第36話 砂糖を求めて300階?

「本当に、落ちるのですね」

「これ大丈夫なの?」

「ウィミュも怖い……」

「リリ様は落ち着いていますね」

「ん? まあね」


 私は涼しい顔で答えた。エレベーターって慣れてるし。

 それとは対照的に、三人の表情は強張っている。

 エレベーターを知らない者にとっては、閉じ込められた箱が下に落ちているように感じるだろう。

 密閉された空間に四人。

 音もほとんど聞こえず、機械的なモーター音もしない。ただ、速度がなかなか速くて降下していることがわかる。

 それにしても変わったダンジョンだ。『浮世の迷層』とは、エレベーターに乗って、まず最下層に落ちるらしい。

 このゲームで最下層と言えば、大抵は魔王とか堕天使とかを名乗る凶悪なモンスターが控えている。

 けれど、ギルドで耳にした情報ではそういうモンスターはいないという。

 誰かが倒したのだろうか。

 エレベーターの内部には分度器を大きくしたような板が天井に張りついていて、その針が右から、左に触れていく。たぶん何階を降りていくのかを示している。

 途中下車は不可能で、端の目盛りは――三百。

 呆れるほど長いダンジョンだ。

 地下三百階もあるダンジョンなんて、クソゲー確定。ゲームで出てこなくて良かった。

 百時間プレイしてもクリアできないと思う。


「もうすぐ着きますわ……」


 ミャンが自分の両拳を開き、閉じた。軽く肩を回し、頬を叩く。

 気合を入れているらしい。

 最下層に落ち、その後、頂上を目指すダンジョン。

 一応、二十階区切りでエレベーターに乗って脱出することができるので、リタイアはできる。

 でも、そう簡単に行かない理由があるから上位ダンジョンなのだけど。

 チンっと古めかしいベルのような音が鳴って、エレベータが止まった。

 油切れしたゼンマイがきしむように音を立て、両扉がゆっくりと開いた。


「うじゃうじゃいますね」

「よっし、いきますわよ!」

「風魔法、いくよ!」


 目の前には、大型の黒いコウモリが群れていた。定まらない赤黒い瞳があらぬ方向を見ているようだ。

 ウィミュが杖の先を群れの中央に向けた。ごおっという音とともに、不可視の風の塊が飛んでいった。

 間髪容れず、飛行していたコウモリの群れが散った。

 ホーンアリゲーターとは比較にならない速度。しかも、見えない風をかわすとは。

 アテルが瞳を輝かせた。

 血界術を使用し、拳にガントレットを作る。さらに動きやすい鎧もセット。どうやら危険度を認めて本気らしい。

 アテルには劣るものの、ミャンもヴァンパイアの力を使って突進する。

 こうして私たちは、ダンジョンの入り口に飛び込んだ。



 ***



「砂糖の結晶ってどこにあるんですの!? この血の池みたいなの、いい加減、飽きましたわ!」

「最下層から100階上がったところって聞いてる」アテルが冷静に言った。

「100階!? 今、何階ですの!?」

「90階を越えたところです。ところで、リリ様、結構、敵が強くなってきました。ガードする敵もでてきて、一撃で倒せません」

「ウィミュの魔法も、全然効いてない……」

「ウィミュはそろそろ物理攻撃に戻したら?」


 私以外の三人は汗びっしょりだ。

 階段でもあるのかと思っていたら、穴のあいた天井に飛び込んで、上にどんどん昇っていくシステムらしい。

 ジャンプ力がないメンバーや飛ぶ手段がないパーティはどうするのだろう。

 途中、こと切れた冒険者の人や、遺品と思しき物が転がっている階層も多かった。

 一階層ごとが無茶苦茶広いうえ、敵が360度、あらゆる方向からやってくる。

 嫌なダンジョン。

 上位冒険者――つまりレベル30以上の冒険者に推奨されるダンジョンなだけはある。

 ヴァンパイアと獣人のパーティでも、レベルは20前半。厳しいか。

 幸い、エレベーターの乗り口はセーフティハウスのようで、敵に襲われない。途中、乗り口付近で装備を整えているパーティも見かけた。ここまで来るのは一苦労だ。


「次、乗り口を見つけたら、一度帰る?」

「まだ目的のものを発見していませんが?」

