10:誰かさん
ロージーは身の回りのものを詰め込んだ鞄を片手に、立派な門の前に立つ。
こんな、寄宿学校を卒業したばかりの新米家庭教師を雇う物好きな家があるとは思ってもいなかった。近頃は貴族の子女でも学校に通わせる家が多く、家庭教師の需要自体が以前よりも低下しているのだから尚更だ。
素直に運がよかった、と思えればよかったのだが、耳に入ってくる噂を聞く限り、そうのん気に構えてもいられなさそうで、小さな溜息が漏れてしまう。なんでも、前任の家庭教師は一節もしないうちに匙を投げたとか、その前の家庭教師は泣きながら辞めさせてくれと喚いたとか、なんとか。
一体どんな家で、どんな人間が住んでいて、自分が相手取るのはどのような子供なのだろう。そんな風に考えてみると、手袋の中がじっとりと汗で湿ってくる。
けれど、怖気づいてばかりもいられない。
そう、こんな時にはどこかの誰かさんのことを思い出す。かつて、寄宿舎で一年間だけ部屋を共にしていた誰かさん。本当の名前は知らないまま、自分の役目を終えた後はまるで夢か幻のように消え去ってしまった誰かさん。
あの誰かさんだったら、きっと、胸を張って門に向き合っていることだろう。「それがボクの仕事ですから」なんて言って。きっと、ロージーをちらりと見て「らしくないですね」なんて知ったような口を利いたに違いない。
そんな風に、もう側にはいない、もう二度と会えないかもしれない誰かさんのことを思い出してみると、自然と背筋が伸びてくる。自分よりずっと小さいのに、この世界のどこかで今日も自分の仕事をこなしているであろう誰かさんを思えば、自分の前に立ちはだかっているものなど、案外大したものではないように思えてくる。
失敗したらその時。まずはやってみないと始まらない。
誰かさんのおかげで、全てを諦めて丸まっていただけのロージーからは卒業したのだ。
深呼吸一つ、顔を上げたロージーは、閉ざされた門に向けて一歩を踏み出す。
(とある屋敷の前で)
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