ドッペルゲンガー
長船 改
ドッペルゲンガー
ある日曜日の事だ。僕は街の方まで買い物に出かけた。と言っても、欲しいものが明確にあったわけじゃない。僕の趣味は、好きな漫画やアニメのグッズ漁りなのだ。その範囲は広く、僕の生まれる前の作品でも対象に入る。
そんなわけで出掛けた時はぺったんこだった僕のリュックは、帰ろうと思った頃にはなかなかの膨らみを見せていた。実に満足。大漁だ。
僕は駅に向かって歩き始めた。大きな街とは言え、日曜日の夕方だ。僕は、お昼よりも半身になる回数を減らして歩く事ができた。
そうして、ちょうど横断歩道を渡り切った時だった。
「大介! 大介じゃないか、久しぶりだな~。元気してたか、おい?」
突然声を掛けられて、僕は驚いてしまった。だけど奇妙な事に、その声の主を見ても誰なのかまったくピンと来ない。
「あの……ドチラ様でしょうか?」
少しでも失礼にならないよう最大限に気を使ってお伺いを立てた。だけどそんな僕に対して、相手はとても馴れ馴れしい口調で言葉を返してくる。
「うそだろ~。俺の事忘れちゃったのか~? 小学校の頃一緒に遊んだじゃないか~。」
小学校の頃に一緒に……? 確かに目の前にいるこの男は僕と同年代に見えなくもない。だけど……。
「えっと……誰かと勘違いされてるんじゃないですか?」
そうだ。大介なんてどこにでもある名前だ。他人の空似がたまたま名前まで一致していただけに違いない。
「え、お前、
……まずい。苗字まで完全一致だ。どうしよう。
その間にも僕は脳をフル回転させて記憶を辿っている。だけどどうしても相手の顔に見覚えがない。
これじゃラチがあかないと思って、僕は思い切って尋ねてみた。
「あの……すみません。あなたのお名前は……?」
「朝倉博之。あさっちって言えば思い出すだろ?」
朝倉博之……? あさっち……? まったく覚えがない。何度その名前を頭の中で反芻させても、カケラも情報が出てこない。
そんな僕を見て、朝倉氏は表情を変えた。明らかに不機嫌そうに。
「薄情なやつだなぁ、小学校の6年間、ずっと同じクラスだったってのに。
……あ、そうだ。これ見たら思い出すだろ、さすがに。」
そう言って、朝倉氏はスマホを取り出すとなにやらアレコレと操作をし始めた。待つこと約1分。
「あった。これだ。」
朝倉氏は僕にスマホを見せてくる。そこには、私服に名札をつけた男の子2人が肩を組んでピースしている写真が収められていた。
「これが俺で、これがお前。な?」
それを見て、僕は背筋が凍る思いがした。たしかにその男の子は、子どもの頃の僕と瓜二つだったのだ。
だけど、それは絶対に僕ではない。僕であるはずがない。
なぜならば、僕の通っていた小学校は制服で、名札なんて付けていなかったはずだからだ。
しかし、どうやったらそれを証明できるだろうか? 子供の頃の写真なんて僕は持ってないし、口でいくら説明したって納得してくれそうにない。
「まだシラを切るつもりかぁ? いい加減にしろよ、笑えないぜ。」
不機嫌を通り越してちょっとキレ始めてる朝倉氏。
道行く人たちは、歩道のど真ん中で立ち止まってんじゃねえよと言わんばかりの迷惑そうな視線を僕達に投げかけていく。だからと言って、場所を変えようだなんて言い出せる雰囲気でもなかった。
と、そこで僕はふと思いついた。
「そ、そうだ。これ!」
僕は慌てて財布を取り出すと、中から免許証を引っこ抜いて朝倉氏に見せた。
僕の免許証には、本籍地と実家の住所が記載されている。住所を見れば、僕が朝倉氏とはなんの関わりもないという事が分かるだろう。
「この住所は……。」
「分かってもらえましたか?!」
「やっぱりそうじゃねえか。何も間違ってねえよ。」
「……は?」
まさかの予想を裏切る反応に、僕は呆気に取られてしまった。
朝倉氏は大きなため息をつくと、ポケットから電子タバコを取り出して咥えた。口の端からみるみる煙がこぼれ始める。
「この住所だったら南ヶ丘小学校だよな? 間違いないよな?」
……朝倉氏の指摘は間違っていなかった。たしかに僕は南ヶ丘小学校の出身なのだ。僕はコクコク頷く他なかった。
「じゃあやっぱり俺の知ってる加賀地大介じゃねえか。」
そう言って、朝倉氏はニッと笑った。
僕は完全に恐ろしくなってしまった。僕の事を知ってると言う、目の前のこの知らない男の人に。記憶喪失なはずがないのに、もしかして記憶を失ってしまってるんじゃないか?と疑ってしまう自分自身に。そして何より、写真に写っている同姓同名の、自分そっくりの、他人に。
「なぁ、大介。」
朝倉氏が僕に向かって手を伸ばしてくる。
その手が、未知の怪物に見えた。
「ご、ごめんなさい……!」
僕は勢いよく頭を下げると、朝倉氏の手をかいくぐって一目散に走りだした。頭の中はほとんどパニック状態だった。
道行く人々をすり抜けて、時折ぶつかりながら、とにかく走り続けた。
途中で一度だけ後ろを振り返ったが、朝倉氏は電子タバコをふかしながら、ただそこに佇んでいるだけだった。
――それから、約10分後。
僕は電車に乗り込むと座席の横側に立ち、閉じたドアに対して左半身を預けた。
こんなに走ったのは久々だ。こんなに緊張したことも……。
