三十過ぎの人妻ですが、ママ友と一緒に魔法少女になりました

三郎

本文

 人は誰しも、秘密を抱えて生きているものだと思う。例え愛する家族や恋人だからといって、全てを共有出来るわけじゃない。

 いや、むしろ家族だから言えないこともあるだろう。

 そう、例えば不倫しているとか。

 あるいは、実はスパイだとか。実は殺し屋だとか。実は人の心が読める超能力者だとか。

 不倫以外の三つは漫画の読みすぎだろうと思われるだろうが、実際にどこかにそんな人が居てもおかしくないなと今は思う。

 何故なら私は——


「わっ!」


 夫と娘の驚くような声が聞こえたその時、ふっとあたりの生活音が消えた。まるで急な停電が起きたようにプツリと。

 料理をしていた夫の方を見る。落としたじゃがいもに驚いた状態のまま彫刻のように固まっている。手伝いをしていた娘も同じ顔で固まっている。落としたと思われるじゃがいもは床につかず、宙に浮いている。

 時計の針も止まっており、まるで時そのものが止まったようだ。"ようだ"ではない。止まったのだ。本当に。

 そんな中私一人だけが自由に動ける。それには理由がある。その理由を、私は知っている。


「……行ってきます」


 彫刻のように動かない夫と娘に声をかけて家を出る。向かう先は公園。そこに居たのは、一人の女性。女性は私の姿に気付くと、パッと顔を輝かせた。


「やっほ。いずみさん」


「……相変わらず楽しそうですね。月花つきかさん」


「ふふ。だって。この時間は必ず貴女に会えるんだもの」


「私は会いたくないです」


「えー。そう言わないでよ。私も貴女も、お互いが居ないと変身出来ないんだから。変身できないと戦えない。私達が戦わないと世界は滅ぶ。でしょう?」


 そう彼女が話しかけるのは私ではなく、自身の肩に乗っているリス。リスは彼女の問いかけに日本語で「うむ。だから戦って貰わないと困るのだよ」と可愛い姿に似合わない厳つい重低音と偉そうな口調で答えた。彼はラタトスクという精霊らしい。精霊なんて、ファンタジーのような話だが現実の話だ。

 このラタトスクという精霊は、私たちの住む世界とは別の世界からやってきた。別世界といっても遠い世界ではなく、私たちの世界のすぐ裏にあるらしい。彼らの住む世界にはユグドラシルと呼ばれる巨大な樹があり、その樹は世界の心臓のようなもので、枯れてしまうと世界が滅ぶらしい。

 その世界の人々の感情からはエネルギーが出る。怒り、悲しみといった負の感情からは負のエネルギーが。喜びなどの感情からはマナと呼ばれる正のエネルギーが。

 世界樹は人々から出る負のエネルギーをマナに換える役割を担っているらしい。まぁつまり、光合成をして二酸化炭素を酸素に換えているこの世界の植物と原理は同じだ。

 しかし、ラタトスクの住む世界では今、各地で戦争が起こり、負のエネルギーが大量に放出され、ユグドラシルでの変換が間に合わず、充満している状態になっている。この世界で例えるなら、温暖化のような状況だ。しかし温暖化より厄介なのは、負のエネルギーは溜まりすぎると人や動物などの自我を崩壊させて異性の姿に変えてしまうらしい。自我が崩壊した者たちは魔物と呼ばれ、破壊の限りを尽くす。その魔物たちを退治するためには負のエネルギーにマナをぶつけて浄化するしかないらしいのだが、如何せん、彼らの世界はすでに負のエネルギーで溢れ返っているため、とても浄化できない。

 そしてついには、魔物達は私達の世界まで侵食して来てしまった。


 しかし裏世界の人々とは違い、私たちは魔法なんて使えない。使えないが、使い方を知らないだけで素質がある人間はそこら中にいて、ラタトスクなどの裏世界の精霊達の姿が見える人はその素質があるらしい。

 つまり、私達はたまたま素質があった。素質があったばかりに、奴らと戦わなければいけなくなってしまったのだ。ため息しか出ない。

 ラタトスク曰く、幸せの絶頂にいる女性ほど素質がある可能性が高いのだとか。まぁ確かに、夫も娘も愛おしくて毎日幸せですけども。ですけども。


「ラタトスク。いくよ」


「あぁ、頼むよ。月花」


 ラタトスクが月花さんの手に自身の手を合わせる。すると月花さんは光に包まれた。

 光が収まると、月花さんは真っ黒なドレスに着替えていた。パーティに出るようなドレスではなく、女児向けアニメの魔法少女のようなドレスだ。

 魔物と戦うには、ラタトスクの力を借りて一時的に裏世界の住人と同じ体質にならなければならない。分かりやすく言えば、魔法少女に変身するようなものだ。私も月花さんも三十代。とても少女と呼べる年ではないが、変身した姿は完全に、アニメでよく見る魔法少女の衣装なのだ。ラタトスク曰く、マジカルドレスというらしい。だから女児向けアニメかよって。幼い頃は憧れたが、まさか三十過ぎて魔法少女風の衣装を着せられるとは思わなかった。

