第2話 気さくな顔には裏がある

小金井の家から歩いて5分の自宅マンションがとてつもなく遠く感じた


冷汗が流れ、息が苦しくなり、深雪は耐えきれずに立ち止まって休める場所を探した


その時、静謐な空気の流れを感じて横を見ると、そこは根津神社であった


深雪は人気のない薄暗い境内に足を踏み入れた


何度も来たことがある神社だから夜でも怖くはない

人の気配はないが、いまは人の気配があるほうが怖いと感じた


深雪は境内のベンチに座り、スマホを取り出した


小金井から『気を付けて帰るよう』ラインが入っていた


小金井の言葉にショックを受け、その後何を話したか覚えていない

もちろんケーキの味も


何のために小金井に会いに行ったのかわからなくなった


慰めてもらいたくて

賛同してほしくて

自分は悪くないと言ってほしくて


でもそれは徒労に終わった


結局、小金井の経験論に適当に相槌を打って、平気そうなフリをして外に出た


そして今である


深雪は込みあがってくる涙をぬぐいながらスマホを取り出した


深雪には裏アカがある


と言ってもエロ画像や写真をアップするためのものではなく、聡のことを愚痴るアカウントだ


聡のモラハラ発言や行動、セックスレスの苦痛などを2年前から掲げ続けた結果、フォロワー数が2000近くまで伸びていた


「今日は医局のパーティー…これじゃバレちゃうか…」


何度も推敲しているうちにどうでもよくなって


【誰にもわかってもらえない。一人で夜風に当たってる】


と書いて投稿した


するとすぐに通知があった


相互ではないフォロワーからのDMだった


【大丈夫?辛いね。どこにいるの?】


相手のプロフィールは、完全レスられ3年目の都内在住の会社員、投稿内容は妻の愚痴と不倫相手のことばかりだった


深雪はぞっとしてSNSを閉じた


その時、ふとバナー広告に目が留まった


『恋人も結婚相手も友達も全部Penderで見つけちゃお♡』


と書かれていた



そのサイトの名前には聞き覚えがあった

ヤれる率ナンバーワンの出会い系サイト

マッチングアプリ大手なのにこのダサいキャッチコピーは如何なものかと深雪は興味本位でバナーをタップした

そこには現実では知り合いになれないようなイケメンの写真が多数掲載されていた

細マッチョ、奉仕系S、舐め犬…


深雪は乾いた身体がうずくのを感じた


登録は簡単だった

ニックネームと年齢、住んでいる地域、あとは任意のプロフィール画像と紹介文を打ち込むだけ

SNSによくある本人確認や認証は必要なかった



深雪は

【モラハラ、セックスレス旦那持ちの33歳です。慰めてくれる人募集】


と書いて『登録』ボタンを押した


その瞬間、スマホがピコピコと音を立て、何人もの男性のプロフィール画像が流れてきた


周囲に人はいないが、夜の神社の境内で電子音は耳障りだ

神社関係者に聞き咎められるかもしれない

深雪は慌ててマナーモードに切り替えた


【○○さんがあなたを『興味あり』に設定しました】


という通知がひっきりなしに切り替わった


深雪は戸惑いつつも、来た通知来た通知を開き、必死で相手を『興味あり』か『興味なし』に仕分けていった


気が付くと1時間近く経っていた

もう息苦しさも冷汗も消えていた

夢中で仕分けている間は、煩わしい現実を全部忘れられていた

深雪はスマホを操作しながら残りの家路を急いだ


その夜は一晩中スマホとにらめっこをした

充電がなくなりそうになると充電器につないだまま操作し、スマホが熱を持った


深夜になると通知が来るスピードが遅くなってきた

それでも自分の仕分け箱には数百人ものプロフィールが『未確認』のまま残っていた


自分のトレイを確認すると、『確認済238人』のうち、『興味ありは16人』となっていた


ということは、16人の男性とマッチングしたことになる


深雪が改めてその16人のプロフィールを見ていると、端に【マッチングした相手とメッセージを交換しませんか】という文字を見つけた


利用の案内を読むと、マッチングした相手とメッセージを交換するためには、本人確認書類の提出が必要なようだ


実際のやりとりになったら身元を保証するというシステムに、深雪は感心した



深雪は運転免許証をスマホで撮影して運営に送った

すぐに【確認できました】というメッセージが届いた


するとまたいくつものバナーが現れた


バナーをクリックすると【こんばんは】というメッセージが届いていた


形式はラインと同じようだ


深雪はとりあえず【こんばんは】と返してみた


するとすぐに【初めまして。Tと言います。よろしくお願いします】と返って来た


意外なほど普通の会話で、深雪は拍子抜けした


しかし、ある程度たわいのない会話が続くと、突然【慰めてほしいってどんなこと?】というメッセージが来た


改めて聞かれると即答できなかった

いままでずっと、吹き出しの横の受信時間は1分単位で刻まれているのに、ここに来て5分、10分と間が空いた


深雪は悪いと思いながらも返事を返さないままブロックした

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