息が荒い。肩が上下する。なのに僕は周りの乗客を気にして、漏れ出る息を必死に抑え込もうとした。
そしてクラクラする頭で考える。
一体あの人は誰だったんだろう。そして写真に写っていたあの、僕そっくりの子どもは。
僕はスマホを取り出すと、《朝倉博之》と打ち込んで検索してみた。だけど検索結果には漢字違いの有名人の名前が出るばかりで、なにも収穫はなかった。
続けて、なんとなく試しに自分の名前を打ち込んでみた。《加賀地大介》と。
すると、SNSのサイトが上から2つ連続して現れた。それらは僕も利用しているが、本名ではやっていない。まさかね、と思いつつタップしてみると……。
「うっ……!」
突然、胃がカァっと熱くなったかと思うと、みるみるうちに酸っぱいものが込み上げてきた。それは喉を閉める間もなく口の中に漏れ出てきて、僕は慌てて口元を抑えてなんとかそれを強引に飲み込んだ。
スマホに映っていたのは……僕だった。
たくさんの僕の写真が載っていたのだ。
ご飯を食べている時の、職場の飲み会の、友達と遊んでいる時の、海外旅行の時の……。
もちろんそれらは僕じゃあない。たぶん、この人が朝倉氏の言っていた加賀地大介なんだろう。
僕は心臓にきりきりとした痛みを覚えて、ドアの窓におでこを預けた。ひんやりとした感触のおかげで少しだけ気分が楽になる。すると、それと同時にある言葉がひらめいた。
「……ドッペルゲンガー?」
音もなくそう呟いてみて、僕はそれを笑い飛ばしてやりたくなった。余りにもバカバカしい発想だと。
それなのに、僕の思考はそのバカバカしいを通り越して、さらにトンデモな想像を展開させてしまう。
もしかしたら、ドッペルゲンガーは僕の方なんじゃないのか?
体が冷たくなってきたと感じるのは、この想像のせいだろうか。それとも、窓のひんやりとした冷たさのせいか。
僕は、あの加賀地大介ほど、自分の存在を世の中にひけらかしてはいない。自分の顔写真ひとつでさえもSNSはおろかネットにもあげていないのだ。
加賀地大介で検索して最初に出てくるのがあっちである以上、世の中的にはこの僕の方が偽物なのかもしれないと、そう思ってしまった。
段々と、正常だったはずの僕の思考が押し潰されていく……。
いったい、僕は何者なんだろうか? 僕は本当に今まで加賀地大介として生きてきたんだろうか?
ガタンゴトン。タタタン。
ドア越しに外を眺めてみる。
すぐ目の前に、鏡のように反射して見える他の乗客の背中が、そしてその奥で、別の電車がこちらと並走しているのが見えた。ちらほらと乗客が立っているのも見える。
……その時だった。
あっち側の電車の中で一人、サングラスをかけた男がこちらを見ているような気がしたんだ。
そして、視線が、重なった。
その一瞬。ほんのわずかな時間が、まるでスローモーションで流れていくように感じた。男は口元に微笑みを浮かべ、左手をサングラスにやってゆっくりと外していった。
あれは……! 僕は目を見開いて食い入るように見つめた。
パパーン!
しかし、無情にも電車は警笛を鳴らしながら離れていってしまった。まるで弾かれたようにして。
そして男の姿も見えなくなった。
……僕は震えていた。体も、心臓や心でさえも、恐怖におののいていた。ほんの一瞬だけ見えた、サングラスを外したあの男の顔が、脳裏に焼き付いていたからだ。
そう。あれは……あの顔は……!
「加賀地……大介……。」
ぼそりと。音に出して。僕はそう呟いた。
《自分のドッペルゲンガーを見てしまった人はその存在が消滅してしまう。》そんな都市伝説がある。要はフィクションだ。だけどそんな話でも自分の身に起こりそうになると、その真実味はまるで違ったものになる事を今日、僕は知った。
「あぁ、疲れた……。」
家に帰ってくるなり、僕はそう呟いた。全身がとてつもなく重く感じる。
何とか部屋まで戻り、荷物を下ろすと、ベッドに背中を預けるようにしてヘナヘナと床に座り込んだ。
「結局なんだったんだろう、アレは……。」
僕は、天井の少し暗く感じる灯りを見上げながら呟いた。
結論としては、僕はもう一人の加賀地大介を見ても何ともなかった。こうして今、自分の部屋にいるのが何よりの証拠だ。
果たして彼は、ただ僕と瓜二つで同姓同名なだけの他人だったのか? それともドッペルゲンガーだったのか? 今となってはもう分からないし、分かりたいとも思わない。ただ、僕は今日のこの不思議な体験を生涯忘れる事はないだろうと思った。
……不意に、誰かが部屋の扉をノックした。扉が開くと、母親が顔を覗かせた。
「大介、電話よ。」
「電話? 僕に?」
僕は疲れた体を精一杯に伸ばして電話の子機を受け取った。
「早く出てあげてね。それと、眼鏡。家の中なんだから外しなさい。」
そう言って、母親は扉を閉めた。道理で部屋の灯りが暗く感じるわけだ。
僕はつけっぱなしだったサングラスを外して、保留を解除した。
「えーっと、もしもし。電話替わりました。ドチラ様でしょうか?
え? もしかして……あさっち?」
ドッペルゲンガー 長船 改 @kai_osafune
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