第74話 ヴァンパイアの挽歌
内側に巻く二本の角を生やしたヴァンパイアが、陽気に笑いながら自身の群青色の短髪をかき上げた。
眼前には倒れ伏したヴァンパイアの少女。丸い耳を頭頂部に二つ乗せた容姿。小さな体。ふさふさの尾が力なく垂れている。茶色い胴衣には黒く歪な穴が何ヵ所も空いている。
その背後にはプルルスの居城――白雪城が構えている。
「さすがに力の差ってのが理解できただろ? アイラン。無理にここを守る必要ないぞ」
朽廃鬼ガガントは、肩をすくめてため息をついた。
「お前がどう背伸びしたって、俺には勝てねえって。ヴァンパイア五柱が同格って言われたとしても、力の差はある。今の俺とお前みたいにな」
息も絶え絶えのアイランの指がぴくりと動く。
ガガントが「うぇー」とわざとらしく片目を眇めて顔を背ける。
「まだ動くのかよ。『女丈夫』って言われてるだけあるな。でも、お前は頑丈なだけで、めちゃくちゃ強いヴァンパイアってわけじゃない。もう諦めろ。別に降臨書にも興味ないんだろ?」
「ある……」
「え? あるのか?」
「今日……興味を持った」
アイランがぐっと腕に力を込めて上半身を起こす。揺れる膝を抑え、目に入った血を拭い、再びガガントの前に立ってみせた。
もう四度目だ。
朽廃鬼と呼ばれるガガントは、敵にMPを強制的に排出させる《廃滅した猛者》と呼ばれるテリトリーを作ることができる。レガシーである二本の角の効果だ。
そのため、ガガントと戦うとあらゆる魔法が放出とともに威力を減衰されるうえ、あがくほど行動不能に近づく負のスパイラルに陥る。
アイランはその秘密を今日初めて知った。
だが腹立たしいのは、ガガントが《廃滅した猛者》の使用を途中で止めたことだ。
ガガントは強い。
《廃滅した猛者》がなくても、並のヴァンパイアでは歯が立たない。
アイランは拳を交えた結果、『レガシーを使うべき、かなり強いヴァンパイア』から『素手で十分戦える、そこそこ強いヴァンパイア』に格下げされたのだ。
「やっぱりな。めっちゃ腹立つ」
「はあ?」
アイランは、ぼうっと映る視界の中のガガントを睨む。
最強と言われる真祖と手合わせしたとき、胸をかきむしりたくなるような感情はわき上がらなかった。到底手が届かない、山の頂を見るような気分で、いつか到達できるといいなという淡い期待を抱く程度だった。
だが、ガガントにコテンパンにやられると、これ以上ないほど熱い闘争心が目を覚ます。
最初は舐められたからだ、と思っていた。
けれど、胸の内に渦巻く気持ちと向き合うと、それだけではないことがわかる。
アイランは四度目の負けで、ようやくその正体に思い至った。
「そうだよ。こいつなら勝てるかもって思うからだ」
「お前……いかれたか?」
冷ややかなガガントの言葉に、アイランは思わず笑みをこぼす。
こんな気持ちを抱くのは久々だ。ガガントくらい強くなると、自分より上の敵を探すのも一苦労だろう。
アイランもそうだ。
ひたすらヴァンパイア五柱を目指して怒涛の勢いで駆けあがってきた。
最年少記録だと聞かされたときは、純粋に嬉しかった。
でも、頂に近づくと、周りに誰もいないことに気がついた。
同格の連中は、誰も理由をつけて戦いたがらない。戦って弱れば、虎視眈々と椅子を狙う他のヴァンパイアたちの格好の餌食になるからだ。かと言って、銀帝にケンカを売るわけでもない。
あったのは停滞だけだ。
その停滞を、実のところ、どのヴァンパイアも嫌っていた。
けれど、やるからにはトップに立たなくては意味がない。ガガントが降臨書を欲しがる理由はその辺りにあるのだろう。
そういう意味で、ガガントはまっすぐなヴァンパイアだった。
「ガガントって私と似てる」
「はぁ? おい、ほんとに大丈夫か? 俺は立ち上がるなら容赦しねえぞ」
アイランはがりっと自分の腕を噛んだ。
途端、ガガントの顔に驚きが浮かぶ。
「奥の手まで使うか。プルルスのためにそこまでするか?」
「これは、私のプライドの為」
にやっと笑ったアイランは自分の血をすする。体から灰色の瘴気が噴出した。
己の血を一時的なエネルギー源とする、彼女のみが使えるオリジナルスキル。
無数の傷が瞬く間に治癒し、瞳が煌々と紅さを増していく。
アイランは大地を蹴った。
彼女は小細工ができない。小手先の技を鍛えた経験がないから。
ひたすら己を強化し、爆発的な力で殴るだけ。
「よくわからねえが、意気込みだけは買ってやる」
対するガガントはどう猛に笑った。
彼もまた小細工が苦手なヴァンパイアだ。いつか来る格上との戦いのために、気が進まないレガシーの研究を進め、新たなスキルの発現に苦心しているが、それでも望むのは力と力のぶつかり合いだ。
アイランの移動を難なく目で追うガガントは、恐れるものなく拳を振るう。
どがん、と鳴る鈍い音。
アイランが己の腹部でわざと受け止めた。活性化した肉体は日常の頑丈さを数倍に跳ね上げる。そして、返す刀は必殺の膝だ。
ガガントの頭部を両手で掴み、渾身の力で蹴り上げる。
しかし、笑う鬼はそれを額で難なく受け止める。