「そうよ! クロスフォー初の挑戦なのよ! 簡単にあきらめるわけないでしょ!」


 ミャンが吠える。


「でも、依頼はアリゲーターの討伐だけだよ?」

「ウィミュの言う通りね。私も別に一回目で手に入るとは思ってないし。アテルも、そろそろ限界でしょ?」

「まだいけます。あっ、やばい! リリ様、あのマンティコア、お願いします!」

「よしっ、任せて」


 物陰からライオンの体に人間の頭を持つ、人喰いのモンスターが現れた。

 パワーも耐久力も並外れていて、さっき出てきた大型の個体に、パーティが一瞬で壊滅しかけたのだ。

 ミャンが前足で蹴飛ばされ、間に入ったアテルが噛みつかれ、ウィミュの近接戦闘で押し戻したと思ったら、雷魔法を纏った突進をくらって危機に陥った。

 マンティコアは見た目以上に体力がある。

 降臨書に掲載されるモンスターで☆4。レベル30後半だ。ただ、この世界では個体差が大きそうなので、そこまで高いマンティコアは少ないだろう。


「いくよ」


 弓に矢をつがえる。

 実は、矢が底を尽きかけている。二本に一本は外れるので、消費が激しいのだ。

 かくなる上は、弓で殴るしかないだろう。

 ――トン

 今回は命中した。

 マンティコアの眉間の位置だ。貫通して穴が開いた。

 しかし、体が緑色の光に包まれた。回復魔法だ。またか。別の個体がいるね。

 次の矢を取り出す。

 その時だ――


「リリさん、囲まれてますわ!」

「えっ?」


 回復しようとするマンティコアをしり目に、私たち四人は足を止めた。

 だだっ広いビルの部屋の中、体育館ほどもあろう空間には、見るからに凶暴なマンティコアたちが群れていた。

 彼らに比べると、私が撃ったマンティコアは、かなり体が小さい。


「どうしますの?」


 ミャンが小声で訊いた。群れを刺激しないようにしたのだろう。

 ウィミュがごくりと喉を鳴らす。

 アテルが視線を逸らさず、「さっきの乗り口まで戻りましょう」と提案した。


「群れの頭を撃ってみるから、失敗したら逃げよっか」


 落ち着いた私の声に、全員が頷いた。

 慎重に矢をつがえ、そろりそろりと弦を引いて溜めた。

 弓術スキルはレベルアップしていない。でも、前とは雲泥の差で弓が使えるようになった。

 発射。

 ――ドン。

 重い重低音が響き渡った。

 マンティコアの群れが、慌てたように一点を見た。

 上から睥睨していた最も体の大きい個体が、上半身を失って階下に落ちていった。


「やった、当たった!」

「いいえ、当たったのは私の矢よ。あなたの矢は、左奥に飛んでいったわ」


 威厳と自信に満ちた、大人の女性の声が凛と響いた。

 私たちの後方から誰かが歩いてきた。にび色の大きなローブに全身を包んだ女性だ。

 隠していてもプロポーションの良さが、にじみ出ていた。

 彼女は微笑を浮かべ、体の倍ほどもある弓を優雅に構え、一度に――十本の矢をつがえた。

 片手で引くのは一本で、残りの九本は宙に浮いた状態だ。

 彼女が手を離すと、最初の一本に続いて、残りの矢が放たれた。それらは思い思いに曲線を描きながら、次々と大きな個体を狙い撃ちするかのように追撃する。

 全矢命中。

 すごい弓の腕前だ。極めたスキルはすごい。


「こんにちは。小さなヴァンパイアのみなさんとウサギ族のお嬢さん」


 女性の笑みはマンティコアの動きを金縛りにあったように止めた。

 悠々と歩く姿は、見惚れるほど美しい。


「あの、どなたですか?」


 私の問いに、美貌を欲しいままにしている女性はフードを取った。

 見事な金髪。長い耳と彫刻のように精緻な顔。そして紅い瞳――エルフのヴァンパイアだった。珍しい。


「初めまして、私は……そうね……エリザ。そう呼んで。それにしても、あなたの銀髪……とても綺麗ね」

「あ、どうも。リリです」


 私はエリザが纏う大人の空気に負けて、ぺこっと頭を下げた。

 こんなところで弓の名手に会えるとは――

 この人に先生になってもらえたらなぁ。

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