第76話 教祖の意地
殺風景な広場。
木材が乱雑に散らばり、ぼろクズとなった屋台が寂しげに転がっている。
通りに生えていた古い樹木はことごとく切断され、真新しい白い幹をさらけ出している。
落ちた葉は真っ黒な燃えカスとなり、灰色の煙が一陣の風に流されている。
「そろそろ戦う気になったか?」
声を放ったのは和装の麗人。
白い上衣に黒い袴。黒い髪を後頭部でくくった《烈剣》サカネは、腰の刀に手をかけた姿勢で目の前の男の背中に問いかけた。
この広場はついさっきまで、ポーレット祭を大いに楽しむ人たちで盛り上がっていた。
広場に丸太の椅子をいくつも並べ、それを囲むように輪となった屋台が、客に様々な料理を提供していた。
そこに、サカネの攻撃が降り注いだ。
バトルゲーム会場から離れたプルルスに追いついたのがそこだった。
ただそれだけの理由。
サカネは涼しい顔で腰に佩いた刀を振るい、広範囲に《火魔法》を使用したのだ。
今も轟々と燃え盛る炎が、微動だにしないプルルスの行く手を阻んでいた。
「逃げるなら、さらに住民を殺すぞ。いや、貴様にとっては住民なんてどうでもいいか。困った……人質にならないな」
その言葉に、教祖プルルスがゆっくりと振り向いた。
表情は不愉快そうに歪んでいる。
「僕はこれでも愛国心にあふれる君主のつもりだけどね。住民を殺されておいて背を向けるわけにはいかないね」
「それは助かる。五柱で一番冷酷なヴァンパイアだと思っていたからな」
「サカネ……僕は降臨書を持ってないよ」
「知っている」
サカネは高い音を細く鳴らしながら、ゆっくり刀を抜いた。
銀の刃には赤い波紋が浮かんでいる。重さを確かめるように握りなおした彼女は刃を立て、その奥にある真っ赤な瞳を細める。
「だが、私は貴様が降臨書を捨てたとは信じていない。あれは、最上級のレガシーすら霞む、真祖の秘宝。どういう理由かは知らないが、たとえ真祖への興味を失ったとしても、用心深い貴様のことだ。必ず手元には置いている。私なら、絶対に他に流出させることはない」
プルルスが肩をすくめた。
「高い評価に感謝するよ。そんなに僕のことを知っているなら、隠し場所もついでに見つけたらどうだい?」
「仮に私なら、敵が想像するような場所には隠さない」
「つまりわからないってことだね」
「探す時間があるなら、貴様に聞いた方が早いということだ!」
サカネが消えた。
彼女の刀――《死屍幻幻》は剣士を最大限に活かすための能力を持っている。
《真夜》と同じく最上級のレガシーの一つだ。
その効果の一つは、一定距離の移動を無いものとする――つまり瞬間移動だ。
しかし、距離には限界がある。
長い距離を跳ぶためには著しいMPが代償となる。
「せいっ!」
プルルスの眼前に現れたサカネが刀を振るう。
紙一重で髪を触った刃。プルルスはわずかに背を逸らせて避けている。
サカネが半歩踏み込み、返す刀を肩から振り下ろす。
さくっという音はまたも間一髪の一撃だ。
プルルスの衣服に見事な太刀筋が刻まれた。
続く剣閃を嫌って、プルルスが大きく距離を取った。
「普通の魔法使いなら二度死んでるな」
「僕を殺しちゃっていいわけ? 降臨書の在処を聞くんじゃないのかい?」
「貴様なら、首を落としたところで生きている」
「それはさすがに無茶だよ……ってのは冗談で、アンデッドにするんだろ?」
「……知ってたのか」
サカネが感心したふうに眉を寄せた。
「サカネの領地って異常にアンデッドが増えてるらしいじゃないか。一つの町を丸ごとアンデッドにしたときに、君もその場にいたんだろ? 正確には、君がいたからアンデッドが生まれた」
「何も興味ないような顔をしているわりに……油断ならないやつだ」
「亜人の死体を集めてるって誰かも言ってたけど、それも関係があるのかい?」
サカネは皮肉気に口端を上げる。
「私の傑作たちがこの町にやって来る。さっき呼び出したアンデッドとは比較にならないくらい強いやつらがな」
「それが君の切り札ってわけだ」
「お前を操り人形にし、降臨書を手にいれたあとは、町を丸ごと破壊してやる。邪魔なんだよ。降臨書を手にするのは私だけでいい……さて、おしゃべりはここまでだ」
プルルスがさらに後ろに飛んだ。
「《火魔法・サリーサ》」
サカネに向かって巨大な炎の槍が何本も飛んだ。
しかし、その隙間を縫うように彼女は移動する。《死屍幻幻》の効果だ。連続で使用することで、いくつもの残像が消えては現れる。
