25:幽霊船

「作戦終了です。帰りましょう」

 ブリュンヒルデの声が響く。ロスヴァイセは了解の意を短く発信し、ふわりと霧の海へと浮かび上がる。

 一方的な戦いだった。戦いとも言えないような。今回の戦乙女隊の急襲に『原書教団』の飛行隊はほとんど抵抗らしい抵抗もせずに撃ち落されていった。女王国軍の秘密兵器たる翅翼艇に匹敵する兵器も配備されていなかったのだから、そうなるのも当然といえた。

 こうして一つの勝利を収めたロスヴァイセは、そのまま帰路につこうとする、が。

 ふと、目に入ったのは、そのまま虚空に佇む機関鎧だ。

「……オルトリンデ、どうした?」

 蒼、という肩書き通りの青い機関鎧であるオルトリンデは、ゆっくりと頭をロスヴァイセに向けて、それからぽつりと言った。

「いいえ、何でもない。帰りましょう」

 機関の駆動音を響かせて、オルトリンデは霧を蹴ってロスヴァイセに並ぶ。ただ、その動きもどこか後ろ髪を引かれているかのようで、ロスヴァイセは不審に思う。

「オルトリンデ、最近何かおかしいぞ。どうした?」

 そう、オルトリンデの態度がどこかおかしいのは、今に始まったことではない。近頃はどうもぼんやりとしているような――もちろん、戦場では普段どおりの働きをしてはいるのだが――そんな雰囲気を漂わせている。

「どうもしない。……って言っても、信じてもらえないでしょうね、ロスヴァイセには」

 ああ、とロスヴァイセは答える。今のオルトリンデとロスヴァイセとは、ほとんど同期といってもいい。同じ時期に戦乙女になることを心に決め、そして実際に戦乙女として自らの肉体を捨てて機関鎧を纏って戦いの中に身を投じた。

 そして、きっと自分たちが最後の戦乙女になるのだろう、という予感もある。もうすぐ、全世界に悲劇をもたらしたカルト『原書教団』との全面対決が始まる。それが終わった後に戦乙女が必要とされる場があるかというと、ロスヴァイセは首を傾げてしまう。女王国との戦争は現在停戦を迎えており、果たしてそれが再開するかどうかも明らかではなかったから。

 そうして、同じ時を生きて、役目の終わりが近いロスヴァイセとオルトリンデとの間には友情に近い感情が生まれている。もしかすると、ロスヴァイセが一方的に感じているだけかもしれないが……、表情のない機関鎧の面から、オルトリンデの迷いのような感情を読み取る程度には、ロスヴァイセはオルトリンデと共に時間を過ごしてきている。

「作戦行動に支障がなければ構わない、と、ブリュンヒルデなら言うのだろうが。私は心配なんだ、オルトリンデ。何だか……」

「何だか?」

「あなたが、ずっと遠くを見ているような、そんな気がして」

 遠くを、とロスヴァイセの言葉を鸚鵡返しにして、オルトリンデはしばし沈黙した。それから、ふっと顔を上げる。その人間であれば「目」に当たる部位は、やはり、遥か遠くを見ているようであった。

「これは、ブリュンヒルデには内緒の話」

 ぽつり、と、オルトリンデは言った。その発言に複雑な暗号をかけながら。解除の鍵を渡されたロスヴァイセは、戸惑いながらも頷く。戦乙女の長であるブリュンヒルデに「内緒」などということは戦乙女にはあってはならないことだとわかっていても、オルトリンデの真剣な声に圧されたのだった。

 ロスヴァイセが頷いたのを見たオルトリンデは、暗号化した通信で語る。

「私、亡霊を待ってる」

「亡霊……?」

 亡霊。それは言葉通りの意味かと思いかけて、ロスヴァイセはそれを否定する。戦乙女の間で「亡霊」といったらそれは一つの船を指す。もしくはその乗り手を。長き戦いの間、戦乙女たちがどうしても落とすことのできなかった船の一つ。

「けれど、今は」

「そう、今は私たちの前には現れない。理性でわかっていても、つい、探してしまう」

「しかし、何故?」

 ロスヴァイセたちが相手にしてきた船は何も「亡霊」だけではない。それでも、オルトリンデは「亡霊」ただ一隻を待っているのだという。

 オルトリンデは、息をつくような気配を伴い、それから声をさらに潜めて言った。

「あの人と、約束をしたの」

 声を潜めているのに、ロスヴァイセにはその声に混ざった渦を成す感情を感じ取った。それは、熱にも似て、本来温度を感じないはずのロスヴァイセにちりちりとした感覚をもたらす、もの。

 かくして、オルトリンデは。

「あの人を、私が必ず殺すって」

 そう、言い切るのだ。

 ロスヴァイセには、オルトリンデが本来敵であるはずの相手とどうしてそんな「約束」を交わしたのかはわからない。わからない、けれど。

「なんて。……変な話でしょう?」

「ああ。だが……、本気なのは、伝わったよ」

 そうだ、オルトリンデはどこまでも本気だ。「亡霊」と呼ばれる、その一方で確かに現実に存在している相手を、オルトリンデは心から殺したいと願っている。ロスヴァイセにはそれがわかった。

 わかった、けれど。

「けれど、何故だろう。……オルトリンデ」

「何かしら?」

「そう言うあなたは、まるで、『亡霊』に恋しているように見えるよ」

 ロスヴァイセの言葉に、オルトリンデは笑った。

 晴れやかに、華やかに。

 それこそ、恋する少女のように。

「そうよ。恋しているからこそ、殺してあげたいの」

 

(帝国領上空にて)

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