関係ない

三角海域

関係ない

 夜勤を終え、コンビニで朝食を買っていると、同僚のAさんと会った。

 Aさんは話好きで、よくしゃべるため、けむたがる人も多かったが、僕は嫌いではなかった。

 Aさんは、陰口とか、そういうことを言わない。

 旅行先で見た美しいもの。

 昨晩読んで、感動した本。

 世界の素晴らしい映画。

 ニコニコと、楽しそうに、それらを語る。そんな風に、心から自分の好きなものを持ち、そのことについてしっかり語れるAさんを尊敬していた。

 お疲れ様と、Aさんが言う。

 お疲れ様ですと、僕が返す。

 会話はそこで終わり。

 なんとなく、本当になんとなく気になって、Aさんを待ち、話しかけた。

「あ、Aさん、大丈夫ですか?」

「O君。わざわざそれ言うために待っててくれたの? 優しいな」

 そう言うAさんの表情は、いつも通りだった。

 気にしすぎだろうか。

「Aさん、明日、仕事終わったら飲みにいきませんか?」

「どうしたの突然」

「いえ、あの、Aさんが面白いって言ってた映画、観に行ったんです。その話したいなって。Aさんの感想も聞きたいし」

「そっか。うん。ありがとう。じゃあ、明日だね」

「はい。よろしくお願いします。楽しみです」

「僕もだよ。ありがとう」

 そう言って、僕らはわかれた。

そして、約束は果たされずに終わる。というより、これがAさんとの最後の会話になった。

 Aさんは、あの日、僕とわかれた後、自殺した。


 通夜を終え、それぞれが談笑している。

 同僚たちも、集まってAさんについて話していた。

「ちょっと変な人だったもんな」

 どこがだ。

「あの歳で、この仕事してるってのもね」

 ちゃんと稼いでいるのだ、何が悪い。

「映画とか本とかさ、ちょっと上からで話すとこあったよな。こんなにもの知ってますよって」

 Aさんは自分から、自分のフィールドにある話題を深く語ることはない。誰かがそうした話題を話している時に初めて語る。

「そうそう。ちょっとウザいよな。別にそんなに深く考えてねーって」

 単なる劣等感だろう。知識コンプレックスなのはお前たちの方だ。

「悪い人ではなかったんだけどね」

「だね」

「死ぬことはないだろうに」

 何を言ってる。何を知ってる。何様のつもりだ。

 いつも陰口ばかりで、下世話なことで笑うお前たちが、Aさんの何を……。

 何も、何も知ろうとしなかったくせに。

 イライラしている。よくない。

 深呼吸し、目を閉じる。

 最後に見た、Aさんの顔。

 最後に交わしたAさんとの言葉。

 僕との約束は、Aさんをこの世に繋ぎ止めるほどの力はなかった。それが悔しかった。

 帰ろう。

 立ち上がり、適当に挨拶をして会場をあとにする。

 出ていくときに、同僚たちがこちらをちらりと見て何かを言い合い、笑っていた。

 好きに思えばいい。

 僕には関係ない。

 帰って、明日は映画を観に行こう。

 僕は生きていく。

 生きていこう。

 帰り道、急に涙がこみあげてきた。

 生きるんだ。

 生きろ。

 僕は夜の中へと、強く一歩を踏み出した。

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