短く唾を吐き、アイランの首を掴み、そのまま振り回して大地に叩きつけようとする。
「――っ」
アイランがその腕に両足を絡めた。さらに腋に腕を挟み、力任せに逆方向に曲げようと試みる。
だが、動かない。
「効かねえな」
ガガントはぐんと腕を曲げる。それだけでアイランの腕の拘束がほどける。
とんと空中で跳んだ彼女は地面に着地し、くやしそうに唇を曲げる。
「反応はいいが無駄な技だったな。俺なら腕一本もらってるぜ」
ガガントはぐるぐると腕を回して、無事をアピールする。
そして、お返しとばかりにどんと大地を蹴った。アイランの体が反応できないほどの速度だった。
まだガガントが全力ではなかったのだと痛感する。
アイランの腹部に大きな拳がめり込んだ。反射的に後ろに跳んだものの、威力はさっきまでとは比較にならない。
何とか空中で体勢を整え、息を吸う。
しかし、いつの間にかガガントが肉薄している。
硬直したアイランに見せつけるようにガガントが口端をあげる。
「呼吸は隙を作るぞ」
アイランは頬に衝撃を受ける。ガガントが拳を振ったのだ。首がもがれたと錯覚するほどの力だった。
吹っ飛ぶ彼女の上から、ガガントが足を伸ばして降ってきた。
「ぐぶっ――」
重い一撃だった。
アイランがバク転をするように起き上がり、距離を取る。呆れるほど膝が揺れていた。
たった三発。奥の手を使ってもこれだけの差があるのだ。
ダメージの大きさがスキルの残り時間の無さを伝えてくる。
「まだ足りないって顔だな」
「当然。諦め悪いから」
「なら、諦められるまでぶん殴ってやるか」
ガガントはそう言って全身に力を貯める。
次で終わらせる――そんな意図が透けて見えた。
アイランは代わりに集中力を高める。
どちらにしろ長くはない。力で競っても望みは薄い。
それなら――
「いくぞ」
ガガントが消えた。
いや、そう見えただけだ。アイランは本当に消える速度の移動を、ついさっき、真祖と手合わせして見てきた。
同格の相手の攻撃を見切れないはずがない。
目が追いついた。
アイランの左側だ。ガガントが急に速度を変えて突進した。極限まで高めた集中力の下、太い腕が、強力な拳が伸びてくる。
頭の中でガチンと何かがかみ合った音がした。
アイランはクロスカウンターの要領で小さな拳と細い腕を全力で合わせた。
タイミングは完ぺきだった。速度も一瞬、ガガントを越えた。
確かに彼女の拳は、ガガントの頬を打ち抜いた。
しかし――
吹っ飛んだのは、アイランの方だった。
***
「びっくりしたぜ」
息も絶え絶えのアイランの真上で、ガガントが顔を崩してにかっと笑っていた。
「やるじゃねえの。もう100年くらい戦ったらいい勝負になったかもな」
アイランの力は弱すぎたのだ。
巨大な力の塊の前では、小さな力はいくらタイミングを合わせても勝てない。
力をいなす技術を持たない彼女は、全力で戦って負けた気分だった。
ガガントの顔がゆっくりと厳しいものへと変わっていく。
「だが、負けは負け。五柱のルールとして命は貰うぜ」
「うん。ヴァンパイアだし、当然。私の血をガガントの中に」
アイランの体がぐっと持ち上げられる。
ガガントは間近でじっと表情を見つめ、しばらくして嘆息する。
そして、口を開き牙を立てた。彼女の細い首に硬質なものが触れたと思った。
が――アイランの体がそっと地面に戻される。
「どうして?」
「血を吸うのはあとにしろ、っていう年増の怒りがびりびり伝わってきてな。落ち着いて吸血してる場合じゃないってやつだ」
ガガントはすでに別の方向を睨んでいた。
近づいてくるのはエルフのヴァンパイアだ。
歩く度にサラサラと流れる金髪が魅惑的に踊り、伸びた背筋は彼女の強さを物語るように凛として淀みない。
ヴァンパイア五柱、最古参のエルゼベートであり、今はエリザと名乗る一人のヴァンパイアだった。
アイランは首だけ動かして「姉さま」と口にした。
「ガガントを相手に、よく頑張ったわね」
声に温かさがあり、アイランは不覚にも目頭が熱くなった。
いつものあしらうようなエリザとは違い、心の底から認めてくれたように感じたのだ。
「ここからは――姉である私が代わるわ」
「姉さま……」
エリザがほほ笑み、すうっと視線をガガントに向けた。
「聞こえたかしら?」
「お前が……俺の相手をするだと?」
「そう言わなかった?」
「本当に?」
「怖いの?」
「バカを言え。だが、エルゼベート、お前は、いるかいないかもわからん真祖にぶるって五柱を降りるような臆病者だ。俺の相手が……本当に務まるのか?」
ガガントは今にも跳びかからんとするような姿勢で、両の瞳を大きく広げて威嚇する。
エリザはふっと肩の力を抜くように笑みを浮かべた。
「私はガガントの言う通り確かに臆病者だけど……真祖以外に臆病だったことは――生まれてから一度もないわ」
真夜姫は白い歯を見せてそう言い、腰の《真夜》を無駄のない動きで抜刀した。
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