第2話

 人の死は、かくもあっけないものなのだろうか。


 今まで当たり前のように、一緒にいた人が――

 一体どうして、こんな風に、一瞬でいなくなってしまうのだろうか。



 母が急性白血病に倒れ、抗がん剤の副作用に耐えながら必死に闘病を続けた。

 副作用で髪の毛が抜けて、お見舞いに行っても食欲がなくてみるみる痩せていって……。

 父は仕事を休職して、そんなお母さんの看病をずっと続けながら、私たちの生活も見てくれていた。


 命って、こんなにあっけないの??


 ついこの間まで、笑ってたのに

 一緒にいたのに

 一緒にお買い物に行ったりしてたのに……!!




 母の葬儀には本当にたくさんの人たちが集まってくれて、母を喪った悲しみを共有しようとしてくれた。


――あんなに元気だったのに――

――どうして――


 泣きじゃくる妹の横で、ただ茫然と弔問に訪れる人たちを見つめては、頭を下げる。


 彼らの言葉は、まるで他人事のように、私をするりと通り抜けて行っては、また私のところへやってくる。



 どうして、お母さんが病気にならなくちゃいけなかったのか。

 どうして、治らないのか。

 どうして、もう会えないのか。



 何度も何度も、私の頭を駆け巡っては、もう愛しい母には会えないんだという冷酷な事実を突き付けられた。


 彼らの言葉は、私こそが聞きたいことだった。


 ――ううん。ちがう。


 葬儀の最後に、喪主の挨拶をしている父の背中を見つめて思った。


 ――お父さんこそ、聞きたいことだったに違いないのに――


 表情に乏しいのが常だった父は、この時もいつものように無表情だったけど、背の高い父の背中は、悲しみでとてもとても小さく見えて――


この時ばかりは、父の悲しみが、痛いほど伝わった。


遺影を抱えるその手が、うっ血するほど強く握り締められていて――


父の、最愛の人の死への気持ちを、表していたのが分かった。





 それからの私たちは、しばらくは何もすることができなかった。


 目につくもの、聞くものすべてが母を思い出させて仕方なかった。

 母を喪った悲しみと喪失感で、私も妹もずっとふさぎこんでいて、気力なんてどこにもなかった。


 父は、葬儀の後、数日間だけ休みを取った。

 その時の父は、いつもと違って――最も、私も妹も母の喪失への悲しみに打ちひしがれていて、自分自身のことで精いっぱいだったけど――家の中を歩き回っては、いろんな物を取り出したり、押入れから引っぱり出したりしていた。散らかることなんて気にもかけずに――ひたすら、何かを探していたみたいに見えた。それが、母との思い出の品だと気づいて、余計に悲しみと切なさに押しつぶされた。


 でも――


「――2人とも。そろそろ学校に行きなさい」


その父もそのあとはいつもどおりに大学への出勤を再開した。もっとも悲しんでいる父にそう言われると、そうせざるを得なかった。


 ゴールデンウィーク中の学部1年生向けのオリエンテーションが目前に迫っていた。私は学科の教授から手伝いをお願いされていたが、当然欠席しようとしていたところだった。

けど、その言葉がきっかけとなって、なんとか大学生活に目を向けることができるようになった。

私も妹も、本当に少しずつ、母の死以外のことに目が向くようになっていった。すすり泣く声以外は無言だった家の中に、少しずつ他の音が混じり始め――TVがつき、父のお気に入りのラジオが流れ、笑い声が少しずつ響くようになった。


母は、もういない。


白血病。


癌は、治る時代だって思ってた。


――でも母は――


 母を思う度に氷が胸の中に沁み込んで、心臓を凍らせるように――私の心には冷たい死が広がっていく。


母の死は、いつまでも私を、私たちを悲しみの底に突き落とした。


 でも、再び動き始めた私たちの日常が、その悲しみを少しだけ和らげてくれる。

そう思った。


 そして――父の表情が、いつにもまして無表情なことには気付かないまま、時間だけが過ぎて行った。



 今思い返せば、もっと早く気付くべきだった。



 でも――母の死という、これ以上ないほどの大きな悲しみの陰に隠れてしまって、その時の私たち姉妹には、父のことが見えないままになっていた。


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