デイドリーム・ジャーニー

枝垂

第1話 無に勝る人

人生の中で偶然会った人間と再会出来る確率はどれほどなのだろうか。

八十年生きる前提で、一日に一人新しく関わりを持つ人に出会うとすると、おおよそ三万人もの人間と出会えるらしい。

ただ、人付き合いを避け気味な僕の場合、その数は当てにならないだろう。

だからもし、偶然の偶然を引き当てたら、それはきっと〝運命の再会〟とかいう、陳腐で馴染みの無いものに分類されるのだろう。




人間、誰しも無防備かつ無為な時間を過ごすときがある。それは正しく今である、と内容をほとんど見ずにスマートフォンの画面をスクロールする木通蛍あけびほたるはぼんやりと考えた。

じゃぼじゃぼと洗濯機が内側で水を吐き出す音や、がたがた戦慄く音が小さなコインランドリーに響く。

自分が投げ入れた洗濯物の洗浄が終わるまではあと二十分。乾燥機に突っ込むことも考えてプラス十分。

申し訳程度に置かれた椅子に腰かけているのは蛍だけだった。


ただ待っているだけの時間ほど無為な時間はない。

ワイファイも使えない古いコインランドリーでは、オフラインで遊べるアプリで時間を潰したり、時折データ通信を使ってSNSを流し見ることくらいしかできない。

何より、ここが地元であればちょっと買い物に出たりと時間を有意義に使えるのだが、今は旅行の真っ最中であった。安いという一点で決めた宿は、駅から遠くは無いが、近いわけでも無い。

蛍にとって旅行先のホテルに求めるものは、寝る場所と、洗濯が出来る設備と電子レンジくらいだ。

だが不幸にも、今回泊まったホテルの洗濯機が故障していたため、やむを得ず一番近いコインランドリーを探し、今に至るわけだ。


『よく知らない土地で、自分の洗濯物を回す。

文字にすると、違和感が勝るこの状況。だからといって、どうと言うことはないが。』

あまり呟かないSNSのアカウントを動かすくらいには、自分は退屈しているらしい。

洗濯機の赤い表示を見れば、残り十五分。プラス十分。


ふと外に目をやれば、すぐそこに駐車灯が点いた車が停まっていた。

間もなく一人の男性が、赤い袋を持って出てくる。

サラリーマン風の男性は、真っ直ぐ洗濯機に向かっていき、自分の袋の中身を浴槽に入れていく。

こういうときの一種の居心地の悪さというのは、カフェの二人用の席を一人で利用して、向かい側のお一人様と机二つ分を通して向き合っているときの気まずさと良く似ている。

いつまで経っても一人分の浴槽が回る音しか聞こえず、ついちらりと男を横目に見れば、すぐに折り返し車の中へ引っ込むのだろうと思っていた男は、不思議そうな顔をしてスマートフォンを持ったまま洗濯機の周辺を見回している。

故障だろうか、お気の毒に。まぁ他の洗濯機も空いているから大丈夫だろう─と思っていたら、男はふと「あ」と声を漏らした。

「そうか、“コイン”ランドリーか…」

良く見れば、男が持っているのは洗濯物が入っていた袋と、スマートフォンだけ。

──あぁ、財布を忘れたのか。

涼しい顔をして、しかもぱっと見仕事が出来そうな雰囲気を醸し出している男のアンバランスさに、蛍は思わず笑いそうになってしまう。

男は蛍の方を見て、これまたぱっと見仕事が出来る人間のようにつかつかと歩いてきてこう言った。

「すみません、このコインランドリーってICカード対応はしてませんか?」

そこでとうとう蛍は耐え切れなくなり、吹き出した。

「いや、そっちですか」

ひとしきり笑った後、それでも突っ込まざるを得なかったことを突っ込んだ。

「そっち、とは?」

「いや、現金無いから貸してくれって言うのかと」

「…あ」

男はようやく、今の自分がコインランドリーに相応しくないと気付いたらしい。

「…貸してもらえたり、します?」


男改め瀬川篤志せがわあつしは現金を貸すや否や、「ホテルに戻って現金取ってきます!絶対に返しますので!」と車に乗り込んでいった。

しかも律儀に「戻ってくる保証として」と身分証を置いていった。

洗濯物を回しているんだから戻ってくるだろ、とまたしても突っ込みたいところだったが、彼なりの誠意なのだろう。とりあえず手元に収めておいた。

ピー、と無機質な音が室内に響く。ふと洗濯機を見れば、自分の洗濯が終わっていた。

あっという間に十五分が経過していたらしい。さて、ここからプラス十分だ。

というか、僕の乾燥が終わるまでに帰ってくるのか?

まあ、車で来ていたみたいだし、大丈夫だろう。洗濯物を乾燥機に移し、再び椅子に腰掛けた。


予想通り、瀬川は五分もせずに戻ってきた。

車から出ると、バタバタと聞こえそうな勢いで自動ドアを越えてこちらにやってきた。

「大変、申し訳ありませんでした!!」

これまた顔に似つかわしくない声と勢いで、瀬川は頭を下げ現金を手渡してきた。

そのギャップが面白くて、蛍はまた笑ってしまった。

「全然顔とイメージが違う、瀬川さん」

瀬川はハッと顔を上げ、訝しげな顔で蛍を見た。

しまった。イメージと違う、なんて初対面でいきなり失礼だった。

詫びようとするが、瀬川の方が先に声を出した。

「どうして名前を…?」

ピー、と洗濯機が洗い終わりの合図を告げる。駄目だ、この人面白い。

「さっき免許証人質にしてたでしょ」

机上に置きっぱなしにするのも申し訳なくて、持ちっぱなしだった彼の免許証を見せる。

「…あぁ!」

目を白黒させ、数秒の間を置いて瀬川はようやく合点がいったように声を上げる。

「…瀬川さん、よく天然って言われません?」

瀬川は手渡された免許証を、スマホの手帳型カバーにしまい、洗濯物を取り出そうと洗濯機を開く。

「いや?今まで言われたことないですね。むしろ逆ですよ」

「逆?」

予想外の言葉をつい復唱してしまう。

「…それこそ顔のイメージが先行するのか、気難しいと思われがちなようですね」

「今日みたいなドジ、普段はしないんですか」

「…しないですよ!」

人前では、と小さく付け足したのを蛍は聞き逃さなかった。なるほど、一人になるとドジするタイプか。

ガコン、とロックが解錠する音の後、乾燥が完了しました、とシステマチックな声が鳴る。

無防備で無為な時間が、驚くことに一瞬で過ぎていた。

乾燥機を開けるとふわりと熱気が広がり、すっかり乾いたぬるい温度の衣類が浴槽にへばりついている。

「…どうも、本当にすみませんでした。ありがとうございます」

瀬川は再び頭を下げ、蛍に詫びと礼を述べる。

蛍は自分のランドリーバックに衣類を投げ入れると、瀬川の方を向いた。

「いえ。それじゃあまた、ご近所さん」

そう言い残し、蛍はコインランドリーを後にした。背後から「何故住所を!?」と叫ぶ声が聞こえた気がして、蛍はまた笑った。

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