3 ジーク視点 なんとか意識されたくて

「ずいぶん眠そうだね。あまり眠れていないのかい?」

「うん……」


 ラティウス邸の庭で、僕らはそんな会話をする。

 アイナがあくびをかみ殺しているのもわかった。

 この2年ぐらい、アイナは昼間でも眠そうにしていることが多い。

 なんでも、睡眠時間を削って勉強に打ち込んでいるとか。

 なにか理由があるのかと聞けば、


「……この世界や国のことを、もっとよく知りたくて。知識の分だけ自分の世界が広がるって思うから」


 と教えてくれた。

 たしかに、知れば知るほど、目に映るものは増えていくのだろう。

 

 10歳の頃、アイナが頭をぶつけて意識を失ったことがあった。

 それからしばらくは様子がおかしかったし、今もなんだか昔の彼女とは違うと思う。

 なんというか……アイナはもう少しぽわんとしていて、なにをしだすかよくわからないところがあった。

 今の方がはきはきしていて、次の行動も読みやすくなった……かな?

 本も元々好きだったけど、今のように勉強という感じではなく、物語の本を読んでいたはずだ。


 僕は、今の彼女を嫌だなんて思わない。

 当然のように努力し、世界を広げようとする彼女の姿勢や気持ちを、とても好ましく思う。

 彼女に並びたいと思えて、こちらもやる気が出る。

 頑張るアイナの姿は好きだし、僕にもいい影響があるのだから、彼女の歩みを止める理由はない。


 でも、睡眠を削るのはダメだ。

 ちゃんと寝た方がいいと伝えれば、アイナは僕が貸した本を読み切ろうとしていたと話す。

 ……3冊までって制限をかけているけど、もっと減らさないとまた無理をするかな?

 貸出数を減らすことをにおわせてみる。

 睡眠を優先すると言ってくれたから、一応はその言葉を信じることにした。




 僕が紅茶を口にすると、アイナも続いてカップを手に取った。

 今日のお茶で使われている茶葉は、僕がアイナにプレゼントしたものだ。

 とある家で開かれたお茶会でこの茶葉を知り、これはアイナが好きだろうと感じた。

 銘柄を確認してシュナイフォード家にも取り寄せ、家族と一緒に味見もしてから未開封のものを彼女に渡した。

 ……これでアイナの好みを外したら、ちょっと悲しい。


 アイナがカップを傾け、紅茶を口に含む。

 彼女の水色の瞳が輝いた。

 どうやら、彼女の好みを当てにいけたみたいだ。


「気に入ってもらえたかな?」


 上機嫌にそう聞くと、アイナはどこか恥ずかしそうに頷いた。

 

 


 ラティウス邸を出る前に、睡眠時間を削らないようにとアイナに伝えた。

 しつこいと思われるかもしれないけど、無茶をして身体を壊してほしくない。

 はい、と答えてはくれたから、少しは気を付けてくれる……といいんだけど。



***



「新刊が入ってる……!」


 2日経って、僕の家の書庫にやってきたアイナが声を弾ませる。

 書庫に来たアイナは最初にこの棚を見る。

 アイナが新刊コーナーと呼ぶこれは、僕が用意したものだ。

 新しく入った本を一か所にまとめておけばアイナが喜ぶと思って設置してみたら、やっぱり喜んでくれた。

 自分でもいい仕事をしたと思っている。




「よさそうなのはあったかい?」


 本棚の前に立つアイナに声をかけてみる。

 手に持っていた本を見せてくれたから、とりあえず受け取って表紙と目次を確認した。

 次の本も見せてくれた。受け取った。次も、次も……。

 普通に持つのか難しくなってきたから、縦に重ねて持った。

 アイナは更にそこへ本を積み上げていく。


「アイナ……。一度どこかに置いてきていいかな……?」


 もう限界だと思ってそう言えば、アイナは心底申し訳なさそうに「ごめんなさい……」と口にした。

 いや、別にいいんだ……。

 王族の一員で、シュナイフォード家の跡継ぎ。そんな僕にこんなことをするのは君ぐらい。

 だから、この扱いがちょっと楽しいぐらいだよ。

 ……それでも、重いものは重いんだけどね。




 書庫の隣には読書用の部屋が用意されていて、1時間ごとに音が鳴る時計も置いてある。

 すっかり聞きなれた音が耳に入り、時計へ視線をやる。

 ……16時だ。

 そろそろ帰り支度を始めたほうがいいだろう。

 支度をしなくちゃいけない本人は、時計の音なんて聞こえていないようで。本を見たまま顔をあげない。

 邪魔をしたくないし、許されるならあと何時間かここにいて欲しいけど……。まだ12歳の僕らじゃ、そうもいかない。

 

