捜査ファイル 3

 白川は改めて『タナトスと踊れ』を最初から読んでみることにした。小説が掲載されているサイトはスマホからでも閲覧可能だったので、白川は仕事の合間に自分のスマホからそのサイトにアクセスした。


 ――第一章では主にエースの過去が語られる。幼少期の頃大好きだった姉をバイク事故で亡くしたり、父親から性的虐待を受け深い傷を負ったりと中々にハードな内容だ。そういった鬱屈した過去がエースを殺人に駆り立てる。エースの矛先は姉の命を奪ったバイク乗りに向けられる。最初の殺人は高校時代。一人の女性ライダーを事故に見せかけ殺害する。しかしその心が晴れることはなかった。


 ――第二章で時は流れ大学へと通い始めるエース。そこで一人の女性に出会う。それが石橋緑がモデルとなった九条彩音の事件である。彼女が総合病院の院長の娘であるとわかると、エースの怒りが再燃する。大好きな姉が事故に遭った時に運ばれた病院がまさにその院長が運営する病院で、怒りの矛先が姉を殺したライダーから姉の命を救えなかった医者へとシフトする。

 エースはその恨みを晴らすべく彩音の誘拐を決行し一千万を要求する。果たして誘拐は成功。エースは見事一千万を手に入れるのである。だが誘拐された彩音は親元に返されることはなかった。エースは邪魔になった彼女を殺害するのだ。その殺害方法は残酷にして凄惨。己の恨みをこれでもかと彩音にぶつける。

 手に入れたお金はすぐには使わず、一千万の入ったアタッシュケースを人目につかない山奥に埋め、その場所を見失わないように目印としてカラースプレーで黒く塗った石を置く。


 そして物語は次章へ続く。


 ――第三章。エースに恋人ができるところから始まる。相手は高校時代の友人だった男。しかし彼と交際はあまりよいものとは言えずエースの心がだんだん荒んでいく。彼との関係に少しずつほころびが生じ、すれ違い、徐々に疎遠になっていく。そんなエースが癒やしを求めるかのようにふらりと立ち寄ったのは歓楽街のバー。そこで一人の女に騙され酒代を払わされる事態にい陥る。これがエースの逆鱗に触れる。エースは自分を騙した女を見つけ出し惨殺する。しかも恋人の体液を使った偽装工作まで行い警察の捜査撹乱を図る。


 そこまで読んで白川は手を止めた。理由は第三章の事件に覚えがあったからだ。白川はスマホから視線を上げて過去の事件の捜査資料を調べるため資料室に足を運んだ。資料室とは言っても部屋に所狭しと並べられた書架にファイルがひしめき合うようなことはない。もちろん紙の資料もあるが、近年はデジタル化が進み基本的にはパソコン一台で事足りる。それでもここへ足を運んだ理由は、データベースにアクセスできるPCが限られているからで、資料室に置かれているPCがその内の一つで、白川の権限ではここからしかアクセスできないからだ。白川はPCを立ち上げ自分のIDとPASSを打ち込みデータベースへアクセスする。

 検索をかけほぼピンポイントで探し当てたのはF市内にあるキャバクラに務めていた女性が殺害された事件だった。当時の時点で過去に例がほとんどない猟奇的な事件は全国ニュースでも取り上げられた。この事件の直接の担当は別の署だったが、あまりにも捜査が難航し、ここ南署の刑事部にも応援の要請が来た。白川もほんの少しだが捜査に協力したから記憶に残っていたのだ。


 マンションの一室で惨たらしい状態の女性の遺体が見つかった事件。F市内ではこういった凄惨な事件が起こることはほとんどない。この事件が起きた時、管轄外ではない南署にも緊張が走ったのを今でも覚えている。捜査の規模が大きくなり捜査本部に顔を出すようになったときも、空気はピリついていて触れれば切れるほどの緊迫感に満ちていた。そして現在に至るまでこの事件の犯人は捕まっていない。捜査が打ち切られたわけではないが進捗はまったく振るっていないのが現状だ。

 

