第60話 お外なんてっ!

 白雪城、入口門前。

 非常に端整な顔立ちの女性が二人、軽鎧に身を包み、瞳を紅く輝かせている。

 間違いなくヴァンパイアだ。

 武器は槍斧とも呼ばれるハルバード。

 ポーレットの前に二本のハルバードががしゃんと音を立ててクロスする。

 正直に言って、ちびりそうだった。


「プルルスいる?」


 ポーレットと手を繋ぐリリが、通りを歩く知り合いに声をかけるかのような気軽さで尋ねた。自分よりもずっと小さな子供に手を引かれていると思うと情けない。

 しかし、彼女ののどは硬直したように動かないし、足がふわふわしていて大地を踏みしめている感覚がなく、手を引かれなければまともに歩けそうにない。


「ポーレット様も、胸を張ってください」


 背後からメイブルンがこっそり耳打ちしてきた。

 そんなことはわかってる――と、怒鳴りたい気持ちが、一瞬胸に去来して、瞬時に通り去った。なにせ、ここは仇敵の居城。

 因縁のヴァンパイアの根城なのだ。緊張するなという方が無理だ。


「大丈夫ですよ。先日ここに来た宰相も、ちゃんと戻ってきたでしょう。別に獲って喰われるわけではないようですし」


 そんな思いを知ってか知らずか、メイブルンが言葉を続けた。

 確かに、「上納金を無くしてほしい」と伝えるように送った宰相は無事に帰ってきた。「教祖様は話を聞いてくれました」と聞かされた時には耳を疑ったが。


「し、しし、しかし……」


 歯の根が合わない。なんて、か細い声だ。

 ぐいっと手を強く引かれた。いつの間にかリリの話は終わったらしい。

 幼女は、あどけない顔で振り向き「ちょうど、暇してるって」と事も無げに言う。


「国のトップ同士、ちょうど話ができそうで良かった」

「まままま、ま、待って」


 懇願の声は無視された。いや、たぶん聞こえていないのだ。

 なにせ、ほとんど声が出ない。自分に聞こえたのは幻聴だ。

 おろおろしている間にも、ものすごく高い天井の通路を抜け、二列に並んだ美姫メイドの歓迎を受け、圧巻の内装に言葉を失っているうちに、大きな両開きの扉の前に出た。


「随分と明るい雰囲気に変わりましたね」


 メイブルンがほうっと感心するように言った。彼は以前の朱天城の時代を知っているので、比較しているのだろう。

 もちろんポーレットはまったく知らない話だ。


「以前の城は、少々過激でしたから」

「まあね……趣味悪かったし」


 メイブルンとリリが、顔を見合わせて苦笑する。

 ヴァンパイアの趣味の悪い城――豊かな想像力が、次から次へと恐怖の映像を頭に送り込んで来て気を失いそうだ。

 だいたい、彼女は教祖プルルスにも嗜虐翁ディアッチにも会ったことがない。

 訓練は城内でしていたし、過保護な親の教育で、ほとんど部屋の中にいたのだ。


「ねえ、そっちの子、大丈夫?」

「ひぅっ!?」


 鈴を転がすような透き通った声がかかって、ポーレットは全身を硬直させた。

 いつの間にか、目の前に絶世の美女が立っていた。

 真っ黒な水着のような衣装に身を包んだ豊かな体躯。尖った耳に青い瞳。ウェーブのかかった髪は金色で精緻な彫刻のようだ。背には蝙蝠のような羽。腰には自在に動く細い尾。

 噂に聞くサキュバス参謀で、白雪城の幹部だ。

 ポーレットの喉がさらに干上がっていく。緊張で動悸がひどく、体は金縛りにあったように重い。


「あっ、ウーバもいたんだ」

「そっちの子、誰なの? 顔色悪いけど」

「ポーレットさんだよ」

「ポーレット? アメリ・ル・ポーレット? 国王じゃない。なんて人連れてくるのよ。付き人を見て、もしやとは思ったけど」

「色々あって、一度プルルスと直接話をした方がいいかなって思って」

「だとしても、一応、準備とかあるのよ。また、無計画にこういう無茶をしちゃうんだから。せめて私に相談してからにしてよね」

「ご……ごめんなさい」


 傍若無人な振る舞いをしていたリリが、ウーバに怒られてしおしおと小さくなった。

 アイスクリームを食べていた時とは全然違う姿だ。

 もしかして、このサキュバスはリリより立場が上――そう考えたポーレットはさらに冷や汗を流した。

 時折自分に向くウーバの視線が品定めをしているように見える。

 つまり、この人のお眼鏡にかなわなければ、絶望的ということだ。


「とりあえず、そっちの部屋に入ってちょうだい」


 ウーバが通路に面した扉の一つを指さした。

 なんの変哲もない木製の扉だ。

 これは教祖プルルスに会う前の試験かもしれない。


「さあ、どうぞ」


 ウーバが扉を開けて全員を誘う。

 部屋に入る瞬間にちらりと後ろを盗み見た。

 何かリリに耳打ちしている。すると、リリはさらに恐縮して身を縮こまらせた。

 下がった視線と、ハの字に曲がる眉。

 ポーレットの耳がわずかに聞きとれた言葉は――

『こんな……子………………悪い……殺され…………』


「――っ」


 早鐘のように心臓が鳴る。

 ポーレットは、必死に頭を働かせ、生き延びる為の行動を考えた。

 味方はメイブルンしかいない。二人で生きて帰る為にはどうすれば良いのか。

 沸騰するほど額が熱くなったとき――


「大したものじゃないけれど」


 テーブルについていた彼女の前に、白磁のカップが差し出された。

 中には茶色く透明の液体。湯気が昇っている。受け皿にはレモンの薄切り。

 さらに、もう一枚の皿が並んだ。

 どこかで見た顔のイラストが入ったカステラが二切れ。


「少し、リラックスしてから、会いにいきましょう。そんなに緊張していたら、まともに話もできないでしょうから。プルルス様も、本当に悪い人じゃないから安心して」

「……へ?」

「ごめんなさいね、こんな重大な話を。どうせリリに、近くの店に野菜を買いに行こうみたいな気軽さで連れて来られたんでしょ? わかるわ」

「え……ええ」

「そういうの多いのよ」


 ウーバがポーレットに、にこりと微笑んでから、ジトっとした目をリリに向けた。


「少しは気を遣ってあげなさい。教祖プルルスと聞いて、ステップ踏んで飛んでくるのはあなたくらいなのよ。まして、人間の王を気軽に連れてくるものじゃありません」

「ごめんなさい……お母さん……」

「誰がお母さんよ。全然反省してないなら、シャロンを返してもらうから」

「あぁっ、嘘です、嘘! めっちゃ反省しました!」

「その反省は、三日もつかしらねぇ」

「ほ、ほんとに! 海より深く反省してます!」


 リリがテーブルに頭をこすりつけんばかりに謝罪する。

 ポーレットはわけがわからず、首を回してメイブルンに目で尋ねた。

 ――どういうこと? と。

 彼は「色々あるのでしょう」と苦笑を浮かべるだけだった。

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