第10話 もう限界です!
それはアテルの何気ない一言から始まった。
「たまには、カステラが食べたいですねー」
私の首が音を立てて高速で曲がった。
同志よ。こんなところにいるなんて。
しかもカステラとくるとは。
笑顔を固定し、にじり寄った私。
アテルが「あれ? リリさ……ま?」と引いている。
いけない。せっかくのチャンスなのに。逃がすものか。
「もう……アテルはしょうがないなぁ。甘いものがないとダメな子とは知らなかった」
「い、いえ、たまに食べられたらうれしいなあと思っただけで……忘れてください」
「いいの、いいの、遠慮しなくて。友達なんだしそういう悩みは、どんどん出していこう。とりあえずアテルはカステラが食べたい。オッケー」
とりあえず一人決定。
何か言いたそうなアテルは視線で抑えた。
さらに洞窟奥で木の実をすりつぶしてジュースを作っているウィミュの方をうかがう。
「ウィミュもカステラ、食べたい? 食べたい……よね?」
「カステラってなに?」
「知らない? 甘くてふわふわの……おいしいやつ」
「知らなーい」
「そうなんだぁ。いや……それはダメ。一度は食べないと生きている価値半減ね」
「そんな危険な食べ物でしたか? カステラって……」
アテルが呆れた顔で突っ込んでくるが、今はスルーだ。
私は立ち上がって拳を天井に向けて振り上げた。
「よっし、二人の為にみんなでカステラを食べに行こう!」
「おぉっ!」
ウィミュが見様見真似で同じポーズをとった。
しかし、アテルがおろおろとさまよう。
「そんな、無理ですよ……カステラなんて、大きい町にしか売ってないです」
「大きい町に行くぞぉ!」
「おぉっ!」
「よし、決定」
「ちょっと待って、リリ様! そんな簡単に決めちゃダメですって!」
必死に止めるアテルにジト目を向けた。
この子はどうあっても『様』付けをやめられないらしい。
これが眷属の性なんだろうか。
「この辺の大きな町って、プルルスのお膝元ですよ? ばれたら絶対まずいです」
「じゃあ、ばれなければいいね」
アテルの口元がひくっと動く。
「変装しよう」
「変装しよぉぉっ! やるぞぉ! ウィミュは魔法使いになる! 杖持ってみたーい」
「へ、変装って、そう簡単にごまかせないですよ!? 町中にはプルルスの部下が歩いてますし、問題を起こせば、すぐに人間から朱天城にも報告がいきます」
「大丈夫、大丈夫。まさか、プルルスだってこっちから来るなんて思ってないし」
「それはそうでしょうけど、危険……ありますよ。たぶん。リリ様が思っている以上に面倒な手続きとか」
「なんとかなるって」
「リリ様……もしかして――カステラ、食べたいんですか?」
「うえっ――そ、そんなことないし。私、甘党じゃないし」
「目が泳いでますけど」
「生まれつきだし」
「生まれつきで泳ぐ目がありますか。はあ……わかりました。とりあえず行くことは決定なんですね?」
「うん」
アテルがかわいそうな目を向ける。
大変失礼な話だ。食べたいと言ったのはアテルなのに。
「そうと決まれば、変装道具の用意ね」
「ウィミュは太い木の枝を探してくる!」
「気をつけてね。って木の枝、どうするの?」
「削って杖にする! 魔法使いといえば、杖でしょ」
「服は?」
「服は何でもいいから、これで」
ウィミュが着ている服を持ち上げた。
可愛い。
「よし、オッケー」
「いいんですか!? せめて顔を隠すとか、装備を整えるとか! 魔法使い、舐めすぎですって!」
アテルが慌てふためいているが、ばれるときはばれる。
というより、装備探しという無駄な時間がもったいない。
カステラに最短でたどり着く。これがマストだ。
「とりあえず、道中で揃えられるものは揃えながら町に近づいていく感じで。いくよウィミュ」
「はーい」
「待ってください、リリ様! その目は、目はどうするんですか!? そんなに紅かったら一発でヴァンパイアだってバレます」
「え?」
さすがに立ち止まった。
そういえば、ヴァンパイア・リリーンの目の色は見事な真紅だ。
「アテルだって赤いけど?」
「私は色を消せます」
そう言ったアテルの瞳が淡い水色に変化していく。
驚いた。外観を変化させられるなんて。
ゲームにはなかった設定だ。
「どうやったの?」
「ヴァンパイアの血を抑え込むんです」
「へえ……よくわからない」
「たぶん……リリ様は真祖なので、無理だと思います。《血界術》を見ていてもそう思いました」
「《血界術》のことは言わないで」
なんてことだ。
カステラの為には目の色を変えないといけないなんて。
カラコンはないだろうか。
でも、こんなことで負けるわけにはいかない。
「何かかぶったら?」