 白川はモニターに表示された資料に目を通しながら当時の記憶を手繰り寄せる。


 被害者の女性の名前は中邑厚子なかむらあつこ。当時三十五歳。事件が起こったのは今から五年前、彼女が務める風俗店の従業員が中邑が三日続けて無断欠勤するのを不思議に思い管理人とともに彼女の自宅のあるマンションを訪ねた。最初に何度か呼びかけたが返事はなく管理人が合鍵を使って部屋に入った。扉を開けるとものすごく冷たい風が足元を撫でるような感覚がしたと二人は口を揃えて証言した。それから二人は廊下を進み、冷たい風が寝室の戸の隙間から流れているのがわかって戸を開けた。そこに中邑の変わり果てた姿を発見した。

 二人が冷たい風を感じたのは寝室の冷房がつけっぱなしになっていたせいだった。事件が起きたのは九月のことで、彼女が殺害され日の前後は気温の低い日が続いていた。にもかかわらず部屋は冷蔵庫の中かと思うくらい寒かったという。遺体の腐敗を遅らせるための犯人の工作であるの明らかだった。じっさい冷房がついていなければ異臭なりなんなりでもっと早く発見されていた可能性もあるとの見解がなされている。


 遺体の状況から見て怨恨の可能性が極めて高いだろうという見方がなされたが、これに関しては中邑が人の恨みを買うような行為を不特定多数の人間に対して行っていた事が判明したため、そこから犯人を絞り込むのはほぼ不可能に近かった。

 一方でこの事件には有力な目撃証言あった。「髭の生えた背の低いメガネの男を見た」と中邑の二つ隣の部屋の住人が証言していた。この条件に合致する人物が中邑の職場のある歓楽街の監視カメラに映っていた。遡ると男の姿が映っているのを確認できるのは彼女が殺害される一週間前くらいまでで、それ以前は一切記録されていなかった。また中邑の体内からは体液が検出されたのだがその体液の状態はひどく不自然だったと鑑識の報告が添えられていた。


 遺体の状況がつらつらと記載されている中で白川が着目したのは女性器内にできた傷だった。発見された遺体の女性器には深さ六センチほどのところに長さ一センチほどの引っ掻いたような細い傷ができていたとあった。当時は「犯人が自分の体液を無理やり掻き出そうとしたのではないか」とか「玩具を無理やり挿入してできた傷ではないか」などいう意見が出ていたが、結局その傷は直接の死因ではないため深くは追求されることはなかったが、果たしてその答えは『タナトスと踊れ』の中に記載されていたではないか。


「エース付き合っていた男の体液をスポイトで女性器に注入する際にできた傷」


 当時の捜査員がその傷の原因を特定できなかったのは仕方のないことだ。現在では科学捜査の精度も上がり傷口から凶器を特定することも容易になってきている。だがそれを扱うのは所詮人間だ。人間はどうしても自分たちの常識に当てはめてものを考えてしまう。だから、まさかその傷がスポイトによってできた傷だなんて思うはずがない。誰の頭の中にだって女性器にスポイトを突っ込むなんて発想はないのだから。


 まさに固定概念だ。


 おそらく犯人を特定できなかった最大の要因は変装だ。変装の種類にはいくつかパターンがある。目出し帽を被るのもそうだが、サングラスやマスク、帽子だけでも変装としての効果は大きい、中でももっとも厄介なのが性別を偽るタイプの変装だ。その理由は目撃証言が意味をなさなくなるからだ。

 性別というのは馬鹿にできない特徴で、男女比率はおおよそ一対一なのだからそれがわかるだけで被疑者の候補は半分に減るのだ。しかしその証言が真逆の性別を指していたら逆に捜査に支障をきたすことになる。

 現に第一発見者の女性は怪しい男を見たと証言してしまっている。遠目に映る監視カメラの映像だって男だという先入観を持ってみれば男に見えてしまう。


 現に当時の捜査員たちは初動で男性に焦点を当てて捜査をしてしまっている。そういうことだ。


「犯人が見つからないわけだ」


 犯人のほうが一枚も二枚も上手だったということは認めざるを得ない。だが今は違う。ここにも田嶋ハルが犯人であることを裏付ける証拠が存在する。それがスポイトによってできた傷だ。この情報は捜査関係者しか知らないはずの情報だが、田嶋ハルが犯人であるなら知っていて当然だ。


 ますます田嶋ハルに対する嫌疑が深まる中、さらなる情報を求めて白川は再び小説の続きを読み始めた。

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