらいに言わないのがまじめなお前らしいけど」
人と違う言葉を使うといじられがちだ。でも古賀の声音にはバカにしたような雰囲気がなく、安心できる。
部活では後輩の面倒を見ることも多いだろうし、妹さんがいるせいかいろいろな言動に慣れているのだろうか。
「話は変わるがよ」
教室と違って聞いている人はいないはずなのに、古賀が声をわずかにひそめた。
「同じ班になった吉塚って結構ガラ悪いから、大変だろ?」
「そんなこと、ないよ……」
ここはきっぱりと否定するべき場面なのに、声が尻すぼみになる。
「いや、俺ですら引くことあるくらいだし」
「……ほんと?」
ある意味で古賀が味方になっていることに、心が沸き立つ。
「後輩の指導見たことあるけど、思い切り怒鳴るし。こっちがビビるくらいだった」
「それに……」
古賀の吉塚への愚痴を、僕はうなずきながら聞いていく。こっちから吉塚の悪口は最低限しか言わない。
さっきは吉塚に対して古賀が同じように苦手意識を持っていると聞き嬉しかった。
でも落ち着いて古賀の声の調子を、雰囲気を、観察する。
僕をはめるための罠ということはないか。一緒に吉塚の悪口を言うふりをして、あとで告げ口するつもりじゃないか。
過去のトラウマは、僕に人を疑うことを覚えさせた。
だが古賀は顔をしかめ苛立たしげに机をとんとん叩きながら、ずっと愚痴っていた。どうやら吉塚が苦手なのは、本当らしい。
僕は肩の力を抜いて、ちょうどよく冷めた麦茶に口をつけた。
「そういえば、祇園のことだけどよ」
麦茶が喉につかえそうになった。
古賀の口から祇園さんの名前が出たことに、嫌な気持ちが溢れ出そうになる。
「上手くいってるか?」
とっさに返答できない。下手に返事するとからかわれそうで嫌だった。
でも古賀や吉塚の前でもあれだけ話してれば、僕の気持ちなんてまあバレバレか。
ずるい動機だけど、自分が傷つかないで済む返答が思いつかない。
そんな僕をみて古賀は軽くため息をついて、微笑を浮かべた。
と言ってもバカにしたような感じじゃなくて、年下を見守るような優しげな視線だった。複雑な感情を抱きながらも、僕はとぼける。
「上手くって…… どういうこと?」
「隠すなって。祇園と仲良くなりたいんだろ?」
たった一言で顔が熱を帯びたのを感じた。
「だったら、どうだっていうの」
声が震える。さっきまで続いていた会話が急に途切れ、壁に掛けられた時計の秒針の音が嫌に大きく聞こえた。
「悪い」
古賀が深々と頭を下げた。ほとんど机に頭がつくくらいに、深く。
そこまで謝られるとは思ってもなかったので、逆に自分が悪いことをしたような気分になる。
「必死にやってるの、軽く扱われたらそりゃ頭来るよな……」
古賀は僕から視線をそらし、優勝トロフィーの飾ってある戸棚を見つめる。さっきはトロフィーに隠れていたが、その横にテニスウエアを着た古賀が女子と並んで取った写真が飾られていた。
三つ編みの大人しそうな子で、祇園さんとは別ベクトルの大和撫子という感じがした。
「別にバカにしてるとか、釣り合わないとか言いたいわけじゃないんだ。むしろ、けっこういい感じだと思うぜ」
いい感じ、そういわれて胸の奥が沸き立つ。
でも。やっぱり信じきれない。からかってるだけじゃないのか、そう勘ぐってしまう。
というよりこの前も僕と祇園さんの微妙な空気を目の当たりにしたはずだろう。
適当に言っているのか、期待を持たせて後でからかう気か。
「信じてないか。でも、こういうのって、自分だとわからないことも多いからな。俺も今の彼女と付き合うことになったのが、今でも信じられないこともある。話すのが他の異性より多いだけの関係。それがずっと続くと思ってたんだ」
僕と祇園さんの今の関係性を言い当てられたようで、胸が苦しくなる。
「でもお前ら見てると時々、二人の世界作ってる感じはあるぜ。会話はいまいち盛り上がってないが、祇園があそこまで長く話せる男子っていないぞ。俺は彼女いるから、女子グループの噂も少し耳に入る。結構お前たち二人のことが話題に上がるらしい」
胸が甘く疼くほどの快感が、満ち溢れてきた。
記憶にある限りの祇園さんの声や表情、僕の会話への反応などが脳裏に浮かび上がってくる。その一つ一つが僕に対して好意的か、否定的かを頭の中でチェックしてみる。
否定的なものは…… 本の話題で意見が合わなくなった時くらいか。
「お、その反応。マジで気があるのか?」
古賀が軽い調子で笑う。でも嫌な感じじゃない。僕をバカにするような色じゃない。面白がりつつも祝福するような、そんな感じだ。
でも恥ずかしくて。心の中を見透かされたような感じが、悔しくて。
とっさに否定しようとすると、玄関のチャイムが鳴った。
「悪い。ちょっと見てくる。それとな……」
去り際に一言残して、彼は席を立つ。
古賀がいなくなって、一人になった。他人の部屋で一人になるなんて、数年ぶりのことだからか落ちつかない。
時計の秒針や部屋に飾られたカレンダー、本棚の本の背表紙などを眺めていると。そのうちにどたどたと廊下を鳴らす音が、玄関からこちらへと近づいてくる。
「愛佳ちゃん、待って」
「はやくはやくー」
聞き覚えのある声がして、僕は何となく扉を開けた。
「きゃっ」
僕がドアを開けるタイミングと被ったのか、小さな子が尻もちをつく。愛佳ちゃんと違ってスカートだったため、白一色のパンツが太ももの奥にちらと見えた。
驚いた。パンツの色じゃなくて、僕を見上げる栗色の瞳に。
「西戸崎先生?」
頭の左右で結った髪、細い栗色の瞳に知性を感じさせる彫りの深い顔立ち。
幼いながらも大人びた雰囲気もまとう、ちぐはぐな感じ。
僕のバイト先の生徒、玉名静音ちゃんがこんなところにいた。
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