田嶋ハル 4
わたしは席を立ち会計を済ませるためレジに並んだ。店の外に目を向けると、先に店を外に出た林ミサキが知らない女性と話をしていた。会話の内容が気になったが声は聞こえない。だが予想はつく。おそらくミーハーだ。林ミサキに声をかけた女性はいかにもテレビばかり見ていそうな主婦っぽい。最近になってメディアでの露出が増えてきた林ミサキのことを知っていてもおかしくはない。
そろそろ自分の会計の番だと思い向き直ろうとしたその時、女性の手が肩から提げたカバンの中に入ったままになっているのが気になった。サインでももらおうというのか、と思ったが違った。カバンから引き抜かれた女の手にあったのは色紙ではない。裁ちばさみだった。
「次の方どうぞ」
前の客が会計を済ませわたしの番がやってくる。だがその声には従わず店の外へ走る。自分でもどうしてそういう行動に出ようと思ったのかわからなかった。とっさに体が動いていた。
「お客様、ちょっと!?」
わたしは「危ない!」と叫びながらはさみを持った女に体当りした。同時に異変に気づいた林ミサキの連れの女が林ミサキを突き飛ばして難を逃れていた。
地面に倒れた女性にの体を抑え込んだ。それでも女性は暴れるのを止めない。
「誰か警察を――。警察に通報だ!」
誰かが叫んだその声に戸惑う。ここに警察が来れば犯人を取り押さえたわたしも事情を聞かれる対象になってしまう。それだけはどうしても避けたかったわたしは近くにいたスーツの男に「まだ店に支払いが終わっていないから」と理由を告げて女性を抑える役目を変わってもらった。それから店に戻り会計を済ませ、警察が来る前にその場を立ち去った。
…………
一度ホテルに戻り、再び林ミサキの家に戻った頃には夜になっていた。彼女の家は真っ暗だった。家族は留守なのかもしれない。加えて林ミサキ本人もまだ帰ってきていないのかもしれない。家の死角で彼女が帰ってくるのを待つ。程なくして一台のパトカーが彼女の家の前で止まり林ミサキが降りてくる。
わたしは林ミサキを襲う準備を始める。彼女の家族の存在が気がかりだったが、いるいない、帰って来る来ないに関わらず実行するつもりだった。昼間彼女が襲われていることを考えれば、警察は林ミサキに対する監視を強める可能性がある。彼女の周りを警察がうろつくような事態になれば安易に近づけなくなってしまう。それにわたしにも時間がないのだ。
もし家族がいたら、両親の目の前で林ミサキの悪事を暴いて痛めつけてやればいい。あるいは林ミサキの目の前で家族を締め殺してやるのもありかもしれない。林ミサキはそれだけのことをしたのだから当然の報いだ。
パトカーが去っていくのを確認したあと、少し間を空けて準備を始める。カバンから付け髭を取り出しそれを鼻下と顎に付ける。トレンチコートを羽織り直して伊達メガネを装着する。それからコートの胸ポケットに黒い手帳、サイドポケットにスプレーボトルを忍ばせた。
わたしは林ミサキの家の呼び鈴を鳴らした。しばらくするとドアホンから『はい。どちら様でしょうか?』という返事が聞こえてきた。「警察です。何度もすいませんが先程の件についてもう一度詳しくお話を訊きたくてですね」そう言いながら内ポケットから手帳を出してドアホンのカメラに見せる。長く見せると偽物だとバレてしまうのですぐに仕舞う。すると『はい。今開けますで少々お待ちください』と返事が来てドアホンが切れる。それから十秒ほどで入口の扉の鍵がガチャガチャと音を立て半開きにしたドアから林ミサキが顔をのぞかせた。
わたしはもう一度胸ポケットから手帳を取り出し彼女に見せてすぐに仕舞った。怪しまれるかと思ったが彼女は特に訝しがる様子もなくドアを全開にする。想定外のことにこっちが面食らう。
警察は聞き込みをする際、基本的に二人一組で行う。そして警察が自分の身分を証明するときは手帳の最初の一ページ目を開いて相手に見せる。これら二つは作家でなくても広く知られている事だ。何から何まで現実の要素をフィクションに取り入れる必要はないとは思うが、知識として知っているかどうかは別問題だ。
林ミサキはわたしの不手際に疑問を抱くでもなく玄関まで招き入れてくれた。難なく家に入れたことは喜ばしいことだが拍子抜けだった。この女はそういったことすら知らないのだ。しかも彼女はわたしが肩にカバンを下げていることを疑問にも思わない。
気を取り直して、
「少しお話がありまして。今よろしいですか?」
