第17話 カステラは美味なり


「すごいじゃないか、初日に全部売ってくるとは」

「カゴも一緒に売っちゃったけどね」

「それでも、金貨10枚は多すぎる。店の果物を全部買えるくらいだ。どんな魔法を使ったんだ?」

「そんな便利な魔法ないよ。大柄なお客さんが全部買ってくれたの」

「ほお……どんなやつだ?」


 ワルマーは興味津々といった顔で尋ねてくる。

 聞かない方がいいと思うけれど。

 この様子からすると、本当にブルーベリーが全部売れたのは珍しいらしい。


「ディアッチ」

「……ん? え? なんて?」

「だからディアッチ」


 ワルマーが絶句した。

 当然だと思う。以前というのか生前というのか迷うけれど、とにかく私と出会う前のディアッチを知っていると、印象が違いすぎると思う。


「あの……嗜虐翁の……ディアッチ?」

「そうそれ。牛みたいなモンスター。子供は家で寝ていろ、とか言って、カゴごと買ってくれたの」

「ばかな……どんな心変わりだ」


 目の前で大地震でも見たような絶望感が、顔に浮かんだ。

 とてもありえない、という表情のワルマーは自問を繰り返す。

 首を折るのが趣味なんだぞ――

 逃がして、いたぶるのが日課の――

 なんて物騒な独り言が聞こえた。

 その背後から、アテルが、ぽんと手を置いた。


「ほんとなのです。ディアッチは、リリ様の厳しい指導で生まれ変わったのです」

「指導!? 変わりすぎだろ!? 子供にやさしいディアッチなんて、血を吸わないヴァンパイアみたいなものだぞ」


 おっ、うまいこと言うね。

 でも、その変わり者も目の前にいる。

 私もアテルも赤い飲料で代用できる。

 これを伝えると混乱するだろうから今は言わないけれど。


「事実です。ワルマーさん、リリ様の指導は神のお告げも同然ですから」

「指導って、指導で変わるか? あの狂牛が?」


 アテルは、「もちろん」とにっこり笑った。

 説明しても難しいので、確かにアテルには「ディアッチを指導して、悔い改めてもらった」と伝えた。

 無茶苦茶だけど、降臨書がアテルとウィミュに見えなかったから仕方ないのだ。

 降臨書を読めるのも触れるのも私だけだった。

 同じモンスターを呼び出せるなんて、誰も信じないだろう。

 本当は降臨書をアテルに見せて、プルルスと外観が同じモンスターを教えてもらいたかったのに。


「まあ、とにかくディアッチは、今は悪いやつじゃないってこと。でも、売り子をしていると、プルルスの部下や危ないシスターと出会うから、別の仕事がいいなあって思ってる」

「危ないシスター?」

「それも……まあ、置いておくとして、他にできそうな仕事ある?」

「あとは配達くらいだ」

「それいい! 私、配達するよ。あっ、でも場所がわからないか」

「そこら辺に聞きながら行けばいいさ。でも、重い荷物もあるぞ? 大丈夫か?」

「その点は任せて」


 私は店の端に置いてある、ミカン箱を持ち上げた。


「すごいな……って、片手で!?」


 箱の底に小さな手のひらを当てて頭の上まで持ちあげる。

 たぶん、指二本でもできるけど、これくらいにしておこう。


「腕力、OK!」

「腕力とか、そういうレベルを超えていると思うが……まあ、よくわかった。じゃあ、明日からリリは配達だな。おっ、そういえば、これ今日の給料な。だいぶ稼いでくれたから、色つけたぞ」


 ワルマーが一枚の硬貨をさし出した。

 金色のものだ。

 これは――


「金貨!?」

「おう。俺も滅多に見ない。本当は全部渡してやりたいが、うちの店も結構つらくてな。一枚だけだ」

「いいよ、いいよ! やった! 金貨キター!」

「やりましたね、リリ様! 私たちより多いですよ!」

「そうなの?」

「私は銅貨15枚。ウィミュは銅貨20枚です。これでも多いのですが」

「え……金貨って、銅貨でいうと何枚くらい?」

「ざっと900枚くらいです」

「900枚!? やばいやばい。ちょっと待ってよ……ブルーベリーが1粒、鉄銭1枚だから……」

「鉄銭なら6200枚くらいです」


 私はぽかんと口をあけた。

 一晩でとんでもないお金持ちになってしまった。 

 ブルーベリーを6200粒も買える富豪が誕生したのだ。

 ディアッチ、ありがとう! とってもいい人!


