あいまくい
草森ゆき
0
コトワリは面倒臭いものなんだ。
1
気にしなくていい、すべて食え。
そう言われたと理解した。手足の動きで、視線の揺らめきで、把握した。そしてそれは正しかった。
あなたは把握したと伝える。
彼に正しく伝わり、無音が緩やかに拡大する。
2
無音はあなたの食事の過程で、ただ単に結果だ。
この大地(あるいは世界)に現れたあなたは、ひとまず腹が減っていた。食事はすぐに済んだ。ここは緑の多い大地で、風がそよぎ、葉が擦れあって笑い合い、喜ぶように鳥たちが囀って、いくつもの虫が鳴いていた。あなたはそれらを平然と食べた。生じた瞬間からの当然の動作だった。
音。
それがあなたの主食の名前だ。
3
大地から、あなたの周囲から、あらゆる音は消えた。生まれるたびにあなたが食べた。無音の範囲はじわじわと広がった。やがては他の生き物たちが、永遠の無音に耐えかね憔悴し始めた。
意思の疎通がはかれなかった。
大地はゆっくりと枯れていき、生命はゆっくりと朽ちていき、無音もゆっくりと広がった。
4
「音を食べるってさ、すなわちそれは」
5
あなたは生じた瞬間からたったひとつの存在だった。同じ種族がいなかった。便宜上あなたは、大雑把に音食いと呼ばれた。呼んだ生命体は随分前に消えていた。生きているだけであなたは周りを失った。
6
何も聞こえなくなるんだよ。こんな地獄があるなんて、知りたいわけがないだろう。無音なだけならまだマシだ。でもそうだ、ああ、もういいから食べないでくれ。歌を。曲を。声を。交流をざわめきを鼓動を呼吸を嚥下を誰かの悲鳴をあまねく音を。
7
彼が現れた時、あなたはかなり驚いた。彼としているが彼女かもしれなかった。外観は無意味で、信憑性がなかった。彼はあなたの横に来た。足音は当然あなたが食べた。周囲は通常通りに無音が重なり合っていた。
彼とあなたはしばらく共にいた。あなたは変わらずそこでただ生きていた。彼は時折話し掛けた。あなたははじめ、彼が何を話しているのかわからなかった。音がないからだ。しかしやがては思い付いた。身振り手振り、視線の移動、表情と思われる表面のさざなみ、それらを積み重ねで理解した。
そこから対話は始まった。
あなたと彼は情報交換をした。かと思えば取り立てて抽出するでもない、いわゆる世間話を交互に行った。あなたは気がついた時には存在してたが、彼もまた気がついた時には存在しており、特異点として……無情な無二としての仲間だった。あなたは嬉しかった。活発になって、音の消費が早まった。大地はゆっくり崩れ始めた。
8
「ああ、おれはこれを待っていたんだ、ありがとう」
9
音の消失はすなわち振動の消失だった。振動は心臓で、物質形成の要で、消失し切ってしまえばあとは崩れるだけだった。
降り積もった無音のもたらす福音はファントムエネルギーだ。結合は解かれていき、散り散りになり、分解されてたったひとつの原子に戻る。そこに至ればすべては宇宙に放り出された。あなたは次の食事を探すしかない。ずっとこの繰り返しだった。音を求め、食らい、食い潰して、粒子に還し、新しい音を求める。生命維持のためには、どんどんと広がってゆく宇宙自体の崩壊を遅延させるには、あなたというイレギュラーはどうしても必要不可欠だった。だから納得していた。ひたすら音を、大気の震えを飲み込み続けた。
でも今回は彼がいた。あなたは原子に戻る大地の姿に躊躇した。数多の生命を還してきたが、交流を持った相手をバラバラにするのは初めてで動揺した。
早くここから離れてほしいとあなたは頼んだ。それは即座に拒否された。
崩れてゆく世界にたたずみ、彼は多分、確実に、笑っていた。とても嬉しそうだった。とてもとても嬉しそうだった!
10
「きみは便利だけれど、崩壊後はどうにもできない。だからおれが来た、いや、出来たんだよ。残飯処理というやつだ。無音はたのしかった、衰弱して崩れていく星の様子もおもしろかった。なあきみ。ずっとこれをひとりで繰り返していたんだな。それは有意義なことなんだ。ものすごく高い所から……どこかでは神と呼ばれるような次元から見下ろせば、誰かはやらなくちゃあいけない作業なんだよ。だからさ。気にしなくていい、全部食え」
11
すべてが崩れ去ってあなたたちは宇宙空間に放り出される。もう何もない。目視できないほどに崩れてしまったひとつの世界は過去になる。
そこには虚無がある。あったという事実がある。
彼の主食はそれだった。
12
(なあ、ぼく、あんたに名前をつけていい?)
13
「ああ、ならせっかくだからつけてくれ」
14
(うん。
あんたの名前は、)
15
(https://kakuyomu.jp/works/16817139555443513940)
あいまくい 草森ゆき @kusakuitai
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