19:残光

「ここか」

 誰にともなく、『ヤドリギ』は呟きながら、足元に落ちた瓦礫を踏みしめる。

 頭上にはぽっかりと穴が開いていて、そこから外の霧が流れ込んできていた。霧明かりの具合から考えるに、どうやら夜が近いらしい、ということはわかった。

『獣のはらわた』の一部が崩落した、という報せを受けたのが数刻前のこと。上層でも人が住む場所でなかったのは幸いだった、と『ヤドリギ』はほっと息をつく。ごく小規模な崩落ではあったが、もしそこに人がいれば、怪我は免れなかっただろうから。

 ここからでは、一体外がどうなっているのか見ることはできないが、ひとまず人の暮らしているような場所ではなさそうだ、と思う。もしそうであったら、とっくに誰かが調べに来ているだろうから。そういう人間と鉢合わせせずに済んでいることもありがたい。『ヤドリギ』の異形は『はらわた』の住人には当然のものとして受け止められているが、外の人間が同じように捉えてくれるとは思っていない。

 ともあれ、誰かに気づかれる前に、早く塞いでしまうことにする。調査に来られるのも面倒くさいが、それ以上にこの穴に気づかずに誰かが落下して怪我でもされたら困る。……どれもこれも『ヤドリギ』の責任ではないのだが、困る、と思うのが『ヤドリギ』なのである。

 ポケットの中にいつも持ち歩いている種があることを確認しているうちに、穴を照らしていた霧明かりが徐々に薄れていく。

 ――夜が、やってくる。

『獣のはらわた』に昼夜の別はない。だから、『ヤドリギ』はその時間の移り変わりを懐かしく思う。そして、薄れていく光の中で、誰かの声を聞いたような気がした。

「……ねえ、」

 ぽつり、落とされたのは、懐かしい声。続くのは、『ヤドリギ』が『ヤドリギ』と呼ばれるようになる前の、名前。

 思い出す。ゆるやかに暗くなっていく世界の中で、ちいさな手を握っていたことを。二人、並んで帰り道を歩いていたことを。二つ分の足音が響く中、懐かしい声が言う。

「ほんとはね。もっと、あなたと一緒に」

 頭の中に囁くものを、軽く首を振って追い払う。声の主はどこにも見えない。ちいさな手はここにはないし、それを握っていた己の右手ももう無い。右腕の代わりに生えた蔦を岩肌に這わせて、『ヤドリギ』はそっと息をつく。

「……どうか、無事で。それだけが、俺の望みだ」

 本当に「それだけ」と言っていいのかはわからないまま。霧明かりはすっかり消え去り、『獣のはらわた』には夜よりも深い闇が落ちる。

 

(ある日の『獣のはらわた』にて)

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