シュレディンガーの生首

K.night

第1話

 自分の家の扉を開くと、生首が置いてあった。なんの音沙汰もなく、唐突に。

マネキンだろうか。マネキンなど扱ったこともないのに。そっと髪をかき分け触れてみると、リアルな死という冷たさに声を上げて手を振り払った。棺桶に入った祖母に触れた時の感触。初めて触れた人の死を思い出す。生首に間違いなかった。この肉体の終わりは作り出せない。慌ててあたりを見回すも、生首以外は普段と変わらない、いつもの狭いワンルームだ。視界にすべてが収まっている。どうしてこんなものがここに。誰かが持ってきた以外思いつかない。鍵は開けて入ったように思う。いや、間違いなく、開けたはずだ。そしてこんな不可解な出来事に巻き込まれるようなことは決してしていない。家の鍵を持っている家族も友人もいない。とすると。私はそっと台所から、包丁を取り出した。包丁の柄は暖かいのだとどこかの思考が動く。お風呂場の扉を勢いよく開けた。何もなかった。安堵とともに謎という恐怖が残る。そうだ、ベランダがある。カーテンを開いてみる誰もいない。鍵も締まっている。それでも怖くて、人など入れないようなクローゼットの中も、お風呂の通気口も開けてみた。誰もいない。不気味さだけが残った。

 警察に届けようか。いやだめだ、自分でもわからないことをどうやって説明するのだろうか。しかし、だからといってどうすればいいのだろう。勇気をだして、生首を見てみる。知り合いの誰かにいそうで、だれでもなさそうだった。そもそも、死んだあとの顔は生きてる時の顔と変わる。そう、祖母の亡骸から教わった。男かも女かも、年齢ももうさっぱりわからなくなった。ゲシュタルト崩壊とは、生首にも起こるのだろうか。

近くで触ってみることもできず、部屋から逃げ出すこともできず、ただただ生首という異常と向き合うだけの時間が過ぎた。そのままうとうとし始め、手に持っていた包丁が頬に刺さりそうになったのでしまいにいった。そしたら、きちんと布団に入って寝た。

 朝のまどろみから覚醒する瞬間が、苦手になったのはいつからだろう。多分、真っ先に目に入るのが目覚まし時計になってからだ。強制的に今日を始めさせられるようになってからだ。だから今日は気分がいい。目覚ましが鳴る前に起きれたから。違う。今日は休みだった。久々に一回で完全に覚醒している。ありがたい。そう思って寝返りを打てば、生首があった。「うわぁ。」と小さく悲鳴を上げて私は布団から半分起き上がった。そうだった。夢ではなかった。昨日、この生首が忽然とこの部屋に現れていたのだ、いっきに体がジトっと汗ばむ。服を着替えずにそのまま寝たようだ。不快感が重なる。わけのわからない環境に唸り声をあげた。とりあえずシャワーを浴びることにした。幾分かすっきりしたが、状況が変わるわけではない。生首を背後にも正面にも置けず、斜め下に存在を感じながらインターネットで自分と同じ目にあっている人がいないか探した。パトカーのサイレンが聞こえ飛び上がった。ネットには怖い話しかのっていないし、解決策などあるわけがない。自分は何一つ悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に合わないといけないのだろうか。いや、何かしたのだろうか。それならそうと理由を知りたい。理由も対策もわからないまま放置されるのはつらい。クローゼットを開けた。大きくもないクローゼットなのに漁るとよくわからないものがでてくる。その中からつぶした箱が出てきた。何が入っていたのかももう覚えていない。広げてみると手ごろなサイズだった。生首を持ち上げて箱に入れる。その感触が嫌だった。この冷たさが人が最後にはこうなるのだと思い知らせる。この体もただの躯なのだと。そのくせ、首の断面がどうなっているのか気になって、持ち上げてみてみた。ぐにゃりと赤黒い断面は膨れ上がっているようで、何か白いものも見えたが気持ち悪さに箱に生首を投げ入れた。申し訳ないと思いながらもふたを閉める。息が上がっていた。そっと箱を床に置いてしまえば、なぜか一仕事終えた気分になった。落ち着け、落ち着こう。生首がなくなった我が家はいつもの我が家だ。今まで何もなかったんだ。きっとこれからも何もない。急にお腹が減っていることを思い出した。そういえば昨日から何も食べていない。ふらふらと出かけることにした。そして、両手にいつもより多くの食材を買って帰ったころには幾分気が晴れており、ブロッコリーがゆであがるころには食欲も完全に復活した。

 不思議なことに私は箱をクローゼットにしまわなかった。最初はその存在がまだあることを確認するためだった。時々そっと開けては、人の髪の毛が見えて慌てて閉じた。毎日毎日、部屋の隅にあるその異質におびえていた。やがてその存在が変わらずそこにあることが安心に変わっていった。ある時など、箱を小脇に抱えて酒を飲んだ。会社であった嫌なこと、最近の楽しみなどまるで友人に話すかのように一人でしゃべっていた。そんな日々が続き、いつの間にか箱は部屋のオブジェになっていた。

ある日、友人が遊びに来た。時々あることだった。買ってきたものを並べて酒を飲んだ。

気持ちよくなってきたところで友人が聞いてきた。

「これ、なに?」

指さした先には例の箱があった。隠しておくことさえ忘れていた自分に驚いた。隠さなければ。

「開けてみたらいいよ。」

なぜかそういっていた。ふと知りたくなったのだ。人がこの状況になったらどうするのかを。コップに入った酒が心臓の音を波紋にしている。友人が箱に手をかける様子がスローモーションに見えた。

「うわっ。」

友人の驚く声とともに、たくさんの花びらがはじけ飛んだ。

「すごい、これ本物だ。え、サプライズ?」

惚けてる私をみて、友人は少なくとも自分あてのサプライズではないと認識したようでいそいそと花を片付けだした。

「・・・生首が入っていたんだ。」

「生首? ・・・あぁ、花は草木の生首とかそういう?」

違う、そうじゃない、ある日突然生首が部屋にあったんだ。ことの顛末を一生懸命話すけれど、友人は「そんなこともあるよな」、と酒を勧めてくるばかりだった。


次の日、一枚の花びらを部屋の片隅で見つけたが、私はいまだにあの箱の中には生首が入っていると思っている。

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シュレディンガーの生首 K.night @hayashi-satoru

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