 そして、私が変身を躊躇うにはもう一つ理由がある。ラタトスクは弱っていて、一人を変身させるのが精一杯らしい。月花さんはラタトスクの力を借りて変身する。では、私はどうやって変身するのか。

 そう、変身した月花さんから力を貰うのだ。

 その方法はラタトスクが月花さんにしたように、手を合わせて念じてエネルギーを流し込んでくれるだけで良いのだが——


「さ、泉さんも変身しましょう」


 ニヤニヤしながら距離を詰めてくる月花さん。後ずさるが、腰を引き寄せられ顎を持ち上げられる。近づいてくる顔を手でガードして、自分の顔を逸らす。


「……いつも思うんですけど、手じゃ駄目なんですか」


「上手くコツが掴めないのよ。こっちの方が簡単なの」


「いや、絶対月花さんが——んっ」


 手をどかされ、強引に唇を奪われる。重なった唇からエネルギーが少しずつ流れ込んでくるのが分かる。

 押し返そうとすると逆に頭を引き寄せられる。毎回、形だけの抵抗はする。だけど本当は嫌ではないと身体は言う。

 悔しい。だけど、夫が居るのにママ友とキスなんて……という罪悪感は一切ない。

 何故なら、実は私と夫は、夫婦ではあるが恋愛関係にはないからだ。私が誰かに恋をしようが夫は許してくれる。

 私はレズビアンで、夫はアロマンティック・アセクシャル。アロマンティックアセクシャルというのは、他者に対して恋愛感情も性的な欲求も抱かない人のことだ。

 レズビアンはもう義務教育でも習う時代だから知らない人はほとんどいないと思うが、アロマンティックアセクシャルに関しては知名度もまだまだ低いため、同性愛者以上に理解されづらい。私も彼に出会うまでは恋愛しない人間の存在は知らなかった。

 だけど夫は、今まで出会ったどの男性よりも優しい人だと思う。いつも笑顔で人当たりがよく、怒っても人や物に八つ当たりしないし、自分が悪いことをしたと気づいたらすぐに謝る。子供や女性の意見も見下さずにちゃんと聞いてくれる。間違いを指摘されても素直に受け入れる。当たり前のことだが、私の父は真逆の人だった。父の間違いを指摘すれば「俺が間違っているっていいたいのか」とキレ出す。間違っているから指摘しているだけであり、責めているわけではないのに。

 あんな人とだけは結婚したくないと思っていた。あんな人とだけはと言っても、私は女性しか愛せないからこの国では結婚なんて出来ないのだが。

 カミングアウトせずに、いつ結婚するんだという両親や親戚を黙らせたかった私にとっては、他者に対して恋愛感情を抱かない男性というのは、都合が良過ぎた。


 ちなみに娘は夫の姉の子。

 夫は、子供を残して亡くなった姉の代わりに生まれたばかりの彼女を男手一つで育てていた。

 私がレズビアンであることは夫にとっても都合が良かったらしく、母親代わりになってくれる人が居てくれると助かると、夫の方から私に契約結婚を提案してきた。

 私達は、お互いのセクシャリティを世間に隠すために契約結婚した。

 いつか同性婚が出来るようになって、結婚したいと思える人が現れたらその人と幸せになってほしいなんて夫は言ってくれたが、なんだかんだで夫と娘との生活は毎日楽しくて、二人と別れて女性と結婚する日が来るなんて、最近は想像出来なくなってしまった。

性的な意味で満たされることはないけれど、私は元々性欲が弱いため問題は無い。

 私と娘に血の繋がりはないし、娘から見たら夫は父ではなく叔父だ。そのことは、誰も知らない。夫と私、二人だけの秘密。

 なのだけど——


「泉さん、本当は女が好きなんじゃない?」


 変身を終えた私を見て、彼女が笑う。月明かりに照らされるその妖艶な笑みに心臓が高鳴ってしまう。その表情のまま、彼女は言う。


「ねぇ泉さん、戦いが全部終わったらさ、私と付き合ってよ」


 彼女はシングルマザーだ。セクシャリティは知らない。私のことは恋愛対象として見ているのか、ただ単に女性との性的な行為に興味があるだけなのかわからないが、私は後者だと思う。この人の私に対する好意は本物だと思うが、それが恋愛感情だとは思えない。