ウィミュが軽い感じで言った。
確かにそれが一番手っ取り早い。私が最初に寝ていた場所に行けば、兜くらいはあるような気がする。
落ち着いた今なら骸骨くらい大丈夫。全部ぶっとばす。
「そうしよっかな。顔さえ隠せればいいよね?」
「脱げって言われますよ?」
「みんなで嫌だって抵抗する……とか」
「本気でないことを祈ります」
「よーし、アテルの許可も下りたし、いこっか」
「リリ様、私は心配して言ってるだけですよ!?」
「わかってる、わかってる。いざカステラに向けて―、レッツゴー」
「おぉっ!」
「ほら、アテルも!」
「お、おお……私、間違ってないですよね?」
***
「すばらしい! なんて複雑な香り!」
肉が焼けるような匂いに加え、湯気、熱気、ありとあらゆる雑多な香りが漂ってくる。
プルルスの治める町、ヴィヨン。驚いたことに堀で囲まれた町だ。
深い堀には濁った水が大量に流れ、外部からの侵入を阻む仕組みだ。
最奥には山を背にして朱天城と呼ばれる城が建っている。赤い窓枠と尖塔が目立つ城。あれがプルルスの居城らしい。
その朱天城の前には一回り小さな茶色の居城。
プルルスの傀儡政権である人間の王が住む城とのこと。
ヴァンパイアは基本的にめんどくさがりらしく、人間の王を置いて自分は悠々自適らしい。
「これはカステラの期待が高まってきた。もしかすると他にも……」
「リリ様、カステラの前に検問です」
胸を高鳴らす私を、アテルが叱るように注意する。
すでに甘党であることはバレたらしい。
「皆さん、覚悟はいいですか?」
「もちろん! がんばるよー」
「カステラの為に、犠牲はつきもの」
「カステラ、もうあきらめません!? どう考えても、雑すぎますって!」
「もう帰る家はないのよ」
真ん丸の頭に奇怪な紋章を描いた見張りが立っていた。
服は黒いスーツに似ている。
想像していた門番とは似ても似つかない。人間じゃないとは。
目がどこにあるかわからない。というより、顔かどうかもわからない。
腕と足らしきものはそれぞれ二本あるけれど、そもそも空中を浮遊していて、じっとしていない。
一人だけなので、結構強いのだろう。
「止まれ」
ニワトリの首を絞めたような高い声だった。
私たちは一列に並んだ。
「ずいぶん変わった格好だな」
門番はふわりふわりと私たちの周囲を一周する。
フルアーマーのアテルが槍を片手に一歩進み出た。
「呪われた鎧の三姉妹が名をあげにきた」
「顔を見せろ」
アテルが兜を脱いだ。ぐるぐるの包帯巻きだ。
もちろん瞳は紅くない。ついでに胴と腕の鎧も外す。
門番が「顔だけでいい。あと布も外せよ」と困惑する。
続いて、ウィミュが前に出る。
彼女は兜と足だけを外す。また包帯巻きだ。長い耳だけがぴこっと伸びている。
またも門番が困惑する。「だから顔と布……」とつぶやく
私が出た。
胴と腕、そして足の鎧を外して、兜だけは脱がなかった。
「兜を外せ」
門番の辟易したような言葉にアテルがずいっと近寄った。
「私たちは呪われた鎧に取りつかれた」
「……脱がないのと、どう関係がある?」
「見てのとおり、私は足が外せない。そのウサギは胴と腕が外せない。そして――そっちの子どもは頭が外せない」
門番がすーっと飛んで私たちの周りを一周した。
と、両手が伸びて、私の兜を掴んでぐっと引き上げようとした。
「痛い、痛い、痛い!」
「ほら、痛がってるだろ! やめなさい!」
アテルが間に入った。
「ほんとに、外れないのか?」
「そう言ってるだろ」
「じゃあ、俺が兜だけカットしてやる。いいな?」
「え?」
門番の腕の先に白々とした刃ができあがった。
文句を言えるような状況ではなかった。
そして――
一秒後に門番は、吹っ飛んでいた。
私が軽くはたいてしまったのだ。
アテルが「もうしかたありません」と足の鎧をさっと外して堀に投げた。
ウィミュも「暑かったぁ」と言って胴と腕を放り投げる。
そして、私は一目散に門をくぐった。
「だから、作戦が雑すぎるって言ったんです。鎧の三姉妹って誰ですか!?」
アテルがぷりぷり怒っている。
心臓が止まるかと思ったらしい。
「いーっぱい考えたけど、あれしか思いつかなかったし、仕方ないって。ね、リリ?」
「ウィミュの言う通り。カステラ食べたら出て行くから、ほんとごめんなさい。手加減したし、ごめんなさい」
「リリ様!? 店を探しながら謝るのやめてください! 全然反省してないですよね?」
「ふかーく、反省してる。カステラ見つけたら、さっきの人に差し入れするから、ごめんなさい」
こうやって私たちは侵入に成功した。
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