第17話 狂いゆく道程 13
家に着いた。彼女がわたしの家を見て一言。
「田舎の家だ」
街区分的にはさっき遊んでいた場所と同じ市内にあるので田舎ではない。そもそもF市自体が田舎だという考え方もできるけど。でも家自体が古いことは認める。
「ね、ねえ。もしかして一人で住んでるんですか?」
彼女が緊張の孕んだ表情で訊ねてくる。
「一人暮らしでなかったら、家に連れって帰ったりしない」
「で、ですよねぇ」
二人で家に入って適当に時間を過ごす。彼女は黙ってテレビを見ていた。わたしはいつになったら帰りたいと言ってくれるんだろうとその時をじっと待った。
「センパイ」
不意に呼びかけられ、ようやく帰る気になったかと安堵したのも一瞬、続いた彼女の言葉は、
「お腹へった」
だった。
わたしは心の裡で盛大に溜息をついて「ちょっと待ってて」と言って台所へ移動した。
冷蔵庫を開けて買い置きしておいた豚肉と足がつきそうな野菜を適当に取り出す。べつに豪華な料理を振る舞ってやる必要なんてないんだからとそれらを使って野菜炒めを作った。それに昨日の残りのご飯にインスタントの味噌汁を添えて提供した。
「すごーい! センパイって料理できるんですね。以外です」
彼女は目を輝かせて野菜炒めに箸をつける。キャベツを箸で挟んで持ち上げて、
「う、うん?」
彼女は首を傾げた。
「どうかしたの?」
「えっと、なんか変な形だなって思って」
そう言って彼女はキャベツを一旦皿に戻し、ピーマンやニンジンを持ち上げて観察する。
「あ、ニンジンはキレイだ」
料理人の目の前で、今自分がものすごく失礼なことをしていることに気づいているのだろうか。……たぶん気づいていないんだろう。
「もしかしてセンパイって包丁使うヘタだったり?」
「包丁? そんなの使ってないけど」
「ええ!?」
「手でちぎれる野菜は手で千切ったり割いたりすればいいし、それができないものはスライサーやピーラーで事足りるでしょ」
「肉とか魚は!?」
「最初から切れてるものしか買わない」
どうしても必要なときはハサミを使えばいい。
「なるほど。でも料理しないアタシが言うのもなんですけど包丁使ったほうがよくないです?」
「必要ない。ってか家に包丁置いてない。怪我したら危ないでしょ」
包丁が便利な道具だということは言われなくてもわかってる。でもどうしても好きになれないのだ。もちろんその原因は過去のあの出来事。別に包丁を見るとトラウマが蘇るとかそこまでじゃない。実際、学校の調理実習なんかでは普通に使っていた。これはわたしの気分の問題だ。
「でもでも、スライサーとかピーラーでもケガするときはするような――」
「――ってか食べないなら下げるけど」
わたしは彼女の言葉を遮るように言葉を被せた。
「あー! 食べます食べます!」
彼女が慌てて野菜炒めを口に運んだ。そして一言、
「センパイ! 以外に美味しいです!」
褒められて悪い気はしなかったが『以外に』は余計だ。彼女は実に美味しそうにそれらを平らげた。
夕飯もごちそうしたことだし、これ以上ここに長居させたくなかったわたしは「ご両親も心配してるだろうから、送ってあげるから帰ろう」と誘う。
「ヤですよぉ。アタシ帰りませーん」
また駄々をこねる。
「そんなこと言って。親は心配しないの?」
「あんなヤツ、心配したけりゃさせとけばいいんですよ」
彼女の物言いから家族仲がよくないことがハッキリ感じることができた。家族を引き合いに出すのは無駄だとわかったわたしは彼女を家に帰すのを一度諦めることにした。なにもない家だからしばらくすればつまらなくなって帰りたいと言い出すだろう。
しかし、いつになっても帰る気配を見せなかった。
彼女は居間でテレビを眺めていた。普段まったくといっていいほど使わないテレビでは名も知らぬお笑い芸人が漫才を披露していた。彼女はそれを見てゲラゲラ笑う。