「な、なんでそうなるんですか」


「私泉さんが好きだから」


って何ですか。私は貴女のことなんて……」


「あ、女が好きなのは否定しないんだ」


「た、戦いに集中してください! 死にますよ!」


 負のエネルギーに支配された魔物達はマナを嫌うらしく、本能のままに私達を襲う。手加減なんて一切してくれないし、数が多い。油断はできない。


「大丈夫。死なないわ。貴女は私が守るもの」


「私じゃなくて自分の身も守ってください!」


「大丈夫大丈夫。私の身は貴女が守ってくれるでしょう?」


「っ……貴女のそういうところ……大っ嫌い!」


「その嫌いは好きって意味で捉えていい?」


「言葉通りに受け取ってください! 大体、私には夫と娘が居るんです!」


「えー。じゃあセフレで良いよ」


「じゃあって……貴女ねぇ……!」


 軽薄な笑みを浮かべる彼女に対する苛立ちを迫り来る魔物達に八つ当たりして発散する。杖で殴られた魔物は光の粒となり消える。消滅しているように見えるが、元の世界に戻っているだけだとラタトスクは言う。戻った魔物達は、元の姿に戻るそうだ。だから私も遠慮なく戦える。ラタトスクが気を使って嘘をついている可能性もなくはないが、彼の性格的に人に気を使えるようなタイプには見えない。

 この世界の時間を止めるくらいの気遣いは出来るが、本人曰く、それは気遣いでは無く、時間を止めることで素質のある人間を見つけやすくなるというだけらしい。恐らくその言葉も照れ隠しではなく、本心なのだろう。


「泉さん、なんかイライラしてる?」


「貴女のせいです!」


「イライラ? その割にはマナが溢れてるが……」


 月花さんの肩に乗るラタトスクが言う。

 私の娘は月花さんの娘と仲がいいし、彼女の娘は良い子だが、私は月花さんのことが嫌いだ。魔法少女になんてならなかったら、こんなに近づかずに、ただのママ友でいられたのに。彼女の嫌な一面なんて知らずに済んだのに。マナが溢れてるなんて嘘だ。だって、怒りは負のエネルギーなのだから。

 苛立ちに身を任せ、魔物達を杖で叩く。怒りは負のエネルギー。そのはずなのに、何故か魔物達は次々と浄化されていく。触れなくても、私の近くにいるだけで浄化される奴もいるほどだ。そのことから、私からマナが溢れてるというのは嘘ではないとわかる。それは私が魔法少女に変身しているからなのか、それとも本当は——


「泉さん! 危ない!」


「っ……!」


 彼女の声に思わず振り返ると、私の背後を狙っていた魔物を彼女が蹴りで吹き飛ばした。


「怪我はない? ハニー」


「誰がハニーよ。お礼なんて言いませんからね」


「良いよ良いよ。身体で払ってくれれば」


「払いません!」


「えー。じゃあ、ご飯奢って」


「……ワンコインのハンバーガーでよければ」


「あははっ! 充分充分! 値段なんてどうでも良いよ。貴女と食事するのが目的なんだから」


 彼女がそう笑ったその瞬間、周りの魔物が一瞬にして消滅した。

 魔物達はマナによって浄化される。マナというのは喜びや幸せなどの感情から分泌される正のエネルギーのこと。つまり、月花さんは今、物凄く嬉しいと感じているということだ。周りの魔物達が手を触れなくても浄化されるほどに。

 魔物達は私達に近づかず後ずさっていく。私達にはそのマナというのは見えないが、精霊や魔物達には見えるらしく、ラタトスク曰く、月花さんは今、魔物からしたら触れたら死ぬ結界を張っている状態らしい。それほどまでに膨大なマナを放出しているということだ。


「……私と食事出来るだけでそんなに嬉しくなっちゃうんですか?」


「……そうみたい。私は、自分が思ってた以上に貴女のことが好きみたいね」


 揶揄うつもりが、照れ顔で意外な言葉が返ってきて、思わずキュンとしてしまう。


「……ねぇ泉さん、試してみたいことがあるんだけど、良いかしら」


「な、なんですか」


「あの子達も近づけないから邪魔されないし……」


 月花さんが近づいてくる。嫌な予感がして後ずさると、二メートル先の魔物が一体だけいきなり消滅した。


「なんで!?」


 思わずツッコミを入れると、ラタトスクが解説をしてくれた。あれはあの魔物の中に残っていたわずかな人格から生まれたマナで内側から浄化されたのだと。ますます訳がわからない。


