第77話 抗いのヴァンパイアたち
銀帝と仲間たちは完全に隔離された空間の中にいた。
透明で深い青色の水のドーム。シャロンが残った力を振り絞って作り上げたのだ。
時折からかうように吐き出す銀帝の炎弾が強力すぎて、周囲に着弾すると巨大な火柱が上がり、被害が大きくなるからだ。
「また来るっ、ディアッチ止めて!」
「わかっている!」
ウーバの掛け声に素早く反応したディアッチが、前に出る。
その両腕は黒く焼け焦げ、自慢の斧は焦げてくすんでいる。
「威勢のいい時間は終わりか?」
銀帝の喜悦に歪む表情。
炎弾がうなりをあげて飛来する。
「ぬぅぅぅぅっ!」
ディアッチが巨大な炎の塊を横っ面から斧の側面でぶっ叩いた。直線軌道で飛んできたそれは、わずかに方向を変え、遥か背後の水の壁に衝突。
じゅわっと音を立て、瞬時にドーム内に湿気が満ちる。
同時に、悲鳴を上げるように、水のドームがぶるりと震え、シャロンが細い膝をがくりと地面に着き、荒い息を何度も吐きながら両手をついた。
「シャロン、もうやめて!」
ミャンが素早く駆け寄り、背中をさする。
それに対し、シャロンは青い顔のまま首を横に振る。
この水のドームは、銀帝という化け物を閉じ込めた檻なのだ。外に出して自由に暴れまわられるような事態になれば、大きな被害が出る。
それを知る彼女に、途中で役目を放棄する選択肢はなかった。
「そろそろ限界か?」
けれど、それすら楽しんでいる銀帝は、意地の悪い瞳をシャロンに向けて嗤う。
「こんな戒めで俺を閉じ込めたと思っているようなら片腹痛いぞ」
「そう言うなら、いつでも出て行くが良い。我は止めはせぬぞ」
「嗜虐翁、そう焦るな。楽しみはじっくりと味わいたいだろ」
ずん、ずんと銀帝が前に出る。巨大な足がじりじりと近づいてくる状況で、ディアッチもまた前に出る。
目の前で持ち上がった足。まるで岩だ。高く上がるそれは、全員を踏み潰すべく下ろされる。
しかし、猛る嗜虐翁はそれを両手で受け止めた。
寸分違わず、彼の体が淡く光った。ウーバの身体強化魔法が放たれたのだ。
「これほどとはな」
「ぬぅぅんっっ!」
ディアッチが力任せに斜め前に押し返す。
銀帝の巨体が地面をめくり上げ後退していく。そのまま空中に押し出された銀帝は、地響きを立てて、背中から落下した。
ディアッチの眼下に銀帝の黒い腹が見えた。
目の奥が輝いた。
「全員ここだっ! 行くぞ!」
「身体強化!」
ディアッチの大声にウーバが反応した。
彼の体が再度、淡く緑色に光った。口端からつうっと赤い血が流れた。強制的に限界を越えさせる強化魔法の重ねがけは、嗜虐翁といえど負担がかかる。
けれど、彼は気にした素振りを見せない。
空中から急降下し、自慢の斧を上空に掲げ、刃を淡い黄色に染めて煌めかせる。
「《会心剣》っ!」
「笑わせるな。転がしたくらいで」
銀帝が長い首を起こした。瞬く間に口内に炎が溜まる。
がばっと開いた口の中には無数の牙。
そして、放たれる巨大な炎弾。
全力を振り絞っているディアッチは、あえてその炎に衝突しにいく。
「《水魔法・ウンダ》」
紡がれた声はシャロンのもの。空中からしかけるディアッチの足下に波が現れる。
意思を持つそれは、彼の一歩先を進行し、銀帝の炎を優しく包み込んだ。
炎と水――
途方もない熱量を水が必死に抑え込む。
シャロンは水魔法の得意なヴァンパイアだ。その技術は他の追随を許さないほど巧みだが、銀帝との力の差は埋めきれない。消火しきれない炎弾がすり抜けた。
「それで十分っ」
ディアッチは今までの戦いで黒焦げになった左手をぐっと前に伸ばした。
ぶるぶると震える指先に力を込め、飛来する炎を掴み、眉一つ動かさず握りつぶす。
これには、銀帝の顔色が変わった。
「《会心剣・改》!」
「よく戦ったと褒めてやる」
その瞬間――ディアッチが大きく吹き飛んだ。
銀帝の巨大な三又の尾が、パルチザンのごとく横っ腹に追突したからだ。
ディアッチは受け止めきれず、シャロンの水の壁にめり込むようにぶつかり、どしんと地面に落下した。鎧が崩れ腹部から大量の血が溢れている。
一番の戦力がとうとうやられた。
――そう思った。だが、
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
渾身の一撃は別の方角から降ってきた。
銀帝は一瞬混乱を浮かべ、仰ぎ見た。
少女――ミャン・エナトミ・ペルシアンが、波を背にして、とんでもない速度で突進してくる。
彼女は体に不釣り合いな大きさの斧を頭上で掲げていた。
刃は黄色く輝き、それを握る両腕は淡い緑色だ。