 アイナ、アイナ、と何度か呼び掛けてみても、彼女の視線は本に固定されたままだ。

 仕方がないから、名前を呼びながらアイナの顔の近くでひらひらと手を動かす。

 あ、気が付いた。


 2時間近く経ったと伝えれば、彼女は集中してるとあっという間だね、なんて言って笑った。

 素晴らしい集中力だ。これも1種の才能なんだろう。

 ただ、何かあったら逃げ遅れそうで心配になる。

 それに、婚約者の僕を放置して本に夢中になっていたから、ちょっと寂しかった。

 まあ、そうなるとわかっていて彼女を書庫に招待しているんだ。

 いつかは本に勝てると信じて頑張ろう。


 アイナがすごい勢いで本を読み始めたと知ったとき、チャンスだと思った。

 これなら、シュナイフォード家の蔵書でアイナの興味を引くことができるって。

 うちに来てみるかい、なんて言ってみれば、アイナはぱあっと目を輝かせて頷いた。

 それから何度もアイナを自宅に連れ込み、一緒に過ごす時間を作っている。

 ……彼女のお目当ては僕じゃなくて本だから、ここでの会話はほとんどないけれど。




「……ねえ、ジーク。やっぱり3冊までじゃなきゃダメ?」

「うん。他の家の人に貸していいのは3冊までって決まってるんだ」


 4冊の本の前で悩む彼女へ、しれっとそう返す。

 図書館みたい、とアイナがこぼした。

 そうだね、図書館みたいだね。

 図書館「みたい」ってだけで、図書館じゃあないから、貸出数の制限なんて本当は存在していない。

 何冊でもなんて言ったら馬車いっぱいに積み込んでいきそうだから、僕が勝手に3冊までという決まりを作った。

 制限をなくしたら寝食を忘れて没頭しそうだし、今のように頻繁にこちらへ来てくれなくなる。


「……シュナイフォード家の人ならそんな制限はつかないんだけどね」


 僕と籍を入れてこの家に住めば貸出数無制限! 

 シュナイフォード家の蔵書もついてきてお得! 

 僕がそばにいれば無茶もさせない!


 そのくらいの気持ちでこう伝えてみる。家の力で釣っているみたいでちょっとむなしいね。

 するとアイナは「じゃあ、クラウス様は何冊でもよかったりするの?」なんて返してくる。

 クラウス兄さんは僕の従兄。うん、たしかにシュナイフォード家の人だから、制限はつかないことになるね。

 この反応を見た感じ、僕と籍を入れれば君もこの家の人だね、という僕の意図は全く伝わっていないんだろう。

 全然意識されていないなと実感して、ちょっと遠い目になってしまった。




「関連を考えたらこの2冊で、違う分野のものにしたいならこれとこれ……。1枠は小説にしたいけど、これをやめればあとの3冊全部いける……。でも、物語も好きだし……」


 少し経ったけど、アイナはまだうーんうーんと悩んでいる。

 本人に任せているとまだまだ時間がかかりそうだ。

 アイナには悪いけど、こちらで3冊選ばせてもらった。


 去年のいつだったかに、アイナの「もうちょっと待って」を許し続けていたら、すっかり遅い時間になってしまったことがあった。

 そのときは彼女の兄、アルトさんが慌てた様子でうちにやってきて、兄妹喧嘩になり……。

 最終的に、抵抗するアイナをアルトさんが抱えて馬車に乗り込むという、公爵令嬢連れ去り事件のようになった。

 以来、婚約者をきっちり家に帰すのも僕の務めだと思って過ごしている。




「それじゃあアイナ、またおいで」

「うん。また来るね」


 僕が選んだ3冊の本を持ち、ほっくほくの笑顔を見せるアイナが可愛らしい。

 もう少しあなたと一緒にいたいと寂しそうにして欲しい……なんて贅沢は、まだ言えない。

 また来ると、嬉しそうに言ってもらえるだけ幸せだ。

 一時期、避けられていると感じたことがあったから余計にそう思う。


「でも、もう少し意識されたいなあ……」


 アイナが乗る馬車を見送り、そうこぼした。

 今日も異性や婚約者として見てもらえている気がしなかった。

 でも、落ち込んでばかりじゃいられない。

 既に婚約はしているし、アイナに嫌われているわけでもないのだから、少しずつ前進していこう。

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