試しに一緒に見ていたけど何が面白いのかまったくわからなかった。年齢が六つも違えば笑いの感性も変わるのだろうか。それとも単に嗜好の問題か。
「センパーイ?」
呼ばれて顔を向けると彼女の視線がわたしに向いていた。彼女はニコっと笑い正座のまま畳の上を擦って近づいてくる。
「難しい顔してますけど、なんか悩んでます? もしよかったら聞いてあげますよ」
の悩みはお前だよ――なんてことは言えなかった。嫌われるのが嫌だとか傷つけたくないとかじゃない。それを言って機嫌を損ねた彼女が何を仕出かすかわからないことを懸念したのだ。
自分が未成年であることを最大限に生かし、「あ、そんな事言うんだ。じゃあ警察呼んじゃおっかなぁ?」なんて逆に脅しをかけてくることもできる。この家に警察が来る事態はなんとしてでも避けたい。
「別に何も……」
彼女のことを除いたとしても、悩んでいることならたくさんあった。でもそれを彼女に打ち明けようとは微塵も思わない。もちろん彼女に限った話ではない。誰であろうと自分の悩みを打ち明けるつもりはない。それは他人に話して解決できるような問題じゃないからだ。だったら話すだけ無駄だ。
「そうなんですか? でも悩んでるように見えますよ。ときどき暗い顔してますし」
彼女はわたしのことをよく見ているようだ。ちなみにいつも暗い顔をしているのは生まれつきで今に始まったことじゃない。
「あたしちょっとしたおまじない知ってんですよ。やってみます?」
どうせ断っても無駄だとわかっていた。だから最後まで付き合ってやることにした。
「じゃあまず目を閉じて。それからリラックスしてください。んでもって深呼吸です」
なんてことない、ただのヨガの呼吸法の一種だ。わたしの抱えている悩みはこんなことで解消されるほどちっぽけなものじゃない。わたしは雑念を抱えたまま恰好だけ付き合ってやることにした。
すると唇に柔らかな感触を感じた。目を開けるとわたしの唇に彼女の唇が重なっていた。昨今の高校生はこんなにも軽いノリで唇を許すのかという衝撃と、なるほどこれが目的だったかという得心が同時に飛来する。
時間にして五秒ほど唇を重ねていた。彼女がゆっくりと顔を離して「嫌でした?」と上目遣いで訊いてくる。小麦色の頬がほんのり色づいている。
「べつに」
わたしはそっけなく答えた。もしそれが嫌なら唇が触れているとわかった瞬間突き飛ばしていた。彼女は惚けたような表情でわたしを見つめる。さらに頬を染めゆっくりとまぶたを閉じる。せがむように僅かに唇の先を尖らせる。彼女の頬に触れるとくすぐったそうに肩をすくめる。彼女の熱と緊張が伝わってくる。長いまつ毛の先が小刻みに震えている。瑞々しい唇もかすかに震えている。その唇から、
「センパイなら、いいですよ」
彼女の言葉の意味は理解できていた。彼女はわたしに一線を越えろと言っているのだ。
しかし、良いか悪いかで言えば、この先に進むことは悪いことだ。
本音を言えばその先にある禁断の世界に興味があった。でもこの国ではどんな理由があろうと未成年との淫行は禁じられている。たとえ本人の同意があったとしてもダメなものはダメだ。そしてそれは創作の世界でも同じ。未成年との淫らな行為を描写することはアウトだ。ならこの先のステップはわたしにとっては必要のない経験だ。役に立たないものに無駄な時間を費やすほどわたしは愚かじゃない。
常識のある人間なら誰だってこの先に進むことがダメなことだと理解しているはずだ。彼女はそれがわからないほど愚かなの? それとも、
――わたしを罠にはめようとしている? 行くとこまで行ったあとで
そう考えると、まるでマンガのようなこの急展開。現実ではありえないこの状況にも納得がいく。
そんな思考が一瞬でも頭をよぎると、途端に目を閉じたままくすぐったそうにキスを待つ彼女の顔が