目標を見失った火魔法が次々と着弾し、周囲は一瞬にして火の海へと変わる。
「魔法使いは、近づかれるのが怖いものな」
サカネの鋭い視線はプルルスを捕らえている。
ジグザクに移動してくる彼女の足下に突如、円陣が生まれた。
「《聖魔法・サクリファイス》」
点で当たらないなら面で狙う。基本的な戦術だが確実に当てる方法だ。
だが、サカネはまた瞬間移動を重ねてその範囲外に逃げる。
出の速い《雷魔法》を混ぜるものの、効果は薄い。
サカネは対魔法使い戦闘において、一級の能力を持っているのだ。
「僕の魔法が怖いようだね」
「挑発には乗らん。魔法使いには近づいて斬るだけだ」
「まったく、やりづらいなあ」
プルルスが何度も距離を取りつつ、厳しい顔で隙間なく魔法を放つ。
何度目かの魔法でサカネの移動速度がわずかに緩んだ。
それは、彼女がMPの消費を増やしたからだ。
「ここで長距離移動か」
プルルスの声に焦りが混じる。
サカネは一気に距離を詰める選択をしたのだ。
現れるまでには一瞬のタイムラグがある。
だが、どこだ。
サカネは現れた瞬間に《死屍幻幻》を振るうだろう。
太刀筋を見切れれば回避はできる。
ぶぅん、という何かが震える音。それは魔法陣の出現の前触れ。
プルルスは素早く背後を振り返った。
目の前に魔法陣が現れた――拳サイズのとても小さな。
「そっちは囮だ」
背後からサカネの低い声が聞こえた。
同時に、背中に衝撃が走った。
――ドンッ
プルルスが弾丸のような速度で建物に激突した。
完全に決まった一撃だった。
「さすが。決まった――と思ったがな」
破砕音を立てて、建物の残骸が吹き飛んだ。
体に付着した埃を叩きながら、紅い瞳を光らせた教祖プルルスが歩みを進める。
彼の手には、短めの捻じれた杖が握られていた。
「私の刀が通らなかった理由はそれか。背中に隠していたのか」
「僕は避けることには自信があるけど、見えないとどうしようもないからね」
プルルスはそう言いながら杖をくるくる回す。
「首を狙われたら終わってたよ」
「悪運の強いやつだ。だが、気になる……貴様は明らかに近接攻撃に慣れている」
「経験は少ないけどね」
プルルスは自嘲気味に口を開く。
「薄ぼんやりした記憶の中で、僕に斧を振り下ろす巨大な敵が囁くんだよ――『魔法に耐え、追いかけて斧を突き立てるだけならできる』ってね。僕はその時、初めて近接戦闘に恐怖したんだ」
「何を言ってるのかわからないな」
「まあ、近接攻撃の相手の想像は終わってるってこと。いつまでも苦手じゃ許されないだろ。だから――」
プルルスが両手を前に出した。
ごぼっという液体が溢れる音とともに、二つの赤黒い塊が生まれた。
それは形を変え、二本の手と二本の足を生やし、さらに顔を作った。
ゆらりと立った姿は人間そのもの。
サカネはそれを見て、ひび割れた笑みを浮かべた。
「貴様はやはり警戒に値するヴァンパイアだ。血界術のその先に、その領域に踏み込んできたか。意思無き傀儡に意思を与える暴挙。まさに真祖に近づく一歩だ」
サカネは嬉しそうに言い、『死屍幻幻』を鞘に戻した。
彼女の両手にプルルスと同じ赤黒い塊が生まれ、左半身をゆっくり覆っていく。肘にはスパイクのような棘。真っ赤な鎧のような外観。
そして、背中には自在に動く鞭のようなもの。
「貴様の人形と同じだ。私の背後の物体は、私の意思を越えて動く――これが、《血界術・命》」
「そんな大層な名前をつけるなんて、だいぶ気に入ってるね」
「見せてやろう」
サカネが高速で移動した。
剣士とは打って変わった肉弾戦だ。瞬時に空中に飛び、頭上から踵を振り下ろす。
プルルスをかばう為に割って入った人形の一人が、両腕を交差して受け止める。
そこに、意思を持ったサカネの鞭がうなりをあげた。
「知ってるかプルルス!」
その鞭をもう一人の人形が受け止める。
その瞬間を狙って、プルルスが声を張り上げる「《火魔法・サリーサ》!」
炎の矢が、サカネに突き刺さる。だが、半身をよじって、血界術で作った鎧で受け止めている。
「真祖の血界術は、異界とこの世を繋ぐことすらできたらしいぞ!」
喜悦の表情で叫んだサカネが、《死屍幻幻》を抜き放った。
それを杖でしのいだプルルスに、再び赤黒い鞭が強襲する。
「血界術とは何だと思う? 私は、これこそが真祖に近づくためのスキルではないかと考えた!」
人形の一人が、サカネに体当たりを仕掛けて距離を離す。
「MP無しに、自在に形を変えられる。これを神のスキルと言わず、どうする! ――《血界術・刃》!」