「なるほど。つまり、私と泉さんがいちゃいちゃしてるのを見て尊死したってことね」


「い、いちゃいちゃなんてしてません!」


 否定するが、魔物達は次々と浄化されていく。


「……泉さん、良い?」


「いやいや、良いも何も、何がですか」


「私たちの愛の力であの子達を浄化してあげましょう?」


「愛って。貴女のそれはただの性欲でしょう」


 違うことは、次々と消えていく魔物達が証明している。ラタトスク曰く、マナの中でもっともエネルギーが大きい感情は愛なのだという。

 月花さんが私の手を握る。その瞬間、変身する時とは比べ物にならないほどのマナが身体に流れ込んでくるのを感じた。


「手からマナを流すのは無理とか……やっぱり嘘じゃないですか!」


「う、嘘じゃないよ! これは、なんか、勝手に溢れて止まんなくて……」


「なんですかそれ……っ……」


 身体が——心が震える。思わず声が出てしまうくらい気持ち良い。


「っ……ん……」


「……泉さんなんか、えっちですね」


「そういうこと……言わないでください……! 私は貴女のそういうところが嫌いなんです……!」


「泉さん」


 彼女の腕が私を包み込む。


「好きですよ。泉さん。いつも揶揄っちゃって、ごめんなさい」


 私を抱きしめたまま、彼女は呟く。その声は少し震えていた。どんな顔をしているのか気になるが、彼女は顔を上げることを許してくれない。ドッドッドッドッ……と、重く速い心臓の音と、魔物達の断末魔が彼女の想いを証明する。


「……何度も言いますけど、私は貴女なんて、大嫌いですよ」


 そう呟いた瞬間、ラタトスクが言う。「君たち二人の愛は辺りの魔物達を殲滅するどころか、私たちの世界まで浄化し始めているぞ」と。それを聞いた月花さんは「言い逃れ出来ないですね」とケラケラ笑う。そして、ようやく見上げることを許される。見上げるとそこには憎たらしい笑顔があった。私はその笑顔を力一杯つねってから、家の方に向かって歩き出す。


「泉さん、ご飯、いつ行きます?」


「……貴女の奢りですよ。あと、夫と娘も同席させます」


「ええ!? デートなのに!?」


「デートじゃありませんから」


「素直じゃないなぁ……可愛い」


「私は夫も娘も愛してます。だから、今は貴女とお付き合いはできません。あと、可愛いはやめてください。私の方が年上ですよ」


「……わかりました。じゃあ、お友達で。セフレではなく、健全な方です。てか、年上って言っても一つしか変わらないじゃないですか」


「……友達なら、もうなってるでしょう」


「私は、ママ友ではない普通の友達になりたいんです。子供という繋がりがなくても気軽に会える友人に」


「……セフレとか言ったくせに」


「あれは半分冗談です」


「半分本気なんじゃないですか」


「まぁ、はい」


「……やっぱり私、貴女のこと嫌いです」


「その嫌いは、好きという意味で捉えて良いですか?」


 私は彼女が嫌いだった。天真爛漫で、いつも笑顔で。嫌いだったのは、彼女に惹かれていたから。近づきたくなかったのは、もっと惹かれてしまうから。

 だけど夫は知っている。私がレズビアンであることを。女性に恋をすることは夫からは許されている。

 許されていても、できない。夫が許していても世間は私を不倫している妻だと認識するだろう。そうなれば娘に迷惑をかけてしまう。女と不貞行為をする妻の娘というレッテルを、娘に貼りたくはない。だから彼女とは付き合えない。だけど……


「……恋人、作らないでくださいね」


「えっ!? フったくせに?」


「……フってません。言ったでしょうと」


「なるほど。では、何年待てば付き合ってくれます?」


「……娘が成人するまで」


「あと十五年ですか。先は長いですね」


「それまで待てるなら付き合ってあげなくもないです」


「上からですねぇ。まぁ、良いですよ。キープされておいてあげますよ。十五年」


「上からですね」


「どの口が言うんですか」


「……その前に私が冷めますけどね」


「闇に飲まれた異世界を浄化するほどの愛ですよ? そう簡単に冷めますかね」


そう言って彼女は憎たらしい笑みを浮かべる。その笑顔を力一杯つねってから、私は愛する夫と娘が待つ家へと早歩きで向かった。

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