15歳

1 婚約者は旅立った ……はずだった

「そろそろ行かないと」

「……うん」

「大丈夫。全く帰ってこれないわけじゃない。ちゃんと、君に会いに来るから」

「うん、うん……」


 しゅんと肩を落とす私を見て、困ったように笑うジークベルト。ふわりと私の頭に触れる手から、安心して、という気持ちが伝わってくる。

 身長が伸び、手も大きくなった彼。

 この人がこんなに大きくなったこと、もちろん嬉しく思う。

 でも、『お別れ』は寂しいんだ。


「……待っててくれるね?」

「……待ってる。あなたが卒業するまで、ここで待ってる」


 答えを聞いた彼は、満足げに微笑んで、私に触れていた手を離す。

 馬車に乗って旅立つ彼を、追いかけることもできずに見送った。



***



 これが、去年の春のやりとりだ。戦場に向かう恋人を見送る女性のような図だった。

 あの時は本当に寂しくてたまらなかったのだけど、15歳になった今、


「意外と帰ってくる……」


 旅立った張本人から送られてきた手紙を開封し、そうぼやいていた。


 この国では、上級階級の男子は全寮制の学校へ通うことになる。

 期間は、14歳からの4年間。

 基本的には学校の敷地内で過ごすそうだけど、休日に帰省することはできる。

 でも、距離の問題もあり、ジークベルトの場合は3日ぐらいの休みを使っても忙しい。

 夏季や冬季の長期休暇はあるから、ゆったり帰省できるのはそういったタイミングだとか。

 2つ上のお兄様だって、長期の休みを除けば、数か月に一度帰ってくるかどうかだ。

 だから、ジークベルトになかなか会えなくなると思い、大げさに送り出してしまった。


 そのせいであんな見送りになってしまったのだけど――あの人、わりと頻繁に帰ってくる。

 さっき受け取った手紙には、来週帰るよ、と軽い感じで書かれていた。

 頻度としては……毎月とまではいかないけど、それに近いペース。

 移動に半日ぐらいかかるから、月に1度往復するのだって大変なはずだ。


「でも、帰ってくるんだよね……」


 きっと、彼は家族や婚約者を大切にする人なんだろう。

 帰省の理由は家族に会いたいとか、婚約者にも会っておきたいとか、そんなところだと思う。

 それで合ってると思うんだけど……。


「もしかして、学校に居づらかったりするのかな……」


 なんて心配を、勝手にしていたりもする。

 前世の私が通っていたような学校ならともかく、彼が通うのは上流階級の男子のみ集められた、全寮制の学園。

 しかも、あの人は王族。

 他の生徒に距離を置かれ、寂しく過ごしている可能性もある。全寮制だから、馴染めないと余計につらいのかもしれない。


「……今度、さりげなく聞いてみよう」


 婚約者からの手紙を持ったまま、そう意気込んだ。


 

***



「んー……」


 最近、どうにも肩がこる。

 自室で机に向かっていた私は、誰も見ていない隙に自分の肩を揉んだ。

 原因はおそらく……胸についた『脂肪』だ。

 ここ数年で、私の身体は女性らしく変化していた。


 18歳まで生きた前世では、大きな胸に少し憧れていた。

 でも、実際そういう風に成長してみれば、肩はこるし、うつ伏せになると痛いし、揺れると恥ずかしいし、服だって胸に合わせなきゃいけないしで……。どちらかといえば、邪魔だった。


「まだ大きくなるのかな、これ……」


 自分の胸を持ち上げ、忌々しい気持ちで呟いた。

 既に邪魔だとしか思えないのに、更に大きくなったら困る。

 身体つきは変わった私だけど、身長はあまり伸びなかった。

 前世も今も、160センチあるかどうかってところだ。

 12歳のときよりは大きくなったけど、あの人の成長ぶりには敵わない。


「アイナ様、ジークベルト様が……」

「! すぐに向かいます!」


 私の部屋にやってきたメイド、アンジェの言葉を遮り、がたっと音をたてて立ち上がる。

 今日は、学生となったジークベルトが帰ってくる日だった。

 

