2020 - 門から塔へ

01:門

「狭き門を越えてここまでやってきたんだから、君はもっと己を誇ってもいいんじゃないかな」

 ブリジットの言葉に、そうはいきませんよ、とアーサーは力なく笑ってみせる。

 アーサー・パーシングは霧航士の「補欠」としてここに存在している。他の、選ばれた同期たちは既に番号つきの翅翼艇を割り当てられているというのに、アーサーは翅翼艇を駆って戦場に出ることを許されていない。

 現在、番号つき翅翼艇に乗っている誰かが、失われるまでは。

 補欠というのはそういうことで、それを誇る気分には到底なれなかった。

「もし、オレが翅翼艇に乗るとすれば――オタクの後釜として、でしょうしね」

「おっと、もしかして、惜しんでくれてる?」

 ブリジットは褪せた色の目を細めて屈託なく笑う。ブリジットの身体はひどく白く、目の色は淡く、つまりは魄霧汚染の末期症状が出ているということだ。他のどんな兵器とも異なる仕組みで動く翅翼艇の、高密度の魄霧に晒され続ける霧航士の職業病。

 もう一歩霧の海に踏み込めば、きっと溶けてしまうであろう女は、しかし今日もいつもと変わらぬ笑みを浮かべてそこにいる。アーサーにはその神経がわからなかったし、わかりたいとも思っていない。

 ただ、そう。

「惜しいと思いますよ。オタクはオレなんかより断然優秀ですからね。オレはどう足掻いたところで、オタクのようにはなれない」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけどな」

「ならどういう意味です?」

 こういうこと、と。

 ブリジットの白い腕が、アーサーの頭を引き寄せて、そのまま、ふたつの唇が重ねられる。これもいつもの戯れであることをよくよく理解しているアーサーは、その唇の感触を――目の前の女が今はまだ確かに存在していることを確かめてから、顔を離して苦笑する。

「……そうですね。オタクがいない世界ってのは、案外しんどいかもしれねーですわ。でも」

 アーサーは一つ息をついて、ブリジットを見上げる。

「オレがなんと言おうと、オタクは翅翼艇を降りないでしょう?」

「わからないよ、試してみる?」

「やりませんよ。オレは無駄なことはしない主義なんです」

 それは少しだけ嘘だ。

 本当は、引き止める言葉を言ってみたってよかったのだと思っている。どうせ全ては戯れで、このやり取り自体もアーサーから見ればすっかり「無駄なこと」なのだから、そこにもう一つくらい余計なものを噛ませたってよかったのだ。

 なのに、そうしなかった、できなかった理由は。

「そりゃそうだよね。君が見てるのは『霧航士の』あたしであって。それ以外のあたしを望んでるわけじゃあ、ない」

 ――ということに、尽きるのだろう。

 何も、永遠に戦い続けてほしいと望んでいるわけではない。

 何も、霧に溶けて消えてほしいと望んでいるわけではない。

 それでも、アーサー・パーシングは「第四番翅翼艇の乗り手、霧航士ブリジット・ケイジ」がここにいることを確かめているのだ。……それが、いつか必ず終わってしまうだろうことを、覚悟しながら。この場所にいつか自分が立つ可能性を、常に意識しながら。

 ブリジットの唇が、もう一度、ついばむようにアーサーの唇に重ねられる。

 そして、

「やっぱり君も、既に霧航士なんだよ、アーサー」

 そんな世迷言が、酷く耳に響いた。

 

(ある夜、霧航士宿舎の一室にて)

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