「なんてこと……これは……これは……とうとう念願の……」

「カステラですね」

「それよ! アテル、ウィミュ、二人ともついてきなさい! おごるから! 今日は倒れるまで食べるよ」

「やったぁ! ウィミュは初めて食べる!」

「私も久しぶりです」


 私たちは、ワルマーに素早く挨拶し、カステラ店へ急いだ。

 ワルマーが微笑ましそうに笑っていたので、ぶんぶん手を振っておいた。

 そして、到着した私たちはガラス張りの棚に陳列されているカステラの前で大いに悩んだ。

 本当に高いのだ。


「プレーン一本で銀貨3枚……3本買ったら9枚……こ、この世界は厳しい……」

「リリ様、別に私たちは一カットでもいいですよ」

「だめ。今日はお礼もあるから、全員に一本買う。二人ともプレーンとイチゴ、どっちがいい?」


 ガラスに張りついたままのウィミュが「イチゴ」と答えた。

 店主の恰幅の良いおじさんがおもしろそうに見ている。


「私はプレーンでお願いします」

「じゃあ、私も。プレーン2本、イチゴ1本」

「ありがとうございます。銀貨9枚と銅貨10枚ですね」


 丁寧に紙袋に包まれたカステラ3本を、私たちは赤子を抱くようにして帰路についた。

 鉄銭1枚を100円とすると、18万円の大金を使ったことになる――あとで知って、ちょっと後悔したことは胸の奥にしまっておいた。

 そういうことは食べるときに不要な情報なのだ。


 ***


「甘い、うまい、おいしい!」

「本当に。さすが専門店。丸かぶりとは贅沢ですね。私もカット以外は初めてです」

「甘いねー。こんなにふわふわなのに、甘いのが不思議」


 夢のようなカステラの時間。

 私たちは恵方巻を食べるように、あむあむとカステラを食した。

 時に味わうように。時に飲むかのように緩急をつけて。

 表情は、ずっと、ゆるみっぱなしだった。

 けれど、楽しい時間はすぐに終わりを告げる。

 甘いものならなおさらだ。


「ここで、出そう。もう温存しなくていいし」

「リリ様?」


 私はアイテムボックスからミカンジュースを取り出した。

 大事なレガシーだけど、この幸せな時間に彩りを添えるためなら惜しくない。

 三本あけて、コップに注ぐ。

 透明感のある橙色のジュース。


「甘い、おいしい!」

「すごくすっきりした甘味ですね! これは美味しい!」

「ウィミュ、これ好き」


 この世界にミカンジュースもあるだろう。

 カステラがあるのだから間違いないはず。

 二種類の甘味は至福だった。

 金貨――すばらしい。


「さあ、明日からもっと稼ぐぞー」

「おぉっ!」

「リリ様! 明日はもっと早起きしましょう! 私、髪を編みます!」

「……それはダメ」


 私たちはその晩、とてもぐっすり眠った。

 甘いお菓子に囲まれる夢を見られたからだ。


 ***


 次の日。

 私は配達を始めた。

 最初はワルマーに簡単な地図をもらって近場のエリアへ。

 帰りにその周辺を回って地理の確認を。

 体力のある私は、荷物を運んだくらいじゃ疲れない。

 その日のうちに何度も往復していた私は、途中で、あることに気づいた。


 ――アイテムボックスに入れて運んだらいいのでは、と。


 ワルマーは「そんな夢のようなかばんがあるか――ってまじなのか!?」と心底びっくりしていた。

 あの人は反応が大げさなので見ていて楽しい。

 アイテムボックスは相当珍しいらしい。

 でも、そうすると配達に見えないし、アテルやウィミュに比べてズルをしている気になるので、やっぱり手で運んでいた。

 そして、とある場所に運んだときだ。


「危ないっ! よけろ!」


 男性の慌てた声とともに、大きくずんぐりした人間がこっちに飛んできた。

 すばやく箱を片手に持ち替え、反対の手でその人間を打ち払うと、ぱしんと音がして別方向に軌道を変えた。

 そして、壁にぶち当たり、がくりとその場に落ちた。