 使用人にぶつかりそうになったり、危ないと注意されたりしながらも、喜びのままに駆けてゆく。

 ジークベルトの帰省頻度が高いのは本当だ。

 でも……。それでも、月に1度会えるかどうかなんだ。

 走って会いに行きたいと思うのも、無理はないと思う。


 目の前には壁。突き当りを右に行けば、玄関に向かえる。

 勢いを落とさずに進み、気が付く。私が向かう先に、人影があることに。

 どうにか止まろうとしたけれど、時すでに遅く。

 角から出てきた誰かに衝突し、一緒に転倒してしまった。


 一瞬、嫌な記憶がちらつく。

 過去に命を落とした、あの瞬間。なるべく思い出したくない記憶と、感情。

 そんなものが掘り起こされかけて、すうっと消えていった。

 何故って――


「いたた……」

「ジーク!」


 ジークベルトが私の下敷きになっていたからだ。彼の姿を見たら、怖い記憶なんてどこかへいってしまった。


「アイナ……。元気みたいだね……」


 ジークベルトが下で、私が上。重なって倒れる形だ。私は彼の胸板に腕を乗せ、


「ジークは? 元気だった?」


 なんて、普通に話を続けてしまう。対するジークベルトは、


「とりあえず、どいてくれるかな……?」


 思いっきり横を向き、私から目をそらしていた。なんだか、顔が赤い気がする。

 どうしたんだろうと考え、私もすぐに気が付いた。


「……っ!」


 自分たちが密着していること。彼のお腹に胸を押し付けていることに。

 これは恥ずかしいし申し訳ない。

 素早く彼の上からどき、立ち上がる。

 ジークベルトも起き上がり、私の前に立った。


「……久しぶりだね」

「う、うん……」


 私たちのあいだに、どこか気まずい空気が流れる。この雰囲気、どうしたらいいんだろう。

 謝ればいいのかもしれないけど、どう言えば……?

 巻き込んで転倒させたうえに、胸を押し付けてしまい申し訳ありませんでした。……そんなこと、言われた方も困る気がする。

 心の中で頭を抱えながらも、ちらりと彼を見上げた。


「……ジーク、また背が伸びたんじゃない?」

「ん? ああ、そうだね。前に会ったときより伸びたと思うよ」


 10歳のとき、ジークベルトは私より小さかった。

 12歳で同じくらいになり、以降は彼の方が大きくなっていった。

 今では10センチぐらい違うと思う。しかも、会うたびに差が広がっている気がする。

 成長期の男の子ってすごい。

 顔つきも大人っぽくなってきた。

 とびきり可愛い女の子みたいだったくせに、今では青年らしい凛々しさを身に着け始めている。

 こちらは胸が大きくなったぐらいで、あとはそんなに変わってない気がするのに。男の子って本当にすごい。

 美少女から青年へ……って、見た目の性別が変わっている。


「かっこよくなったなあ……」


 じいっと彼を見上げていたら、そんな言葉がこぼれてしまった。

 それを聞いたジークベルトはぱあっと顔を輝かせ、


「本当かい?」

「君にそう言ってもらえると嬉しいよ」

「女の子みたいな見た目のままだったらどうしようかと」

「親族は大きい人が多いから、僕もそうなるかなと思ってはいたけど……。それでも不安でね」

「身長、伸びてよかった……」


 なんてことを、早口で話し始める。

 余裕たっぷりの笑みじゃなく、きらきらの瞳、無邪気な笑顔、といった表現が似合う、普通の男の子みたいな表情を見せてくる。

 かっこよくなったはずなのに、可愛いなあとも思う。

 

「いい男になるってずっと言い続けてくれたのは、おばあ様だけだったな……」

「おばあ様が?」

「うん。リッカおばあ様が、『小さい頃のレヒトに似てるからいい男になる、間違いない』って」

「レヒトって……アダルフレヒト様のこと?」


 ジークベルトが頷く。

 そういえば、彼の祖父母の話はあまり聞いたことがなかった。

 先代国王の娘……お姫様だったリッカ様は、ジークベルトの祖母。

 アダルフレヒト様はシュナイフォード家の先代当主で、お姫様と結婚した男性でもある。

 レヒトって言ってたから……もしかして、二人はお互いを愛称で呼び合っていたりするのかな。

 なんとなく気になって、ジークベルトに詳しい話を聞こうとしたのだけれど。


「……先に、少し休ませてもらってもいいかな?」

「う、うん。そうだね」


 と話を切られてしまう。

 そうだよね。長距離移動で疲れてるんだから、まずはお茶でも飲んでゆっくりしてもらわなきゃ。

 そうしてお茶の席につくと、違う話が始まる。

 この日、彼の祖父母について尋ねるタイミングはやってこなかった。

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