そして、彼女の腕そのものは、異常なほどうっ血して紫色に変色していた。
ミャンは、ディアッチの《会心剣》を引継ぎ、ウーバの身体強化を極限まで受取り、
「くらえぇぇぇぇぇ!」
シャロンの《水魔法》に背中を押され――
すべての力と想いを乗せて、斧を振り下ろした。
***
銀帝の表情に、初めて焦りが浮かんだ。
巨体とは力である。けれど、その分、速度では後手を行く。
ミャンは命をかけて身体強化魔法を重ねがけしているのだ。
紅く輝く瞳は今にも燃え尽きそうに見える。
もう間に合わない。
「くっ」
一瞬、銀帝に迷いが生じた。
ディアッチに使ってしまった尾はもう間に合わない。戻す時間は無い。
炎を吐くにも時間が足りない。
ディアッチが炎を使わせるところまでが作戦だったのだ、とようやく理解した。
銀帝を仰向けの体勢にさせ、手足を役に立たなくさせたうえで、攻撃手段を削る。
そこに、竜燐の無い腹を狙った一撃。
「《会心剣・改》と言ったろう」
銀帝の耳に届いたのは息も絶え絶えのディアッチの声。
視界の端に映る横たわった彼の手には、斧が無い。
尻尾に攻撃された瞬間にはもう手を放していたのだ。
引き延ばされた一瞬の中、銀帝の頭は高速で動く。
腹部は竜にとっての唯一の弱点である。
生半可な攻撃ではびくともしないが、身体強化されたディアッチの《会心剣》と、同じく身体強化されたミャンの攻撃力、そして《水魔法》の後押しはまずい。
ならば羽を体の前に回す――
片羽くらいなら犠牲にしても、時間をかければ治る。
しかし――これも動かない。
「小娘がっ!」
ぎょろりと瞳を動かした。
今にも崩れ落ちそうなウーバが、片手を伸ばした状態で銀帝を睨んでいた。
今までも再三にわたって《魅了魔法》をかけてきた彼女は、ここで全力を使いきると決めているらしい。
銀帝にとって、《魅了魔法》はそこまで怖い魔法ではない。
竜という種族はそもそもステータス異常に対して耐性が高いのだ。
ただ、ウーバぐらいの強さの者が使うと、わずかにレジストに時間を要する。
銀帝のほんの一瞬の時間を奪うために、彼女は全力を尽くしているのだ。
「これでぇぇぇぇっっ!」
輝く刃が上空から落ちてくる。
もはや無傷は不可能――誰もが思った。
銀帝は胸の内でため息をつき、「《召喚》」――そうつぶやいた。
銀帝の体の中から何かがごっそり抜け落ちる。
同時に、ずるりと、腹から何かが這い出てきた。
それは生まれたての小鹿のように頼りない小型の竜だった。しかし、全身が亀のような甲羅で覆われた竜は銀帝の腹をすっぽりと覆い隠す。
そこに――斧がつき立った。
「そんなっ!?」
ミャンの悲痛な叫びが、全員の言葉を代弁していた。
突如目の前に現れた小型の竜によって斧の軌道が逸れ、銀帝の片羽に向いた。
その結果、全員の渾身の協力攻撃は、羽を半分切り裂くだけとなってしまったのだ。
「残念だったな」
銀帝が落ち着き払った声で言い、悠々と体勢を立て直した。
ばさっと広げた羽を確認する。
「どうあがこうが無駄だとわかっただろう。俺には奥の手があるからな」
空中に古ぼけた分厚い本が浮かんでいた。
「これが降臨書。所有者に《召喚》の力を与える真祖の奇跡。初めて見たか?」
銀帝のセリフに、誰もが言葉を失っていた。
ディアッチは必死に立ち上がろうとしている。
ウーバは何か瓶のようなものを取り出し、呷ろうとして膝から崩れ落ちた。
ミャンは立ったまま、紫色に変色した両腕をだらんと下ろしたまま。
シャロンは両手を前に突き出し、何とか水の牢獄を維持している。
「良い良い、十分楽しめた。終わらせてやろう」
満足げに眺めた銀帝が大きく息を吸った。
全身に漲った魔力が、瞬く間に口に集約される。
炎弾の時とは違う、本気の炎がそこにあった。
――瞬く間に、赤が広がった。
自分の周囲すべてをなめ尽くす炎が、ありとあらゆる物を灰燼に化した。
シャロンの《水魔法》が溶けるように消え去り、動けない全員が紅き渦に呑まれた。
「ふん、部下に欲しいくらいだったな」
真っ黒に変化した世界の中で、銀帝は独り言ちた。
彼の固有スキル《炎竜の凱歌》の前では何人も生き残ることはできず、ただ殺風景な景色が残るだけだ。
大半の敵は、ここに到達するまでに死に至る。
降臨書を手に入れる前の準備運動としては完璧な敵たちだった。
銀帝はとても満足していた。
「そういうことなら、まだ勧誘はできるみたいですけど」
だからこそ、その余韻をぶち壊すようなひどく軽薄な声が不愉快だった。
上空から銀色の輝きを放つ人物がゆっくり舞い降りた。
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