第34話 江の島デート⑥

 コウキはこれまで女性と付き合ったことはない。大学時代、男女のグループで遊びに行ったりすることはあったが、特定の女性と親密になることはなかった。それは珍しいことではない。男女問わず、特定の異性と付き合っている人の方が少ないのではないだろうか。なので、コウキは自分が特段おかしいとは思っていないし、相手がいないことに焦りを感じたこともなかった。

 付き合った経験がないということは、女性の心理を推察して言動するということに慣れていないということだ。自覚はあった。この状況で、どんな振舞いが正解なのか分からない。

 もしかしたら、マヤも同じなのかもしれない。多くの異性と付き合ってきたようには見えない。付き合っていない男女が絵馬に双方の名前を書く、それを不可解だと思わなかった辺りでも推察できる。

 恥ずかしそうに「やめておきますか?」と問いかけてきたマヤに対して「そうだね」と同意する方が、思いやりのある選択だったのかもしれない。理性で考えると辞めておくのが無難だったが、この瞬間、コウキの本能が背中を押した。好きだという感情に抗うことはできず、関係を一歩深めたかった。


 小さな机の上にハート型の絵馬を置く。備え付けのマジックを手に取り、コウキは自分の名前を書き込んだ。マヤはモジモジしながら、斜め後ろからそれを見ていた。

「はい、マヤさん」

 笑顔を作ったコウキは、振り返ってマジックを差出す。マヤは視線をマジックとコウキの顔の間を行ったり来たりさせた。その頬は薄く赤らんでいる。直前までいたカップルがイチャついている様子でも思い出し、自分たちと重ね合わせているのかもしれない。

「深く考えることはないです。お友達になったあかしだと思いましょう」

 丁寧な口調でコウキが穏やかな低い声で告げる。マヤはゆっくりとマジックに手を伸ばした。そして、机に向かい、コウキよりも小さな字で『マヤ』と書き込んだ。

「コウキさんが、結んできてください」

 マヤは両手で絵馬を差出しながら小声で言った。受け取ったコウキは、机脇の木棚にそれを吊るした。棚には、先人たちの絵馬が吊るされていた。色あせたものも含め数百個はありそうだ。コウキとマヤの絵馬は、所詮そのうちの一つに過ぎない。

「はい、これでOK」

 コウキが完了を告げると、マヤはコクリとうなずいた。笑顔でも、怒り顔でもない。無表情。どう思っているのか推測できない。戸惑っている……これが正解なのだろう。これまでに見たことがない表情だ。コウキにも戸惑いはあったが、それ以上に心臓が高鳴り興奮していた。外見に出ないようにそれを必死で隠した。

 マヤのことが好きだ。しかし、それを直接、表現したことは無い。まさか、この場面でその一端を出すことになろうとは。

「三つ目の神社へ、レッツゴー!」

 不自然に高いテンションでコウキは歩き始めた。マヤはうつむき加減で、その後に続いた。


 小道を五分ほど歩くと山頂付近に到達した。島の下から見えた展望タワーは近くで見ると想像以上に高った。

 二つ目の神社以降、マヤは黙ったままだ。お土産を見る度にはしゃぎ、楽しそうに女神の説明をしていたときとは正反対だ。

 嫌われたか? 小さな不安が楽しい気分だったコウキの心に水をさした。女心は良く分からない。アンドロイドだとしたら、このくらい問題なく受入れる気がする。やはりマヤは人間なのだ。こんな、複雑な心境変化をアンドロイドができる訳はない。

 そうとも言えないか……反対の解釈が脳裏に浮かぶ。

 最近の人工知能の進化は目を見張るものがある。リアルな女性の心境を学習して再現できてもおかしくない。もしかしたら、極端な行動の変化で相手の興味を引き付けるという作戦だってあり得る。

 様々な仮説がごっちゃになってきた。考えるのはやめだ。コウキは内心で自分に叫びかけた。今日のデートをリードするのだ。でないと後悔する。

「マヤさん、展望タワーに登ろう!」

 気が向けば展望タワーに登ると事前に相談していたが、コウキは強引に決定した。

 入口で入場料を支払って中へ入る。狭い廊下の先にはエレベータがあり、上層階まで一気に移動できた。


 扉が開くと、周囲360度が一望できる円形の展望エリアに到着した。

「わー、すごい」

 エレベータから歩み出たマヤは、フラフラと窓際まで吸い寄せられていった。眼下には、小道を挟んだ店の列、神社、木々の間に小道。視線を上げると、海を挟んで遠くの陸地が一望できる。小山の遥か先には大きな富士山。マヤが声を上げたのはこれだろう。弁天橋で見たときには靄が掛っていた富士山だが、今は奇跡的にハッキリと見えた。谷の部分であろう山の筋までがくっきり見て取れた。

「今の時期に、これだけ見えるってラッキーだと思います」

 口調は少し固いが、マヤがやっと話してくれた。目を輝かせて富士山を見つめている。

「展望タワーは登らなくていいかなって思ってたけど。登ってよかった」

 マヤは腕時計型端末を外に向けて写真を撮った。「両親にあとで送っちゃおう」などと小声で言っている。両親……そのワードが微かに耳に残る。マヤの家族構成はよく分かっていない。食事をしながら聞こうと思っていた事項の一つ。

「逆も見てみたい!」

 マヤの表情がぱっと明るくなった。「富士山、ありがとう!」と言ったところか。

 マヤは場面が変わるごとに楽しそうにコメントして写真に景色を納めた。

「コウキさん。あの山、覚えておいて」

 マヤが窓の外を指さす。海岸から数キロメートル内陸に入った低い山。木々が生い茂った特筆すべきものは何もない小山だ。

「普通の山に見えるけど……古い神社でもあるの?」

 質問を返すが、マヤは「あとで、あとで」とそれ以上、言及しようとしなかった。お昼ご飯でも食べながら話すつもりなのだろうか? コウキは聞き返さなかった。

 次に展望エリアを周回し、陸地と反対側に移動する。そちら側は一面の海。日の光が水面に反射してキラキラと輝いている。マヤはそれをみて「綺麗」と思わず感想を漏らした。コウキも同感だった。内陸に住んでいるため海を見る機会は少ない。コウキは海をしっかりと観察したことがなかった。島から一歩外は群青色の引き込まれそうな海。落ちると助からないであろうそんな海の表面が美しく輝いているのは不思議な感じがした。

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