サカネの腕に瞬時に刃が出来上がった。躊躇なく振るったそれが、プルルスの人形の首を斬り飛ばす。
返り血のようなものが、周囲に舞った。
サカネはそれを歓迎するように歩を進める。
形が崩れた人形は、もう動かない。
「《血界術・爆》!」
サカネが腰をかがめて、残った人形に掌底を当てた。打ちこまれたのは、わずかな塊。
体をくの字に曲げて吹き飛んだ人形が空中で爆発。
血のような色の雨が周囲に余すところなく降り注ぐ。
そして、サカネの背後でしなった鞭が、プルルスの体を打った。
プルルスは大地にしたたかに体を打ち付け、そして空に跳ね、落ちた。
「正直、貴様がここまで《血界術》の研究を進めていたとは思っていなかった。やはり貴様は優秀だ」
「……光栄だね」
「だが、研究熱では私には敵わない。私は最強のヴァンパイアとして君臨する」
「好きに……すればいい」
「降臨書の場所を言え」
「だから、捨てたって言っただろ」
飄々と言うプルルスに、サカネが眉を寄せた。
「死ぬぞ?」
「今から殺す相手に、その脅しは通用しない」
「……ふぅ、貴様なら私の右腕にしてやってもいい。アンデッド化すると、頭が弱くなるのでな」
「生憎、僕はもう主を決めていてね」
「ありえない断り文句だ」
「本当だよ?」
サカネはプルルスの横っ腹を蹴り飛ばす。
低い呻き声を漏らして転がった。プルルスの頭上に、百を超える針が浮かび上がった。
「《血界術・百足》……最後のチャンスだ。降臨書はどこだ?」
「渡せるものは無いと言った」
その瞬間、無数の針がプルルスに舞い降りた。
大地に無数の穴が空き、彼の全身には一部の隙もなく針が刺さった。
――かのように見えた。
「ありえない」
サカネの声に困惑が混じった。
針が――ぼろぼろと崩れていく。
まるで手のひらから砂がこぼれるように。
「《血界術》が神のスキルって言ってたよね。その考えには僕も賛成なんだ」
ゆらりと、幽鬼が立ち上がった。
一層青白くなったプルルスの顔には、紅い瞳が煌々と輝いていた。
「意思を持たせた《血界術》の行きつく先――最終的にどこに辿り着くか、考えたことはあるかい?」
「ぐっ――こ、これは――」
サカネが自分の左半身を慌てたように抑えた。
「意思を持つということは、より強い意思に支配されるんじゃないかって、僕はもう一歩進んで考えた」
「う、動かない……ばかなっ、私の体が!?」
「君の流儀なら、《血界術・支配》とでも言うのかな? 君は、僕の人形の血を嫌というほど浴びたよね」
「ま……さか……」
「さすがに五柱だ。抵抗がすごいね。実験ではもう少し早く支配できるはずだったんだけど」
「私の、血を……血界術を通して支配するだと!?」
「ヴァンパイアって目を合わせると催眠状態にかけられるだろ? その根元は案外、こういうところにあるのかなって思うんだ」
プルルスが立ちつくすサカネの正面に立った。
至近距離で紅い瞳が向かい合う。
「さあ、僕が、君の《血》に何を命令すると思う?」
「やめろ……」
「僕はもうふらふらで体力もないけれど、一言くらい言えるからね」
「ま、待て、プルルス……」
「――離れて自爆しろ」
サカネが大きく目を見開いた。
まるで左半身の鎧に引きずられるように、走りだしたのだ。
歪な姿勢だった。抵抗する右半身を、力で勝る左半身が連れまわすのだ。
不気味な二人三脚を見ていること数秒――彼女の半身は轟音を上げた。
「こんなところでっっ!」
だが、爆発したサカネは生き延びた。
半身をドロドロに溶かした彼女は、片足で跳ねながら、必死に指笛を鳴らした。
上空から巨大な生物――アンデッドドラゴンが舞い降りた。
巨大な爪でサカネを拾ったドラゴンが、勢いよく上空に舞い上がる。
「まだ、生きるのか。やられた……」
プルルスが、呆気に取られて地面に倒れた。
まさかあの状態で動けるとは思わなかった。
だが、もう結果は見えている。
半身を失った以上、長時間、以前のような力はふるえないはず。
けれど千載一遇の降臨書を手に入れる好機を逃がすはずがない。
サカネにできることは、誰かに頼ることだけ。
相手は銀帝だろう。
そして――その場に向かっているのは、彼の信頼する主。
「百年くらい戦った気分だ。あとは……お願いします」
プルルスはゆっくり目を閉じた。
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