頬に添えた手を撫でるように下へと移動させ細い首に触れる。石橋緑とは対象的な小麦色の肌。でも若さゆえの瑞々しさはある。触れた手を少し戻し、また下げる。ゆっくりと柔らかな肌の感触を愉しむ。相変わらずくすぐったそうにするが拒絶はない。もしかしたら彼女はこのままわたしの手が下りて胸に触れることを期待しているのかもしれない。
でも、現実はそうならない――
わたしはもう一方の手で彼女の首に触れる。すると異変を感じたのか彼女は目を開けて眉を寄せる。両手で彼女の首を包んで、両の親指で喉頭にある少し隆起した部分を一気に押し込んだ。
「ぐえっぽッ!?」
いきなりのことに驚いた彼女は反射的にわたしの身体を押しのけた。
「ちょっと、なにするん、ですか!」
彼女は涙目でわたしに訴え、ケホケホとむせながら喉をさする。わたしは何も答えない。何も言わないまま右手で握りこぶしを作って力を込め彼女の横っ面にフックをお見舞いした。
「ぴぎゃっ!」
彼女は頬を押さえてのたうち回る。腰の入ってない素人のパンチでも効果は覿面。わたしはしびれた右手を振りながら立ち上がり彼女の体を抑えた。
「しぇ、しぇんぱ……。もひかひて、過激な、プレイが――」
最後まで言わせなかった。わたしはもう一度両手で彼女の首を絞めた。手加減はしない。最初から全力だ。
苦しみもがく彼女の手がわたしの腕を引き剥がそうと必死だ。ゴテゴテした爪は山姥のように鋭く、腕に刺さって出血が始まる。生を渇望する本能が理性を取っ払い普段以上のパワーを発露させていることは明らかだ。でも負るつもりはない。ここで彼女を逃がせばわたしの計画のすべてが水泡に帰す。まだ始まってもいないのに終わるなんて絶対にイヤだ。
彼女の苦しみあえぐ顔を見ると全身がドーパミンで満たされていく。腕の痛みを超越する。
思い出すのは石橋緑、詐欺師の女を殺したときのこと。そのときの昂奮、いやそれ以上のものがあった。違うのは鎖で締めるか直接締めるかだ。どちらも同じに思える行為でもその二つにはれっきとした違いがある。扼殺と絞殺とわざわざ違う名称がつけられていることからもそれは明らか。
やっぱりに触れるほうが心地良い。
皮膚をぶち破る勢いで咽を押さえる指に力を込める。込め続ける。空気を求めて喉が鳴る感触、血液の流れ、それらが直接手を通して感じられるような気がした。やがてわたしの腕をつかむ彼女の手から力が抜けていく。
「じぇんば……い……」
押しつぶされた喉から絞り出されるか細い音。それを最後に彼女の頭がガクンと後ろに倒れる。手を離すと動かなくなった体がドサリと音を立てて畳の上に転がった。それと同時にわたしの昂ぶった感情も冷めていく。さっきまで忘れていた腕の痛みが蘇る。見れば、どれだけの力で引っ掻いたんだとツッコミたくなるほどの無数の引っかき傷、出血にミミズ腫れがあった。見ようによっては自傷癖のある人間が何度も腕に傷をつけた躊躇い傷みたいに見える。
動かなくなった彼女を見る。
「わたしは……」
りが引いていくのと反比例するように後悔の念が押し寄せる。人を殺してしまったことに対するものではない。深く考えずに衝動のままにそれをやってしまったことに対するものだ。
とにかく今は屍となった彼女を一秒でも早くここから消す必要がある。わたしは彼女を地下にある風呂場まで運んで一旦放置。それから今起きた出来事を簡潔にノートにまとめてから彼女の持っていた荷物をチェックしスマホを破壊する。もう夜も遅い、この時間からバタバタして近隣住民に不審がられることは避けなくちゃいけない。隣の家は結構離れているし、前の道だって滅多に人や車は通らない。この時間ともなればなおさら。
でも用心するのに越したことはない。だからその日はそれ以上何もせず、休むことにした。
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