中編
「ほんとにすごいよ。佐々木は」
彼女はしみじみそう言うとカバンから一個の飴を取り出し私に差し出した。
「私なんてどこもすごくない」
私は礼を言ってその飴を受け取る。
「何言ってんの?」
驚いた声を上げ、彼女は私の顔をじっと見る。私は彼女と目が合う衝撃に備え一瞬目を逸らした。
「私なんてすごくないよ」
「それ本気で言ってる? なんでそんなに自信ないの?」
ようやく私は彼女の目を見て、何故自分に自信がないのか考えた。
「なにやっても中途半端っていうか、すごくないっていうか……」
「あんなに綺麗に習字書けるのに?」
「綺麗に書けたってどうしようもないし」
眉を顰め、彼女は口をへの字にした。
「私はすごいと思うよ。自分のこと、もっと褒めてあげたら?」
真剣な表情でそう言った彼女はきっと親にも大切に育てられたんだろうな、と私は思った。
「でもね、なんだか人生失敗するような気がしてる。根拠はないけど」
それは根拠はない、けれど根拠がないからこそ心にこびりついている呪いだった。
「人生の失敗って何?」
彼女はキョトンとした顔をして私にそう言う。
「え? いや、例えば就職できない、とか」
「バイトでよくない? 下手したら正社員より稼げるんじゃね」
「結婚できない、とか」
「独り身の方が楽じゃん」
「彼氏に浮気される、とか」
「自分を大事にしてくれない人が離れて行っただけじゃん」
「仕事をクビになる、とか」
「新しい仕事の方が楽しいかもしれないじゃん」
彼女のポジティブさに私は負け始める。これではまるで、私の不安がただの杞憂みたいじゃないか。
「失敗なんてないんだよ。大丈夫」
優しい笑顔でそういう彼女。
――大丈夫。
なんて無責任で頼もしい言葉だろう。
「私が大丈夫だって思ってるんだから、佐々木の人生は私から見ればとっても大丈夫なものなんだよ? 忘れないでね」
真剣な眼差しの彼女のその言葉は、スッと心に入ってきて優しく私の身体中に染みわたる。彼女から見た私は彼女だけのもの。私がどんなに不安だろうと、私は大丈夫なんだと彼女は信じてくれている。
「ありがと」
ボソッと呟いた私の言葉をちゃんと拾い、笑顔を返してくれる。彼女の愛の深さはきっと天性のものなのだろう。
ガラッと教室の扉を開ける不愉快な音で、ピタッと私と彼女の世界が止まった。
「メグまだいたの? 一緒に帰ろ」
そう言って彼女に近づくクラスメイト。
「えー」
彼女はスマホを机に置いてクラスメイトに顔を向ける。
「あれ? メグなんか顔の印象違う」
「分かる? アイライン書いてもらったのよ、佐々木に」
その言葉でクラスメイトはちらっと私の方を見た。その視線はどこか私を小馬鹿にしたようなもので、私を見下したように薄ら笑いを浮かべる。
「へぇ。上手」
「でしょ~。さすがだよね」
私は俯いて本を読み始める。私は人一倍他人の醸し出す雰囲気を察知するのが得意だ。陰キャラだと私を馬鹿にし見下しているクラスメイトの視線が私の心に刺さり、居心地が悪い。
「でもよく人の顔にアイラインなんて引けるよ。よっぽど自分の器用さに自信あるんだね」
クラスメイトはそう言ってアハハと笑った。彼女は驚いた顔をしてクラスメイトを見る。間もなく私の方へ移った彼女の申し訳なさそうな視線が痛くて堪らない。
本を閉じ、私はそれをカバンに仕舞った。そしてカバンを肩に掛け、私は席を立つ。歩き出すと同時に彼女の椅子がガタッと音を立てて動く。
「佐々木! 気にしないで、きっと佐々木がアイラインを上手く書けて驚いているだけだから」
彼女は私の肩に手を置いてそう言った。私は歩みを止めて彼女をチラッと見る。なぜ私を庇う言葉をクラスメイトに言ってくれないのだろう。私にもクラスメイトにもいい顔をする彼女に苛立つ。
「そういうのいいから」
肩を動かし彼女の腕を払う。いつもは抱かない怒りを彼女に向けるのは、彼女はほかの誰とも違う存在だからだ。怒り悲しむ心が言葉を溢れさせ、理性が効かない。
「偽善者」
色々な言葉を飲み込んだはずなのに、最も悪質な言葉を口から発してしまった私はもう彼女の顔を見ることが出来なかった。
「ご、ごめん……」
彼女の涙声が傷ついた心に沁みる。彼女はちっとも悪くない。悪いのは勝手に彼女に期待した私だ。
私は何も言わず、そのまま教室を後にした――。
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