「どうぞ」
林ミサキはわたしを家に上がらせようとした。
わたしはまたしても面食らう。
普通は事情を聞きに来ただけの警察は家の中に入ることはない。たとえ相手に促されても拒否するものだ。でもわたしは彼女に従い家に上がることにした。わたしが脳内でシミュレートしていたどのルートよりも簡単に事が運んでいた。うまく行きすぎて怖いくらいだ。
案内されたのはリビングだった。テレビにソファに小洒落た調度品が室内を飾っているのを見て割りと金のある家だということが窺えた。わたしは林ミサキに促されるままテーブルに座った。
物音がしないことから林ミサキの家族はどうやら家にいないらしい。なら好都合だ。一気に事を進めてしまおう。
「それでお話っていうのは?」
話しながら台所へ移動する彼女。どうやらお茶か何かを用意してくれるらしい。わたしに背を向ける林ミサキのなんと無防備なことか。
「ああ、お構いなく。――それよりこれを確認してほしくてですね」
わたしはイスから立ち上がり林ミサキを追いかけるように声をかける。振り返った彼女がコートのポケットに突っ込んだわたしの手を注視する。そしてポケットから手を抜き出した瞬間。取り出した小型スプレーを彼女の顔めがけて吹きかけた。
「ひょあっ! なんですか!?」
林ミサキはわけも分からず目をこする。わたしは視界を奪った彼女の体を突き飛ばす。
「いだっ!」
彼女の混乱が解ける前に、わたしは急いでカバンからダクトテープを取り出した。体を拘束するため彼女に触れようとすると激しく抵抗される。
「ちょ、やめて! ふざけないで!」
わたしは林ミサキの抵抗をなんとかいなして両手両足をテープでグルグル巻にすることに成功した。
「いつまで目をつぶってるんですか? それただの水ですよ」
そう言うと林ミサキは寝起きのように瞳に少しずつ光を取り込むようにゆっくりと目を開け何度か目を瞬かせた
「あんた、警察じゃないわね! 言っておくけど、私に酷いことしたらどうなるかわかってるんでしょうね!」
林ミサキが侮蔑を孕んだ視線をわたしに向ける。これからわたしに“なにか”されると思っているのだろう。たしかにわたしは“なにか”するつもりでいるけど、その“なにか”は彼女が想像しているものとはまったく異なるものだ。わたしはさっき自分が座らされたイスを床に転がる林ミサキの傍まで移動させ、背もたれを前にしてわざと大きな音を立てて座った。
背もたれに両腕を載せて林ミサキを見おろし、逆に蔑むような視線を向ける。
「なによ、なんとか言いなさいよ」
たしかに石橋緑ほどではないが彼女も十分に美人だと思う。世間の評価は間違っていない。ただしテレビは人間の心の中までは映してくれない。テレビを通して見るその人が実際にどういう人物かなんて実際に交流してみないとわからないものだ。
だからみんな気づかない。この女が心の腐った最低な人間だということを。
「どうして罪を認めないんですか?」
わたしは彼女に問うた。
「…………」
沈黙の後、林ミサキはやれやれとため息を吐いた。
「アンタもネットの噂を信じ込んだ口ね。言っておくけど私はやってないの、何も」
質問の答えになっていない。わたしは同じ質問を繰り返す。
「どうして罪を認めないんですか?」
「どいつもこいつもバカの一つ覚えみたいに!! だからやってないって言ってるでしょ!! 人なんて殺してないのよ。私は!! そんな事できるわけないでしょ!! 常識で考えなさいよ!!」
林ミサキはヒステリックに叫だ。どうやらこの女は盛大な勘違いをしているようだった。
「わかってますよそんなこと」
「だから何度も言わせないでっ!! ……て。へ?」
わたしが自分の言い分を肯定すると予想していなかったのか、林ミサキは豆鉄砲を食らったような顔になった。
わたしはイスから立ち上がって林ミサキの前にしゃがみ込む。髪の毛をつかんで無理やり仰向かせた。罪の意識がないということは無自覚にそれをやっていたということ。その事がわたしをさらに苛立たせた。どうやらはっきりと指摘しないと理解できないらしい。
「いいですか。わたしが言いたいのは――、どうして盗作した事実を認めないのかってことですよ!」
叫けびながら林ミサキの頭を投げ捨てるように手を離し立ち上がる。勢いが強すぎて彼女の頭は床にぶつかり鈍い音を立てた。
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