「あら、ごめんなさい。まさか女の子がいるなんて思わなくて――って、あなた、リリさんじゃない」

「……ミャン?」

「そう。ミャン=エナトミ=ペルシアンよ。どうしてここに?」

「果物の配達に来たの」

「そうだったの。でも……、もう、ここには食べられる人はいないわ。頼んだ人も誰かわからない」


 ミャンが不敵な笑みを浮かべて視線を周囲に巡らせる。

 確かに室内にはほとんど人が立っていなかった。

 誰もが似たような状態で、床に突っ伏している。

 端の方に、「強すぎだろ」と悔しそうに唇を噛む男がいた。

 私はくるっと回って玄関を出た。

 てっきり個人の家かと思っていたけど、なんとか道場という看板が出ていた。


「ミャンがこれをやったの?」


 私は少々驚きながら言った。

 対して、ミャンはすまして答えた。


「もちろん。名を響かせたら、教祖プルルスに会えるかもしれないでしょ?」

「ああ、なるほど」

「言っておくけど、卑怯な手は何も使ってませんわ。正々堂々、看板をかけて勝負したのよ」


 前に私が提案したことをそのまま実行しているのね。

 これは予想外。

 ちらりとミャンを観察する。

 小柄な体のどこにそんなパワーがあるのだろう。

 別の国から、ここまで一人でやってくるだけの力を、元々持っていたということか。


「リリさんも、なかなかやるわね。さっきの、いなし技は誰に教えてもらったのかしら? 大きな男をその体で吹き飛ばすなんて、なかなかできないわ」


 いなし技――ああ、ちょっと叩いたことを技だと思っているのか。

 ミャンはくせのある赤茶の毛に、手櫛を当てて、キザっぽく流し目を送ってくる。


「さすが、私の家来」

「断ったけど」

「冗談よ。それより、リリさんの目から見てどう?」

「どう、とは」

「そろそろ、教祖プルルスに興味を持ってもらえそうかしら」

「さあ……それは何とも。でも、普通より強いのはわかった」


 ミャンが小さなため息をついた。

 腕組みをし、思い出すように目を細めた。


「そうなのよね。でも強いだけじゃダメみたい……一度、門まで行ったんだけど、会うどころか、全然相手にしてもらえなかった。どこかに知り合いがいたらいいのだけど……」

「知り合いかぁ……」


 ちらりと、よく知ったモンスターの姿が頭をよぎった。

 知り合いと呼ぶには関係が濃い気もするけれど。

 仮に、ミャンを紹介したら――いや、危険だろうな。


「リリさん!」

「はいっ!?」


 ミャンが大股で近寄ってきた。

 危険を感じて持っていた果物の箱をさっと床に置いた。何より大事な荷物だ。

 私の肩が掴まれた。

 ひどく揺れた。


「誰かいるのね!? 知り合いが! あの城に!」

「い、いないよー、私、プルルス知らないしー」

「嘘よ、嘘よ! さっき、あなた、誰か思い浮かべたでしょ! 私にはわかるわ。元王女を甘く見ないで。視線を読むのは得意なんだから。教祖プルルスを知らなくても、家来ならいるんでしょ! そうなのね?」


 ミャンがぐいぐい迫る。

 アーモンド形の瞳は吊り上がり、私の瞳の奥を覗き込むように顔が近づいた。


「言いなさい。いえ、教えてちょうだい。本当にお願いだから」

「あー、でも、知り合いっていうか、ちょっと違って」

「関係はどうでもいいの。何か、きっかけがあれば、それでいいの」

「き、危険だと思うし」

「そんなことはとっくにわかってるわ。ね、お願いしますわ」


 ミャンがぱっと肩を離した。

 少し寂しそうに視線を落とし、うつむき加減に首を曲げて、ぼそりと言った。


「今度、シュークリームをおごるわ」

「シュークリーム!?」

「私、美味しいお店を見つけたの。シュークリーム好きの私が、太鼓判を押す店よ。一緒に行きましょう」

「う、うん……」


 私は壊れたロボットのようにうなずいていた。

 それは巧妙な罠だったのだ。

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